16世紀東アジアにおけるシルバーラッシュ

 16世紀の日本の内乱(戦国の世)はグローバルな大航海時代のうねりと連動していました。世界遺産となった石見銀山から産出された豊富な銀が、いかに日本のみならず東アジアの政治・経済・外交に影響を与えたかを紐解きます。

書誌情報など

本多博之. 天下統一とシルバーラッシュ, 吉川弘文館, 2015年, 6, 単行本(学術書), 単著, 本多博之, 978-4-642-05804-9, 216p.,(歴史文化ライブラリー,404),ISBN 978-4-642-05804-9.

研究者プロフィール

本多 博之 (ほんだ ひろゆき)
教授・博士(文学)
文学研究科 歴史文化学講座
研究分野 人文学 / 史学 / 日本史

 

 世界遺産である西日本の石見銀山(いわみぎんざん)の開発と銀の生産は、日本経済はもとより、東アジアの貿易構造を大きく変えました。すなわち、中国商人やポルトガル商人の日本来航をうながしたほか、多国籍・多民族からなる密貿易集団(後期倭寇(こうきわこう))の活動を活発化させました。特に、中国明王朝が民間人の海外渡航を禁ずる政策を緩和した1567年以降、福建商人や、マカオ・長崎間に定期航路を開設したポルトガル商人の日本来航が活発になり、日本の西国大名も独自に貿易や外交を展開し、その範囲は遠く東南アジア諸国に及びました。当時の日本には、強力な統治能力を持つ中央政権が存在せず、権力の分散状態にあり、大名・地域領主・商人、そして「海賊」は、競合・対立する面を持ち合わせつつも基本的に共生(きょうせい)関係にあり、日本経済も東アジア経済に連動して推移しました。

 

ティセラ/日本図(1595年初版) 島根県立古代出雲歴史博物館所蔵

 

 統一政権である豊臣政権が誕生すると政権主導の物流が生まれ、大坂と京都(伏見)を二つの核とする中央市場に諸大名の城下町(領国市場)が結びつく流通構造が成立しました。統一政権の誕生は分裂状態にあった外交権の再統一をもたらし、九州を含め西日本を平定した秀吉が外交権を握る日本の統治者として、東アジア諸国に臨みました。豊臣政権は長崎を直接支配して渡来する外国船の積荷に対する先き買い権を行使しましたが、日本人の海外渡航について当初は規制を設けなかったため、1580年代に日本人の東南アジア、特に当時ルソンと呼ばれたフィリピンへの進出が活発化しました。豊臣政権は、国内の金銀鉱山の開発を積極的に進め、諸大名の鉱山領有を認めながら、生産される金・銀の一部を納めさせました。1590年代には金・銀の社会浸透が進み、商取引や贈答で金・銀の受け渡しが活発に行われる大坂や京都(伏見)は消費人口の増加も加わり、税として納められた米(年貢米)が売却されて金・銀に換えられる中央市場としての性格が強まりました。豊臣政権は渡航許可証(朱印状)の発給により海外渡航に規制を加え、さらにルソン壺の独占購入をおこなうなど貿易の統制を強めましたが、秀吉の死後は徳川家康が外交権や貿易権を掌握していきました。

 

文禄石州丁銀 島根県立古代出雲歴史博物館所蔵

 

 このように16世紀東アジアにおける銀の流通は、それを構成する個々の国やその関係性の変化に大きな影響を及ぼし、日本における統一政権の誕生も東アジア世界の一つの動きとしてとらえることが出来るのです。

 

 

この記事は、学術・社会連携室と広報グループが作成し、2016年に公開したものです。


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