第10回 国際協力研究科 教授 片柳 真理先生

片柳先生写真

~すべての経験が自分をつくる~   

取材日2016年3月14日
特集コーナー「研究者の素顔」の第10回の取材は広島大学大学院国際協力研究科教授(総合科学部併任)の片柳 真理先生に取材させていただきました。日本の大学院で修士号を取得後、数年働かれてから、国際的に働くために留学を決意され英国で修士と博士を取られ、国連でも働いた経験のある片柳先生は現在様々な角度から平和構築を考えられています。国際的に活躍されている片柳先生に研究はもちろんのことリフレッシュ方法や人生のターニングポイントなど素顔をのぞかせていただきました。

経歴
  東京外語大学(国際学)修士号 取得
1995年 エセックス大学 国際人権法 修士号 取得
2001年 ウォーリック大学 法学博士 取得
2001年 在ボスニア・ヘルツェゴビナ日本大使館 専門調査員
2004年 上級代表事務所(ボスニア・ヘルツェゴビナ) 政治顧問
2009年 国際協力機構研究所 研究員
2013年 国際協力機構研究所 主任研究員
2014年 広島大学 大学院国際協力研究科 准教授
2015年 広島大学 大学院国際協力研究科 教授

研究内容―「平和を構築するためにはどのような支援が必要か」

皆さんはボスニア・ヘルツェゴビナ(以下ボスニア)という国をご存知でしょうか。バルカン半島にはかつてユーゴスラビア社会主義連邦共和国があり、ボスニアはその一つの共和国でした。ユーゴスラビアの崩壊に伴い、1992年から1995年にかけてボスニアでは激しい武力紛争が起こったことが知られています。6つの共和国の中でボスニアはもっとも民族構成が複雑だったため、紛争自体激しいものとなり、数々の残虐な行為が行われました。私は国連ボランティアとしてまず隣国のクロアチアで平和維持に従事し、その後ボスニアで平和構築にたずさわる機会がありました。それをきっかけに、ボスニアを中心に平和構築の研究をしています。現在は人権、土地と不動産、ビジネスの3つの切り口で平和構築について研究しています。
まず、一つ目は人権に基づく平和構築です。平和という数値では測れない状況を観察するときに最も大切なのは、どのような視点(レンズ)で見ていくかということです。私の場合、人権をレンズにしようとしています。人権はさまざまで、紛争が終わり時間が経つにつれて、実現されている人権の種類や数も変わっていきます。一人一人個人の人権を見るのではなく、幅広い意味で人権がどのような状況にあるのか、人権侵害が起こっていたり、見過ごされている人権があればその状況を引き起こしている社会というのはどういう構造なのかを見ていきます。国家と国民の間、経済力のある人とない人の間の権力関係から人権侵害が起きたり、同じ国の中でも民族が違うことを理由に人権侵害が起きることもあります。その仕組みや関係性を把握して、人権が侵害されないような社会にしていくのがこのアプローチです。難しいのは、例えば文化的権利を守るために法などで民族ごとに明確な区切りをつけてしまうと、場合によっては民族の亀裂を固定化してより溝を深めてしまうことです。
二つ目は平和構築における土地、不動産の問題です。武力紛争では、一定の地域から他の民族を追い出そうとする民族浄化と言われる状況(強制移住)がよく起こります。紛争が終わった後も多くの人がこの強制移住の結果、元住んでいた土地に帰ることができません。ボスニア紛争でもこの強制移住が発生しましたが、国際機関の介入によって奪われた不動産の90%以上が元の持ち主に返還された珍しい事例となっています。もちろん生活条件などの関係で元の土地に帰らなかった方もいますがこうした選択が行えるということが大切だと私は考えています。
最後はビジネスに基づく平和構築です。政治面では民族を越えて同じ目的を達成すべきときになかなか互いに妥協することが難しいのですが、ビジネスでは民族を越えていろいろなことが可能で、互いに妥協点を見つけやすい傾向にあります。そこで共通の利益を生むビジネスを積極的に平和につなげる支援ができないかと考えています。今はローカルビジネス、協同組合など様々な事例を集めている段階で、今後はこの事例をもとに企業の社会貢献や社会責任の一環としての平和構築を提案できればと考えています。

写真:ボスニア中央選挙委員会での覚書の調印式の写真(右から5番目前列が片柳先生)

研究者になったきっかけ「Life Workを探して」

私は日本の大学の大学院で修士号を取得した後、研究者ではなく就職して5年間ほど法律関係の職場で働きました。働いてみて、これは私が生涯続けていきたいと思える仕事ではないのではないかと考えるようになりました。そこで一生取り組める仕事をしたいと考え、国際機関で働きたいと強く思うようになりました。
国際機関の仕事に従事できる機会を得たいと思い、まず挑戦したのが外務省がおこなっているJPO派遣制度(注1)というものでした。JPO派遣制度は日本も含め20ヵ国で導入されていて、自国の若手人材が国際機関で勤務する機会を提供し、将来正規職員となることを応援するプログラムです。しかし、海外での留学または勤務経験がないとなかなか派遣することができないという話を聞き、それならばいっそ留学しようと決意してイギリスのエセックス大学の修士課程に進学を決めました。イギリスの大学院ではインターンを推奨しており、私もその一環でインターン先を探していたところ、フランス語ができるなら国連ボランティアをと勧められました。しかし、なかなかボランティアのオファーは来ない。修士論文を書き上げたところで「研究も面白いな」と思っていたこともあり、その後博士課程を受験することにしました。その合格通知をもらったのとほぼ同時にまさかの国連ボランティア採用通知があったのです。悩みましたが博士課程への入学を延期させてもらい、当初から働くことを希望していた国連で働くことになりました。この時に国連で行かせてもらったのがクロアチアで、この経験が生涯の研究テーマを決めるきっかけとなったといっても過言ではありません。

大きなターニングポイントとなった出来事「最初の現場経験~私の困難は小さな物~」

仕事を辞めたこと、留学したこと、様々なことが私にとってのターニングポイントでしたが、私の考え方とか生き方に大きな影響を与えてくれた出来事はやはり現場での紛争を体験された人々との出会いでした。例えば、クロアチアのPKOで同僚がインタビューした年配の女性は、1990年代の紛争の話と第二次世界大戦の区別がつかなくなっていました。人生の中で大きな戦争を2度も体験するのは、途方もないことだと感じました。自分の父親より年上の男性が泣きながら助けを求めてきたこともあります。そういう人たちの経験に比べれば私の困難などなんて小さなものなのかと思います。そこから研究やいろいろなことで壁にぶつかっても「これぐらいなんてことない」と頑張れる力が増した気がします。こうした悲しい思いをする方を地球上からなくしていくためにも研究をより一層頑張っていきたいと今は思っています。

写真:ボスニアの日本大使館のレセプションでボスニア中央選挙委員会の人たちとの写真(右から2番目が先生)

大きな影響を受けた人「サーの称号を持つBig Boss」

ボスニアの国際機関での最初のBossは、今の私を構成する上でとても影響を与えてくれた方です。この方にはリーダーたるものはどうあるべきかを教えていただきました。何百人という自分のスタッフはクリーニングレディまですべて名前を憶えており、必ず挨拶の時に名前で呼びます。大変気さくですれ違う時はいつも挨拶を忘れません。仕事において感心したのは、ご自身も必ず時間を守るのはもちろんのことですが、会議を必ず時間厳守で始めることです。国際機関では多くの国の大使を招集して会議をする機会がありますが、大使の中にはお忙しい方も多く、大国の大使が遅れる場合は会議の開始を遅らせる傾向があります。しかし、そのBossは時間通りに始めなければ他の大使たちに失礼に当たるといって会議を始めていました。他人に等しく接しようとする配慮、強い意志と決断力、優しい気遣い。これらを持ち合わせた素晴らしい方でした。

博士課程(D)の時に不安だったこと「D取得の最中に人脈やポストが失われたらどうしよう」

博士号を取った後に国連に戻って働きたかったので、一番の不安は博士課程の期間にポストがなくなったらどうしようということでした。国連ではかなり人の出入りが激しいのでせっかくできた人脈やボランティアで培ったノウハウが使えなくなって、自分があの場所に帰れなくなるのでは、ととても不安でした。特に私は国連という決まった場所に就職したかったのでかなり焦っていたと思います。そのためDの間は本当に研究漬けの毎日で、大学の寮と研究室との往復のみ。大学構内から出ることは全くありませんでした。月に何度か大学の講堂で行われるコンサートや演劇などの劇場スタッフのアルバイトをしていた時ぐらいがリフレッシュタイムになっていました。本当に必死でしたが、一生懸命取り組んだ博士論文の内容を出版することもできましたし、今こうして研究者として仕事をすることが出来ているのであの時の苦労は今の自分に必要だったと感じています。結局、国連のポストではなくボスニアの仕事の方を選んだのですから不思議なものです。

10年後の自分へ「今よりも大きなネットワークで研究していきたい」

10年後も研究を続けていきたいと思っています。ただ今と同じ規模のままというわけではありません。今、私の研究室にいる学生さんたちがそれぞれいろいろな場所に巣立っていきます。その人たちと今よりも大きなネットワークの中で一緒に仕事をして行きたい、そして何らかの形にして世界の平和構築に生かしていきたいです。

博士課程進学を考える学生にメッセージ-「現場を見てあなた自身のテーマをみつけてきてほしい」

私たちの研究するテーマは国際平和という実に大きく深いものです。理系の研究のように数値や実験で明確な答えを得ることはできません。このような分野で研究を進めていく中で最も意識して欲しいことは自分の目で現場を見て、肌で現場の雰囲気を感じた中で自分のテーマを探すことです。私自身も現場を見たからこそ取り組めるテーマがありました。Dをとる過程は本当に自分との戦いで、何があってもこのテーマをやり切りたいという強い思いがないと実現しにくいです。その覚悟をもってぜひ進学してほしいです。

(注1)JOP派遣制度 http://www.mofa-irc.go.jp/jpo/

取材者:岡田佳那子(理学研究科生物科学専攻博士課程後期3年)
 


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