元の時代の「四階級制」説を覆す新事実

大学院文学研究科歴史文化学講座の舩田善之准教授は、モンゴル帝国の統治と多「民族」・多言語社会を研究しています。具体的には、モンゴル帝国の急拡大とそれに伴う人間集団の大規模移動と社会変動について、ユーラシア東部における人間集団の再編と分類、モンゴル統治層と地域社会の関係、多言語文書行政、言語接触など多角的な視点から検討してきました。

書誌情報など
舩田善之准教授

Funada, Yoshiyuki. "The Image of the Semu People: Mongols, Chinese, Southerners, and Various Other Peoples under the Mongol Empire(中国語ページ)". 西域歷史語言研究集刊. 沈衛榮主編. 科學出版社, 2014, p.199-221, 978-7-03-040378-0.

研究者プロフィール

舩田 善之 (ふなだ よしゆき)
准教授
大学院文学研究科 歴史文化学講座
研究分野 人文学 / 史学 / アジア史・アフリカ史

この論文では、「色目人(しきもくじん)」の実像を検証することにより、従来の通説に挑戦しました。色目人とは、さまざまな種類の人々を意味し、内陸アジア以西のさまざまな人々を指します。当時の定義では、モンゴル人や漢人・南人(それぞれ中国本土北方・南方の住民)を除く人々のことです。 

研究成果を語る舩田准教授

通説では、モンゴルは、色目人を中国本土統治の協力者として、モンゴル人自らに次ぐ第二階級と位置づけており、それに対して漢人・南人は被支配者として様々な面で差別と抑圧を受けていたと考えられていました。これが、20世紀初め以来通説となっていた、いわゆる「元代(元の時代)中国社会の四階級制」という考え方です。

しかしながら、色目人に相当する用語・概念は、漢語(中国語)の史料のみに現れ、モンゴル語・ペルシア語など漢語以外の史料には現れません。そこで、私の研究では、この「色目人」という用語・概念について詳細に分析した結果、「色目人」という用語・概念が漢人によって創出されたものであったことを解明しました。モンゴル人・色目人・漢人・南人という人間集団の区分も同様に漢人によって創出されたものであることが明らかとなりました。したがって、この区分は、モンゴル帝国の統治者たちや治下の全ての人々に共有されたものではなく、その中国本土統治の根幹に位置づけることはできません。

「色目人」について書かれた史料

「色目人」について書かれた史料

それでは、色目人という概念が漢人によって創出されたのは、どのような理由によるのでしょうか。当時の歴史文献を紐解いていくと、以下のような経緯が見えてきます。モンゴル帝国の中央政府は、中国本土の本格的な統治に着手しようとした際、中央アジア起源の税制を施行しようとしました。これに対し、漢人官僚は、中国本土在来の制度を踏襲することが適当であると主張したのでした。そこには、漢人固有の慣習や制度を保持する狙いがあったのです。その結果、漢人に適用される制度の枠外に置かれる人々の総称が必要とされ、色目人という呼称が採用されたのでした。

史料の説明をする舩田准教授

その後、中国本土において「色目人」という概念が定着していくのですが、「色目人」という総称が現れた当初は、当時の人々にとっても必ずしも自明ではありませんでした。制度の運用上、「色目人」の範囲を明確に区分する必要が生じ、政府における議論を経てその定義が確定されていったのです。

従来の通説は、「色目人」を漢人の上位に位置する階級・身分とみなしていました。しかしながら、私の研究では、「色目人」という概念の形成過程や、個々の制度の再検討を通じて、この区分はあくまでも制度上の区別であって、階級・身分といった性格をもつ差別ではなかったことを明らかにしました。

この英文論文の骨子となった和文論文では、上述の元代中国社会の四階級の制度的存在を実証的に否定し、この研究成果によって、日本の高校世界史の教科書の当該部分を書き換えることになりました。

参照した文献など

参照した文献など

さまざまな言語に対応するための辞書

さまざまな言語に対応するための辞書

 

この記事は、学術・社会連携室と広報グループが作成し、2019年に公開したものです。


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