第12回 先端物質科学研究科 准教授 鬼丸 孝博先生

写真 鬼丸先生

ひたむきさを忘れずに―目に見えない磁性に魅了されて―

取材実施日:2016年7月6日

第12回特集コーナーは、先端物質科学研究科の鬼丸孝博(おにまる たかひろ)先生にお話を伺いました。
穏やかな話し方と研究に対する真摯な姿勢がとても印象的な鬼丸先生は鹿児島県のご出身です。好きな言葉は「泣こかい、飛ぼかい、泣こよっかひっ跳べ」(泣こうかなあ、飛ぼうかなあ。泣くくらいだったら飛んでしまえ)。鹿児島県民にとって有名な言葉だそうです。「そこで立ち止まってうじうじ考えているくらいだったら、思い切って前に進もう」という意味が込められています。何かに迷ったり自分の足が止まったりした時にふと思い出す言葉のひとつだと教えてくださりました。
 
略歴
1993年4月~1997年3月 東京理科大学, 理学部, 物理学科
1997年4月~1999年3月 東北大学, 大学院理学研究科, 物理学専攻,博士課程前期
2002年4月~2005年3月 東京大学, 大学院理学系研究科, 物理学専攻, 博士課程後期
2005年4月~2006年9月 科学技術振興機構 雇用研究員
2006年10月~2007年3月 広島大学,大学院先端物質科学研究科 助手
2007年4月~2011年8月 広島大学,大学院先端物質科学研究科 助教
2011年9月~現在 広島大学 大学院先端物質科学研究科 准教授

磁性物理学の専門家:どこに答えがあるか分からないから面白い!

量子物質科学専攻の磁性物理学研究室に所属しています。学問的興味を持って新しい物質を作り、物理学の視点からそれらの磁性や伝導などの性質を明らかにすることを目指しています。
物質は元素周期表に表される原子により構成されています。その原子は、陽子と中性子からなる原子核とその周囲を回っている電子から構成されます。
物質は、それを構成する原子の組み合わせ方によって、まったく異なる性質を示します。原子の組み合わせ方は既に分かっているものだけでなく、まだ発見されていないものもたくさんあります。つまり、新しい原子の組み合わせを見つけることができれば、これまでに知られていない性質や機能をもった新物質の発見へとつながる可能性もあるのです。
私が特に注目しているのは物質の磁性です。基本的に、磁性とは物質中の荷電粒子(電荷を帯びた粒子)である電子が運動することにより生じる性質です。物質中には、原子核の周りに局在している電子(局在電子)と、物質中を自由に動き回る電子(伝導電子)がいます。このうち強い磁性を担うのは主に局在電子の方です。局在電子の運動には2種類あって、1つは電子の自転運動(スピン)、もう1つは電子が原子核のまわりの軌道をくるくると回る軌道運動です。これらの足し合わせによって、原子にミクロな磁石が生じます。そのため、原子の組合せ方次第でさまざまな磁性や超伝導が出現しこれまでに見つかっていないタイプの磁性体や超伝導体を見出して、それらが従来の物質とどう違うのか、また物理学の視点からどのように理解できるのかを調べています。
新しい物質を作る時には、約3000度まで温度を上げて金属材料を溶かすこともあります。また、物質の温度を絶対零度近くまで下げたり、物質に高磁場や高圧をかけたりして、いわゆる極端条件下において物質の性質がどのように変化するのかを実験により調べています。
最近では、この6月にフランスのサックレーやグルノーブルで実験を行い、自分で作った物質の磁性について中性子を使って調べてきました。高校の物理や化学で学習したかもしれませんが、中性子は素粒子の一種で電荷を持っていませんがスピン(ミクロな磁石)を持っています。そのため、物質の磁性と相互作用して散乱されます。その散乱された中性子のデータを集めて、物質の中でどういう磁性が生じているか、磁性が超伝導とどのように関係しているかなどを調べています。
私たちの研究に簡単な答えが用意されていることはほとんどありません。そのような答えの分かっている研究は、大学でやる意味がありません。もちろん、研究をするうえで知識は必要ですが、固定概念に縛られすぎるのも良くありません。どこに答えがあるか分からないし、だれが証明できるか分からない。それを懸命になって探求する、それこそが研究だと思います。

写真 鬼丸先生 様々な金属材料や金属間化合物の管理室にて

様々な金属材料や金属間化合物の管理室。高純度な金属材料には、海外から入手したものもある。数種類の元素を組み合わせて新しい物質を作り、その性質や機能を調べている。

修士時代の興奮と喜びが原点~民間企業勤務から研究者の世界へ~

修士課程修了後に就いた仕事は、それまで研究していた内容とはあまり関係のないセラミック電子部品の分野でした。技術職という立場で仕事に充実感を感じてはいたのですが、職種柄自分の仕事や働きが企業の成果につながっているのか自覚しにくいという側面もあり、次第に無力感を感じるようになっていました。もちろん、そこを乗り越えていれば、新たな世界があったのかもしれませんが。
仕事に対して無力感を感じていたちょうどそのころ、修士課程時代の研究で経験した「鳥肌が立つような発見」の瞬間が思い起こされました。研究対象としていた物質の結晶構造、原子の配列の仕方が、それまで報告されていたものと全く違っていたという発見です。それ自体は、世の中ですごく役立つとか世間の人が知るような成果ではありませんでしたが、自分の中ではものすごい大発見でした。
この新しい結晶構造は、中性子の回折実験によって初めて分かりました。最初は報告されていた構造を仮定して解析していたのですが、データが全然合わなかったため、「実験で使った結晶がおかしかったのでは?」とも言われました。しかし、自分で試行錯誤しながら解析をしてみると、実験の結果は確かに正しく、報告されていたモデルに問題があることに気がつきました。そこで結晶構造モデルを立て直してみると、実験データを綺麗に再現できました。たまらなく鳥肌が立ちました。このときの興奮と喜びを経験していなければ、博士課程に戻ろうとは思わなかったかもしれません。
博士課程に進学しようと考えた当初、私は修士課程で在学した研究室に戻ろうと考えていました。しかし、研究室の先生が退官されることになっていたので、研究分野の近い先生を何人か紹介していただきました。「大切なのはどこで研究するかよりも、どの先生のもとで研究するかである」という考えを持っていたので、それを基準に進学先を決めました。
結果的に、民間企業で働いたのは2年間だけでしたが、どうやって経済が回っているのか、企業はどのような人材を求めているのかを垣間見ることができました。就職活動をしている学生と話をするときには、この企業で働いた経験が多少は役立っているかもしれません。

写真 実験装置を説明する鬼丸先生

高温アーク放電によって金属合金を作製する実験装置の説明をしている鬼丸先生

宇宙や太陽に興味があった子供時代:アマチュア無線にも夢中だった!

小学生のころを思い返してみると、宇宙や太陽に興味があり、ときめいていたことを覚えています。町の図書館で太陽系や宇宙ステーションに関する本を借りては読み漁っていました。
中学生の時はアマチュア無線にはまっていました。もともとは、父が友人に勧められて始めたのですが、結果的には父より私の方がのめり込んでいました。父が持っていた無線従事者国家試験の対策本を読んで勉強し、試験を受けて資格を取得しました。
学校から帰って宿題が終わった後に無線機の前に座り、ある周波数でつながった相手と30分から1時間無線で話していました。無線機の性質として双方が同時に話すことが出来ないので、自分が話し終われば「どうぞ」と言って相手の話を聞くという方式でした。相手の話をきちんと聞いて、それに対して適切に答えるように努める、人とコミュニケーションをとる時の基本ですが、この無線のやり取りで訓練された気がします。
子供時代はとても内向的な性格でしたが、アマチュア無線で色々な人と会話をするようになり、性格も徐々に外向的になっていたように思います。自分にとっては、重要なターニングポイントだったと思います。
現在研究している磁性は目で見ることはできませんが、不思議なことに磁石の力は離れたところにも確かに働きます。振り返ってみると、子供時代の自分も、宇宙や太陽系、そして無線通信で使う電磁波など、その実体を実感しづらいけれど確かに存在するものに興味を持っていたように思います。

育児もやります!休日は3人の子どもと遊ぶお父さん

子どもが3人います。10歳(男の子)、5歳(女の子)、2歳(男の子)です。
研究室には朝の8時半くらいに来ています。現在は単身赴任ですが、家族と一緒に生活していたときは夜7時半には帰宅するように努めていました。家族との時間を確保するために、家に帰って夕食を取った後、夜に再び研究室に戻ることもありました。また、現在国立大学の教員になっている博士課程の学生が2人いたので、彼らが主体的に実験を進めてくれることもしばしばでした。学生たちにはとても感謝しています。
私たちの世代は、男性も家事・育児をやるべきだと考えている人が多いと思います。私も、子どもを保育園の送迎バスの乗り場まで送ったり、習い事の送り迎えをしていましたし、できるだけ育児に参加したいと思っています。
休みの日は、3人の子どもと入れ代わり立ち代わり遊んでいます。時には、子どもを寝かせながら自分も寝てしまうこともあります。
なかなか自分の好きなことをやるための時間を持つことが難しい時もありますが、子どもはとても可愛いですし、子どもに対する親としての責任も感じますね。

写真 鬼丸先生

何事にも好奇心旺盛でアクティブな祖父は憧れ!

祖父は小学校の校長を務め、退職後は町の教育委員会の委員長や書道教室の先生などをしていて、私が小学校2年生のころから同居していました。
とても好奇心旺盛でアクティブ、そして新しいものが好きな祖父でした。その頃、家族で最初にワープロを使い始めたのも、70代も後半に差し掛かっていた祖父でした。
私が学生の頃には、祖父が鹿児島から一人で飛行機に乗り、東京や東北まで私に会いに来てくれたこともありました。80歳を超えていた祖父に「ディズニーランドに連れて行って」と言われ、一緒に行きました。こんなに高齢なのにジェットコースターに乗って大丈夫だろうかと思い、私はすごくドキドキしましたが、難なく乗って楽しんでいました。仕事を引退してずいぶん時間が経っていたのですが、その行動力にはいつも驚かされました。
そんな祖父の言葉で今でも大切にしているのは、難しい言葉を使っては駄目だということです。私が高校で生徒会長を務めていたときに言われた言葉です。式やイベントで挨拶をする際には、「相手に分かっ言葉をつこて書かんないかん。むっかし言葉ばっかい並べてよかちおもっとは、自分だけじゃっど(相手に分かる言葉を使って文章を書きなさい。難しい言葉を並べて満足するのは自分だけだよ)」とも言われました。
つい難しい言葉を使って自分をかっこよく見せたくなるものですが、相手に伝わらなければ意味がありません。相手にきちんと伝えることを一番に考えて、それを優先しなければならないと思っています。講義の資料を作る際など、今も気を付けています。

挫折を大切に:失敗は人が成長するチャンス!

博士課程までは、実験というものは失敗するものだと思うようにしていました。失敗の多くは、自分の実験技術の未熟さや実験の意味を理解していなかった、というのが理由だったのですが、実際、9割方は失敗の日々でした。
しかし、実験の失敗から学ぶことはとても多いと思います。どうして失敗したのかを主体的に考えて、その原因を探ることで、実験の手順や方法に意味があることを理解できるのです。学生と一緒に実験する時も、安全面をクリアしてケガをしないことが条件ですが、彼らから失敗するチャンスを奪ってはいけないと思っています。失敗した学生は、その時はつらいし、なぜ教えてくれなかったのかと思うかもしれません。しかし、失敗すると実験の抑えどころが見えてくるので、その時は成果が出なくても、将来自立した研究者や技術者になることにつながると考えています。
現代社会は効率化を希求するあまり、極力失敗しないようにしよう、という風潮が強く、失敗を経験することがだんだん難しくなっています。しかしそれは、成長する機会を失っていることなのではないでしょうか。人が成長する喜びを実感できるためにも、失敗を許容する社会であって欲しいと考えています。

実験室には様々な結晶作製のための装置がある。写真の装置では、物質を安定な高温環境に保って溶融し、単結晶を作製することが可能。

10年後将来の展望:ひたむきに研究、そして研究の面白さを社会に伝えたい

助教から准教授になって数年経ちました。世代交代していく中で私たちの世代が教育・研究を担う時代が来たなという実感を持っています。仕事内容も変わってきた今、教育や研究に対する責任を強く感じています。
自分がやるべきことを冷静に考えて、楽をせずひたむきに教育や研究に取り組むことが大切だと思います。
研究に関しては、ちょうど今取り組んでいるテーマが私にとって非常に面白いので、それに集中しています。他の人がやっていない研究に取り組んで、その面白さを世の中に伝えることができればいいと思います。そのために、まずはしっかりと事実を捉えて、そこから客観的に導かれることを示したいと考えています。それが物理学の発展や、さらには科学技術の進歩につながればこの上ない喜びです。
もう一つ思うことは、物理学を通して学生に成長してもらいたいということです。物理学は今も発展し続けていますが、その一方でかなり完成した学問であるという一面もあります。ですので、勉強すればするほど理解できるようになります。論理的な思考が鍛えられますし、忍耐力や洞察力もつきます。教員や友人との議論を通して、コミュニケーション能力も鍛えられます。学生には、物理を学ぶ機会を生かして成長して、社会でも活躍してほしいと思っています。

取材者:二宮 舞子(総合科学研究科 総合科学専攻 社会環境領域 博士課程前期2年)


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