第6回 先端物質科学研究科 助教 富永 依里子先生

~人生に「IF」はない~   

取材日:2016年2月26日

 特集コーナー「研究者の素顔~女性編~」の初回の取材は広島大学大学院先端物質科学研究科 量子物質科学専攻 量子光学物性研究室の富永 依里子(とみなが よりこ)助教です。半導体薄膜の結晶成長を研究している富永先生は数々の賞を受賞されていますが、どのように過ごされてきたのか伺いました。

経歴
2007年3月 京都工芸繊維大学工芸学部電子情報工学科 卒業
2009年3月 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科 博士課程前期 電子システム工学専攻 修了
2009年4月 日本学術振興会 特別研究員(DC1)
2012年3月 京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科 博士課程後期 設計工学専攻 修了
2012年4月 広島大学大学院先端物質研究科 研究員
2012年8月 広島大学大学院先端物質研究科 助教

研究内容―「半導体結晶の可能性~過去の研究を未来につなげて~」

 私の研究の主軸は一貫して、半導体結晶を作る「結晶成長」です。特に「砒化ガリウム(ガリウムヒ素、GaAs)系化合物半導体」について研究してきました。
 きっかけは学部時代にあります。私は卒業研究でGaAs系化合物を使用した光通信用の新しい半導体レーザ用材料GaAsBi(ガリウムヒ素ビスマス)について研究していました。この材料は、研究室でこれまでにいろいろな方が長年研究されていましたが、約15年来、結晶は作れてもレーザ動作は確認できていませんでした。ある日ふと指導教員の先生が今回もこのレーザ動作させる実験がうまくいかなければ、この研究テーマを終了しようと思っているとおっしゃいました。しかし私は、その材料の結晶が示すデータを見て、結晶品質がほかの半導体結晶と比較して劣っているとは思いませんでした。何とか工夫すればレーザ動作するのではないか、してほしい、この研究が終わるのは嫌だという思いがありました。
 半導体の分野では一般に、半導体基板を素地として半導体結晶を作っていきます。結晶を作る際には、半導体基板と作りたい半導体の格子定数(原子がつくる結晶構造の辺の長さ)がそろっているほど高品質な結晶が作製できます。この格子定数がそろっていないとひずみができて結晶が十分な大きさにならなかったり品質の悪いものになったりしてしまいます。所属研究室では長い間、GaAsBiに窒素(N)を加えることでGaAs基板とGaNAsBiの格子定数をそろえていました。しかし、窒素は原子半径が小さいため結晶内のいろいろなところに入り込んでしまう性質があり、結果として発光強度が下がってしまうという欠点がありました。そこで私は思い切って、格子定数はそろわないけれど、窒素を入れずにGaAs基板上にGaAsBiの結晶を作製し、レーザ動作させてみてはどうかと実験を進めました。
 この実験によってGaAsBiでのレーザ動作が確認できた時のことは今でも忘れられません。それまで小さな値しか示さなかった発光スペクトルが、測定画面上で柱のような高い値をたたき出しました。最初何が起きたのか理解できず、ある意味パニックになりましたが、非常に興奮した瞬間でした。GaAsBiのレーザ用新材料としての可能性を示した功績を認めていただき、「ロレアル─ユネスコ女性科学者日本奨励賞」(注1)や応用物理学会講演奨励賞等を受賞することができました。また、当時はGaAsBiの研究は世界的にも珍しく、多くの国内外の先生方から面白い研究だと学会で声をかけていただきました。
 その後、縁あって広島大学に赴任させていただき、現在は、テラヘルツ波という電磁波を発生させたり、検出したりするための素子用の半導体を結晶特性の観点から見た研究を中心に行っています。テラヘルツ波は物質を壊すことなく、その物質の性質を評価することができる電磁波で、医薬品の診断や高速大容量通信の実現などの様々な分野への技術応用が期待されています。こうした応用技術分野の一つであるテラヘルツ波の発生検出素子について、結晶工学の観点から進められた研究はあまり存在していないのではないかと思い、これまでの研究経験を活かしてテラヘルツ分野に貢献したいと考えています。

プライベートな時間はありますか?「人に支えてもらって今の自分がある」

  プライベートの趣味の時間は決まって作っているわけではありません。私の実験は1サンプルを作るのに長い時で12時間以上かかります。忙しい時は研究室に缶詰状態となります。そういう中でも最近大切にしているのは料理する時間です。凝ったものや変わったものを作るわけではないのですが、実験や色々なことでもやもやした気持ちは料理をして食べることで、まさしく消化しています。
 研究とプライベートの両立は難しいように感じますが、両方あるからこそ見えてくるものや考えられることがあると思います。ただ、このように感じられるようになったのはごく最近で、少し前までは全く余裕がない時期もありました。博士課程後期(D)の頃や本学に赴任してしばらくは自分自身の研究テーマを見出すのに本当に必死でした。しかし、そういった時でも振り返ってみれば一人ではなく、いつでも話を聞いてくれる家族、研究の相談ができる他大学の友人や先輩、ともに問題に取り組み導いてくださる先生方に支えられていました。Dの時は孤独感にさいなまれ、自分だけが社会から取り残されているような錯覚に陥るときもありますが、実は多くの人に支えられて研究を続けられています。メールでの連絡も大事ですが、それだけではお互いの気持ちの些細な部分にまで気づくことが難しいので、電話や直接会うことを大切にしています。

子どもの頃の夢「地球を救う仕事につきたい!」

 10歳の時、テレビ番組や小学校の授業で地球温暖化問題について知り、この問題を解決する仕事につきたいと思ったのが一番初めの夢です。その時は幼くてどのように貢献していけばいいかわからず、漠然と地球温暖化防止に関する国際的な仕事に就きたいと思っていました。
 一方で小さい頃から読書が好きであったため、高校入学時には文系コースの進路選択を考えていました。しかし、向井千秋宇宙飛行士のご主人で医師の向井万起男先生が書かれた「君についていこう」という一冊の本との出会いから、10歳の時の夢のキーワードである「地球」を見ながら仕事ができる宇宙飛行士に私もなりたいと思い、理系に進学することを決意しました。その後、物理の授業で「超伝導材料」を知ったのです。室温超伝導材料が出来れば、砂漠に敷き詰めた太陽電池で発電した電気を、エネルギーをロスすることなく地球の裏側まで届けられるようになる。そんな夢のような話を知り、宇宙飛行士になって宇宙空間で均一な超伝導材料を作りだし、地球温暖化防止に貢献したいと思うようになりました。
 このような経緯から、超伝導体や半導体のような「電子材料」を研究したいと思って進学先の大学の学部を決め、現在に至ります。10歳の頃に描いた将来の夢が今につながっています。

ターニングポイント「運命のじゃんけん」

 私には大きく分けて2つのターニングポイントとなる出来事がありました。一つは研究のテーマ決めです。上記の通り、学部4年次生の私は地球温暖化防止に貢献するという夢のため、太陽電池に関わる研究がしたいと強く思っていました。しかし、指導教員の先生から提示のあった4つのテーマのうち、太陽光に関係するテーマは1つしかなく、当然私はそれを選ぶのですが、希望者はもう一人いました。そこで先生から最も公平な「じゃんけん」で決めるように提案がありました。太陽電池の研究をして小さい頃からの夢を叶えたいと思っていたのですから絶対勝ちたいと思っていました。しかし、じゃんけんの結果は負け。私は残りのテーマ、GaAsBiの研究をすることになりました。とても残念に思い、じゃんけんした相手の子にテーマを交換してほしい、と頼んだことすらありました。しかし、結果として、このとき出会ったテーマのおかげで私は早くから国内外の学会に参加することでき、学生時代の早い段階で多くの研究者の方々に出会い、広い世界を見ることができました。私の人生の転機となった運命のじゃんけんでした。
 もう一つのターニングポイントは、HOPEミーティング(注2)とリンダウ・ノーベル賞受賞者会議(注3)に参加したことです。自分の意識を大きく変えた機会でした。両会議とも、アジアや世界各国で選抜されてきた研究者の卵が集まってノーベル賞受賞者と直接対話することが大きな特徴で、会期を通じてそのような場がたくさん用意されています。いずれの会議にも参加する前は、私はノーベル賞の先生方に会えることを純粋に楽しみにしていただけでした。しかし、他国、特に発展途上国の学生は国を背負ってきているという意識が強く、ノーベル賞受賞者の先生方に対して「自国をより良く変えるためにこういう研究がしたい」と堂々と宣言しているのがとてもまぶしく、自分の志や研究目的をもっと大きく社会にはたらきかけていけるようなものにしなければと思うきっかけになりました。この経験が、今研究を進める上での熱意の根源になったと感じています。そのため、現在の所属研究室の学生にも早くから海外で発表するチャンスを与え、似たような刺激を受けてくれたらいいなと考えています。

10年後の自分へ「面白い研究で学生を世界に送り出せていますか」

 広島大学に来てちょうど4年。ようやく自分のオリジナリティの出せる研究テーマの一端にたどり着いた気がしています。これからこの研究をさらに膨らませていって、Dの時に自分が経験させてもらったように、国際学会で認められるような若い人たちを育てられる教員になっていたいです。

博士課程後期進学を考える学生にメッセージ-「人生に正解はありません」

 研究でもプライベートでも生きていく中でついつい考えてしまうのがあの時、こうしていたらということだと思います。「もし」つまり「IF」ですが、それは考えても仕方がないことです。もしあの時じゃんけんに勝っていたら、もし修士課程修了時に就職していたらと例を上げればきりがありません。結果的に何が良かったのかは長い人生の中で変動していくので「正解」はありません。Dに進んで自分の実験や研究を進めるということは色々と苦労も多く、大変な時期もあるとは思います。しかし、博士課程を経験した後に残る「生みの苦しみ後の喜び、楽しさ」は不動のものです。それは知的好奇心が満たされたり、新しい現象を実証するデータが出たときの喜びだったり、自分の研究成果が世の中をより良く大きく変えていくかもしれないという期待感だったりと様々ですが、一人でも多くの方とその喜びについてお話しできるように、Dへの進学者が増えたらいいなと願っています。

取材者:岡田佳那子(理学研究科生物科学専攻博士課程後期3年)

(注1)ロレアル─ユネスコ女性科学者日本奨励賞 http://news.nihon-loreal.jp/csr/fwis/
(注2)HOPEミーティング https://www.jsps.go.jp/hope/
(注3)リンダウ・ノーベル賞受賞者会議 http://www.jsps.go.jp/j-lindau/


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