科学史の定説をくつがえす-アラビア語写本の山をかきわけて-

 中世ラテン世界の宇宙観、すなわち当時の自然科学に関する認識を知る手がかりとして『天球について』という本があります。この本は、長い間自然科学を学ぶ学生の教科書として親しまれてきました。三村先生は、膨大なアラビア語の文献を調査して、この本の真の著者を発見しました。

書誌情報など

Mimura, Taro. The Arabic Original of (ps.) Māshā’allāh’s Liber de orbe: its date and authorship. The British Journal for the History of Science. 2015, vol.48, no.2, p.321-352.

研究者プロフィール

三村 太郎(みむら たろう)
准教授
大学院総合科学研究科 社会文明研究講座

 中世ラテン世界にアリストテレス自然学とそれに基づく宇宙観を伝えた最初期のラテン語作品として、中東地域を支配したアッバース朝(750-1258)の宮廷占星術師マーシャーアッラーフ(800年頃活躍)が著者とされる『天球について』があります。この作品は「十二世紀ルネサンス」の立役者クレモナのゲラルド(イタリア出身の学者、1114頃-1187)によってラテン語に翻訳され、アリストテレス自然学を学ぶ際の教科書として数多くの学生たちによって読まれていました。その一方で、本作品のアラビア語原典は、いまだかつて特定されていませんでした。しかし、2011年、膨大なアラビア語写本を調査する過程で、私は、今まで知られていなかったそのアラビア語原典を収録した写本をベルリンとフィラデルフィアの図書館で発見しました。本論文では、発見した写本の詳細な分析と、本作品の真の著者の特定をおこないました。

 

 なぜラテン語訳で明記されているマーシャーアッラーフが著者でないと判断したのかというと、アラビア語本文で938年に発生したアンダルス地域での日食が報告されていたためです。そこで真の著者に関する手がかりを探ると、本書においてアンダルス地域の情報が豊富であり、その使用するアラビア語にマグリブ地域の特徴が見られることから、著者の有力な候補として、現在のチュニジア近辺で活躍したユダヤ教徒ドゥーナシュ・イブン・タミーム(955以降没)を見つけました。さらに、ドゥーナシュによる『生成の書注釈』というカバラ注釈書(ユダヤ神秘思想の書)と『天球について』とを比較すると、両者に見られる占星術への態度や天文学的な内容が一致することから、ドゥーナシュが『天球について』の著者であることを確定しました。このように真の著者を特定することで、その歴史的価値がようやく解明できました。そして、ラテン語版がアリストテレス自然学を伝えるラテン語作品として最初期のものであるだけではなく、そのアラビア語原典自体も、アリストテレス哲学を中心としたギリシャ哲学・天文学に基づいた宇宙観を伝えるアラビア語作品として、とりわけアンダルス地域やマグリブ地域において、現存する中で最初期のものであることが分かったのです。

 

この記事は、学術・社会連携室と広報グループが作成し、2017年に公開したものです。


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