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研究者への軌跡

昔は実験なんて好きじゃなかった

氏名:山本 陽介

専攻:化学専攻

職階:教授

専門分野:5本の手をもつ炭素化合物の合成などの有機典型元素化合物化学

略歴:1954年三重県熊野市生まれ。三重県立津高校卒,東京大学理学部卒,同大学大学院理学系研究科化学専攻博士課程修了。1982年広島大学理学部助手,1990年助教授,2001年より現職。この間,1989-1990年Vanderbilt大学博士研究員。昭和63年度日本化学会進歩賞受賞

 

私は、今は、実験大好きで、いわば実験屋さんに属するのですが、小学校・中学校・高校・大学の学部時代は、決して実験好きではなかったですね。化学をやっている先生方の話として、小さいころに、化学反応で色が変わったりしたのを見て、化学が好きになったとおっしゃっているのを読んだりすることもありますが、紀伊半島の南端の三重県熊野市およびその周辺地域という真の田舎に育った私としては、そういう実験を見かけるという機会自体があまりなかったということも理由としてはあるのかもしれません。
 

中学校の2年生まではその地域に住んでいたのですが、紀勢線の全通を祝って、小学校の生徒全員(たぶん)で、汽車に旗を振りにいったり、汽車に「待ってー」とか手を振ると待ってくれたりする(一時間に一本もないので乗り遅れると大変でした)のが普通だと思って暮らしていました。当然、家の周りも自然でいっぱいだったんですが、花や虫の名前を覚えたりするわけでもなく、山を駆け回って遊んでいた記憶しかないです。中学校時代は、学校の方針で男子は全員坊主だったのですが、親父とどこの運動部に入るかという点でけんかして、結局どこの運動部にも入らず、化学クラブなるものに属していました。そういうクラブに入ったのですから、そんなに化学の実験は嫌いでなかったはずなのですが、熱心に目を輝かせて実験していたということはありませんでした。高校への進学率が50パーセント以下だった中学校で、男子で文化部にしか入っていないというのは異端で、教師が家に来て親父と談判したりするという風土でしたが、楽しく暮らしていたといえると思います。成績はよかったので、高校への進学をひかえて、両親が私をどうするかということを真剣に考えてくれたみたいです。その地域の小学校教師だった親父が、三重県の教育委員会への転属願いを出してくれて、津に新しい家を建てて、転勤してくれました。本当に大決断だったはずです。今、この年で子供を持つと、親の決断のありがたさがとてもよくわかりますが、そのころはあまり感謝もしていなくて生意気な子供だったと思います。
 

化学というか科学(サイエンス)に興味を持ち始めたのは、中学校の1年生くらいの頃、津のおばさんの家に遊びに連れて行ってもらったときからだと思います。津は、人口13万人くらいの地方都市ですが、蒸気機関車でなく電車が走っていることにまず驚き、電車に乗ると蒸気機関車とは加速の仕方が違うので、身体の感じ方も違って大感激でした。今でも初めて電車に乗ったときの感激を覚えているくらいです。そのくらい田舎ものだったのですが、一番感激したのは、津には3階建ての本屋さんがあったことでした。熊野市は全市でたぶん1つしか本屋さんがなく、それも平屋の小さい建物でレコード屋さんと一緒に営業しているというものでした。それでも自転車で30分くらいかけて行っていたので、津にはこの大きさの本屋さんがあること自体が驚きでした。本好きでしたので、かなりいろいろ本を物色していたのですが、そこで偶然見つけた新書サイズの宇宙と素粒子について書かれた科学啓蒙書を買って読んでから、本格的に科学をやってみたいと思うようになったと記憶しています。この本は、啓蒙書とはいえ、中学生にとっては非常に難しい本で、とてもちゃんと読めたとは言えないのですが、その後はもうずっと科学がやりたいと思うようになっていました。中学校3年生になるときに親父が転勤してくれたので、三重大学附属中学校に編入して、授業と生徒の両方のレベルの高さに驚いたのですが、その中で、将来何になりたいかという作文を書かされました。そのときに私は科学者になりたいと書いたらしく、今、同窓会で同級生に会うと、「山本君は初志貫徹していて良かったね」とか言われます。あまりその作文のことは良く覚えていないのですが、同級生たちにとっては、私の作文は興味深かったらしいです。
 

この件でもわかるように、一つの本との出合いが、人生の方向性に影響するというのは本当だなと思います。こういう職業についたのですから、私もできれば一度は本を書いて社会に恩返ししたいと思っています。今はとても忙しくてまったく暇はないのですが、そういう本とかが書けたら良いと思いますし、高校生への出張講義の機会も増えたので、高校生にも少しでも科学に興味を持ってもらえる講義をしてみたいし、オープンキャンパスでの演示実験なども一期一会の感覚で見てもらえるようにしたいし、もちろん化学科の学生さんに夢を持ってもらえるようにしたいと思っています。
 

ちょっと話がそれてしまいましたが、中学生までは、そういう素粒子とか宇宙論とかがやりたいと思っていて、当然物理学が主要な興味対象だったわけです。しかし、中学校と高校でどうしても物理がわからず、化学の方がより身近で感覚的に興味が持てるようになってきたので、化学をやりたいと思うようになりました。その状況で大学の化学科に進学したのですが、その時もまだ実験は楽しめませんでした。今になると、その理由がとてもよくわかります。高校や大学の学部までの実験というのは、すでに結果がわかっている実験で、しょせん練習なんですよね。結果がわからず、わくわくするということがないんですね。今は、まったく前例のない研究や実験をして(もちろん研究室の学生さんがしてくれて)いるので,すごくわくわくします。うまくいかなくて苦しいことがほとんどだといえるくらい新しい分野の研究・開拓をすることは大変なのですが、それだけに、うまくいったときや、予期せぬ素晴らしい結果が得られたときなどは、至福の喜びを感じます。プロジェクトX(終わってしまいましたが、エンディングの中島みゆきの曲(ヘッドライト・テールライト)は最も好きな曲です)で、出演者が当時を思い出して泣く気持ちがとてもよくわかります。うまくいくかなど誰にもわからない課題に挑戦して、たくさんのいろいろな障害を乗り越えて、ついに目標に到達したときの喜びは何ものにもかえがたい喜びなんですよね。こういう何かを作り出す・生み出す喜びの経験を、できるだけ多くの学生たちに味わってもらいたいと思って暮らしている毎日です。


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