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研究者への軌跡

一瞬に生きる

氏名:関根 利守     

専攻:地球惑星システム学専攻

職名:教授

専門分野:衝撃超高圧と地球惑星ダイナミクス

略歴:東京工業大学理学部卒。同大学院博士課程修了。理学博士。シカゴ大学地球物理学部、モナッシ大学地球科学教室、オーストラリア国立大学地球科学研究所、科学技術庁無機材質研究所(現(独)物質・材料研究機構)、カリフォルニア工科大学地震研究所などでの研究活動後、2010年4月より現職。アメリカ物理学会フェロー。

 

自分の研究者としての軌跡を新たに見直して見ると、通常の研究者軌跡とは大きな隔たりが有ると感じる。今から考えてみると卒研で所属した指導教官の言葉が印象深く思い出された。「学部4年で関った分野が将来に渡って研究上深く関係して来る」というものである。
 

出発原料を持って大岡山から当時六本木にあった物性研の秋本研究室に、指導教官につれられて地下鉄で行った。ここで最初に超高圧の世界に踏み込んだ。結局その後大学院での5年間も同じ指導教官にお世話戴いたが、大学院生当時は今考える程の超高圧との関連性を感じてはいなかった。しかし、博士課程を修了し、修了式の翌日にシカゴ大学地球物理学部において沈み込み帯での水とマグマに関する実験岩石学のポスドクに着任する為、日本を発ち暫く海外での研究生活を続けることになった。この動機は、“研究者”にはなりたいが日本での研究職は望めそうもなかったからであった。というのも当時、無給でオーバードクターとして残っている優秀な人たちを身近に見ていたことと、周りを見ても海外でのポスドクにチャレンジするという若武者が多かったと感じたからである。その為に修了半年前の9月頃にはアメリカの実験岩石学をやっている、論文で読んで知った専門家や指導教官などから聞いた専門家に受入依頼の手紙を米国中心に10通程出した。その内二人からその年末から翌年1月にかけて受入れるとの回答が得られた。結局回答が早かったシカゴ大に行くことにした(もう一人の研究者とは縁あって2006年に共著の論文を出版しましたが)。自分自身は将来を楽観的に見ていたことも有ろうが、指導教官はじめ周りの人々からの、どことなく気の毒そうな様子は伺い得た。それが私の研究者としての旅立ちであった。
 

研究を進める或は研究が進むには、それなりのきっかけが有る。この動機が強ければ強い程、強烈である。研究には目指す目標が必要だからである。自分で見出さなければならない。研究は人間の知的生活も含めたに人間生活が豊かになることを究極の目的にしている。研究者はその達成感や満足感をエネルギーにしている。その為に自分が社会にどんな貢献が出来るかを考えて、自分の能力のうち他人より優れた点や興味のある事柄を見つけ、それらを磨き、成長し続ける努力が重要である。個人差があるので、早く見つけられる人、時間のかかる人、なかなか決断できない人、それぞれ社会を豊かにするのに貢献しようと努力すれば良い(達成感や満足感が得られればよい)。自分自身との戦いである。他人との戦いではない。
 

私の場合には長い海外生活(シカゴ大とオーストラリアでの2大学)後に、つくばの研究所に職を得て、衝突実験による衝撃波と物質との相互作用を研究する課題に取り組み始めた。初期の頃は実験装置も限られたものしかなかったが、実験で得られた試料を検討することで、衝撃波の基礎から様々な現象を理解することに努めた。そんな中で比較的研究資金にも恵まれ、大型装置の導入やそれらを使用した成果も出すことが出来た。これらの研究活動を通して国内外の学会や大学に多くの研究仲間を創ることが出来た。その中で私達が学生の頃には全く授業にもなかった衝撃波による物質進化という面白い研究テーマに興味が移って行った。衝撃現象は一瞬であるがエネルギー密度は莫大であり、その影響は地球規模で見ると地球の進化過程、環境問題、生命起源物質の創成、生物の大量絶滅などの出来事に密接に関係づけられ、またより大規模で見ると太陽系形成過程、宇宙論へと繋がる。実験室でも高密度エネルギーを利用すると今まで未解明な問題に取り組むことが可能になりつつ有る。卒研での関わりで始まった研究が、今になってみるとその時その時一瞬一瞬よみがえっている様に感じられる。
 

私は、その時その時は戻ること無く二度とないので、一瞬にかける生き方が好きである。研究は人間の営みである。多くの友人、仲間を創るのは、より大きな目標に向かう為のもう一つの人間の営みである。


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