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研究者への軌跡

なるべく暗記しないで化学の奥儀を究めるために

氏名:岡田 和正

専攻:化学専攻

職階:准教授

専門分野:物理化学、励起状態化学動力学

略歴:広島大学理学部化学科卒業、広島大学大学院理学研究科博士課程後期修了。岡崎国立共同研究機構分子科学研究所非常勤研究員、広島大学理学部助手、広島大学大学院理学研究科助手を経て現在に至る。広島大学放射光科学研究センター研究員併任。現在の研究テーマは、内殻電子の励起による分子の構造変化や結合解離機構の解明。心の感受性を失わぬようにと、書店に足を運んでは文学作品を購入するが、最近は積ん読状態。北村薫氏の作品がお気に入り。本の収納にも頭を悩ませている。

 

この小文を書くにあたり、自分の学生時代を振り返ってみた。読者として高校生を主な対象としているそうなので、高校時代から書き始めるのがよいだろう。
 

高校時代は化学が得意というわけではなかった。高校化学では色々な物質の性質や反応を知ることは楽しかったが、化学は何だか覚えることだらけだな、という印象を抱いていた。暗記が苦手な私は、理科の中ではむしろ物理の方に力を入れて勉強していたくらいであった。キザに言えば、身の回りの物理現象が簡単な式で説明できる「美しさ」に魅かれたのかも知れない。だから成績は化学より物理の方が良かった。けれども物理の授業ではあまり実験がなかった。化学の授業では時々実験があったので、好きなのは化学であった。混ぜたり熱したりして新しい別の物質に変わるさまを目の当たりにすると、試験管の中でまるで魔法が起こっているような気もして、胸が高鳴った。
 

  そんな私が大学で化学を勉強したいと思ったのは、やはり化学が好きだからに他ならなかった。大学では高校までの知識の断片に過ぎなかった化学的事実が、何か統一的な理屈によって、きれいに整理され説明されるに違いない。噛み砕いて言えば、化学マジックの種明しをすると実はとても単純だったりするのでは? −−−おぼろげながら、私は化学にそんな期待をもって大学に入学したように思う。
 

ところで、当時は大学入試合格者は発表翌日の朝刊にその名前が掲載されていたが、私が小学生までの時期を過ごした団地の近所のおばさんは、新聞で真っ先に理学部化学科の合格者欄を見たそうだ。化学好きは小さい頃からだったのか。
 

さて、大学に入ると最初に理学部内の講義室でガイダンスがあった。当たり前だけど化学科には化学の先生ばかりいた。「化学」という専門にも幾つか分野があって、それぞれの先生は各専門分野の先生だということはすぐに分かった。分野は大きく分けると、物理化学、無機化学、有機化学、生物化学となるだろうか。これらの分野名だけで、「化学」という学問が「物理」から「生物」までをまたぐ大きな体系であることが理解できる。ガイダンスのときに物理化学のある先生が「行列代数(線形代数の一部)を履修して勉強しておくように」と発言されたことは、今でもハッキリと記憶している。事実、道具としての「数学」の重要性は、学年が上がるにつれて認識を深めていくこととなった。
 

大学では、テキストを指定して下さる先生と、適当なテキストがなく独自に講義される先生といらした。テキストがないというのは高校生にはちょっと信じ難いことかも知れないが、大学にはいわゆる「検定教科書」などないので、講義にテキストがなくても当たり前なのである。テキストに縛られず自由に講義される教授をみて、これが大学なのだと勝手に納得したりした。一方、講義で指定されたテキストや参考書はどれも分厚く値が張った。英語からの邦訳書が多く、中にはいかにも和訳という文章があったりして、読むのに骨が折れた。(でも慣れてしまうもので、知らず知らずのうちに自分も似たような文章を書いていたりする。この文章も不自然な日本語になっていないだろうか。)テキストには化学式はもちろん数式も書かれている。物理化学に分類されるテキストでは数式の方が多いくらいだ。
 

今ではどの授業も第何週にどんな内容を講義するかという「シラバス(講義概要)」が事細かに書かれ、学生の予習・復習への配慮がなされているが、私の学生時分は「この講義では○○○について述べる。」という一文二行程度の極めて簡単な内容紹介だった。したがって、講義によっては話の展開や相互の結びつきがよく分からないこともあった。しかし、とにかく講義を聴いてノートだけは取って試験に備えた。
 

様々な講義や化学実験を受けていくうち、やはり自分は物理化学に一番興味があるとの確信をもった。大学で初めて学ぶ量子化学のツールを用いると、化学の実験事実が理論的に説明される。講義担当の先生の説明が私にとって分かりやすかったこともあり、卒業研究をその先生の研究室でしてみたいと思った。
 

研究室に配属されたとき、理論の魅力を感じながらもやはり実験もしたいと考え、両方できる研究テーマを選んだ。欲張りなのかも知れない。でも、自分で実験データを出してその解釈を量子化学計算で補強する研究スタイルはとても気に入った。実験技術の勉強と基礎となる理論の勉強の両方を行うのは大変であったが、いろいろと調べ勉強しながら卒業研究を進めていくうち、様々な疑問をもつようになった。大学卒業後には働くつもりでいたが、卒論指導の先生にうまくそそのかされた(?)こともあり、結局大学院の博士課程まで残ることとなった。けれどもその甲斐あって、卒業研究を始めて抱いた疑問に対する一応の解答を見つけることができたと自負している。
 

自分で何かひとつの問題を見つけ、それに対する答えを粘り強く深く追究することのできる人が研究者というものではなかろうか。研究とは真理を究める活動であり、この活動を継続していけば、研究の価値を認めて下さる方が必ずいらっしゃると信じている。この小文が誰かの心に共鳴し、本学部に興味を示す契機になったならば、筆者の望外の喜びである。


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