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研究者への軌跡

自然科学研究を志すまで

氏名:勝本 之晶

専攻:化学専攻

職階:助教

専門分野:高分子物理化学、分光学

略歴:1995年東京農工大学農学部卒、2000年同大学大学院生物システム応用科学研究科博士後期課程修了、博士(学術)取得。1997年文部省短期留学推進派遣留学生(Pau大学/仏)。2000年〜2003年関西学院大学博士研究員、2003年から現職。大学院時代には、蛍光および紫外可視分光法を用いて高分子物性研究に従事、留学先では界面活性剤の凝集構造を光散乱法で調べた。関西学院大学では赤外分光法用いた溶液物性の研究を行う。現在、高分子溶液物性、液体混合状態の物理化学をキーワードに研究を行っている。

 

大学院へ進学するまで
略歴を見てもわかるとおり、自然科学研究者となるのに少々変わった道のりを辿っている。元来、理数系が得意ではなかった。いやむしろ苦手と言った方がしっくりくるほど、中学高校と理数系の成績は中以下の常連で、大学を選ぶときも最初は文系を考えたくらいだ。しかし、両親の影響もあって、東京という地理的不利にもかかわらず綺麗な川や山で遊ぶのが好きであり、これが後の進路を理系に向けさせる。自然の中で見られる生物達にも普段見られないだけに愛着がわき、昆虫や魚に熱中する少年時代を過ごした。それらが自然の中で生きている姿に感動していたのである。子供の頃に最も見たかったものは蛍で、初めて自然の蛍を見たのは高校生になってからだった。
 

大学受験のために一度は文系を考えたが、「虹が七色に見える原因は理数系のクラスで話します」との物理の先生の一言で、あっさり理数系の授業を取ることに決め、「自然環境を保全します」の宣伝文句で環境問題を扱う農学部への進学をめざすことになった。元々理数系が得意でないのだが、こういうときに後先を考えない性癖のようだ。
 

大学では、自然の仕組みについて人間の産業活動と環境問題の関わりについて、よく勉強した。(もちろん遊ぶことにもかなり執着したのは言うまでもない。)「自ら目指した道」というのは強みであり、勉学は苦痛ではなく楽しみとなった。この過程で、自分の意識が「自然を理解すること」に向かっていることに徐々に気づく。すなわち、環境問題を論ずる前に環境の根幹すなわち自然の成り立ちを正確に理解する必要がある、との思いに駆られたのだ。しかし農学部での研究は、今ある問題をどのように解決するかが先行しがちで、私が見ている方向とは一致しなかった。当時最も感銘を受けたのは養老孟司先生の進化に関する授業であり、牛木秀治先生の高分子科学の授業だった。そして、自然科学に対する私のイメージを決定的に印象づけたのが、I.Prigogineの散逸構造に関する講演である。これらの授業や講演は、もちろん全部が理解できるものではなかったが、自然がどのように成り立っているのかを教えようとしているように思えた。その結果、大学院に進学する際に農学部系の研究室ではなく、自然科学系の研究室を選ぶことになる。

大学院での研究生活
このような経緯で大学院では牛木先生に師事し、それからは一直線に自然科学へと目が向いていった。なにしろ、長年の疑問がそこら中にころがっていたので熱中しないわけがない。蛍光現象の原理は、読んで字のごとく蛍の発光を鮮やかに説明するし、分光学は虹が七色に見えることの延長にあった。タンパク質の構造形成は、生体を形づくるためのまさに根元であり、それを熱統計力学が支配していることに気づかされた。もちろん自然の成り立ちはもっと複雑で深淵なものなのであるが、これらの単純で小さな発見(もちろんごく個人的なもの)が日常的な喜びとなって自然に研究者を目指すようになったのだと思う。
 

大学院で最初に与えられたテーマは、溶液中における高分子鎖の局所的な運動の計測とその特異的な挙動の解析に関するものだった。何やら難しそうで、自分の知りたいことと何の関連があるかは分からなかったが、自分の知らないものに触れることには好奇心をそそられた。この研究テーマにどっぷり浸かったもう一つの理由は、当時研究室の先輩であった角森史昭さんの後を受け継ぐ研究テーマだったことである。彼の自然科学者としての姿勢・能力に敬服し、それを少しでも多く学びたいと思っていたので、その研究テーマを受け継ぐことが大きなチャンスだと思ったのである。この研究は、高分子鎖の局所運動が通常の統計に従うのではなく、べき乗則に支配される統計に従うということを発見して終わることになったが、この発見が後の自然科学にとって有意義なものであるかどうかはまだ分からない。しかしながら、実験、測定、解析、論理の構築などすべてを学んだ論文であり思い出深い。
 

博士後期課程在籍中に、当時の文部省短期留学推進派遣留学制度に偶然採択されて、フランスに留学することができた。師事したJ.Lachaise教授はもの静かな熱統計力学の実験家で、そこで光散乱と界面活性剤の物理を教わることになった。化学出身であった牛木先生とはまた違った物理学者独特の洞察力にはしばしば驚かされたし、なによりフランス人の議論好きは後の研究スタイルに大きく影響した。エクリチュールよりパロールが大切という哲学背景を実戦するかのごとく、日常のささいなことから実験結果の解釈に至るまでひたすら議論の連続であり、報告書を作って議論を始める日本式とまったく異質な文化であった。留学で得た最も大きな収穫は、実験手法や知識ではなく、近代自然科学を生み出した土壌、文化を吸収することであったと思う。
 

研究者として
以上が、私がこれまでに辿った軌跡である。自分の興味や趣味を追い求めていたら自ずと自然科学を志向するようになり、出会った数々の自然科学研究者に対する憧れが研究者を志す大きな原動力となったのだと思う。特段才能があったわけでもないし、幼少の頃から化学に対する執着があったわけでもない。ただ、研究者と呼ばれる立場になって幸せだと感じるのは、「分からないこと」を素直に分からないといって調べることを生業(professional)とできることである。知りたがりの自分としてはこれに勝る適職はない。研究者を目指そうとする人にとっては厳しい状況が続く昨今であり、私自身も任期付きというなんとも心許ない立場ではあるが、研究の面白さを次世代に伝えたいと思い、かつて自身が憧れた自然科学者のような良い研究ができるよう心がけて日夜精進している。


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