第4回 日刊工業新聞社 山本 佳世子 氏

写真 日刊工業新聞社 山本さん

~スペシャリストでゼネラリスト~

特集企画第1弾「企業で働く女性研究者」の第4回は日刊工業新聞社で論説委員兼編集委員をなさっている山本 佳世子さんにお話をお聞きしました。理工系の修士課程を修了された後に新聞社に入社し、社会人をされながら博士号をとられた経歴をもつ山本さんは、様々な目線から「社会」と「科学技術」の関係を見ることができる方です。そんな山本さんに、これからの理系学生や博士号を取った学生が、社会にどのように求められているかをお聞きしました。

経歴
1988年 お茶の水女子大学理学部 卒業
1990年 東京工業大学大学院総合理工学研究科 修了(工学修士)
同年 日刊工業新聞社 入社
2011年 東京農工大学大学院工学府 修了(博士(学術))

「キャリアの考え方」―理系の修士から新聞記者へ

修士課程に進んだ時には当然、理工系で研究者という選択肢も考えていました。ところが、1年を費やした研究成果がうまくいかず、研究テーマを変えることになったときに考えが変わりました。研究が上手くいかなかったことがとてもショックで、その時に「研究者を一生続けていくのは向いていないかもしれない」と思いました。そこで、好きな科学技術分野と自分が得意な短期集中型の仕事を探していく中で、新聞記者という職業に行きつきました。それから20年以上新聞記者を続けていますが、自分のキャリアに悩む時期もありました。30代半ばに小説家になろうかと真剣に考えて、本業の新聞記者をしながら講座を受けたり、小説を書いたり。キャリアの選択に悩んだ際にアドバイスできることは、「迷っていろいろやってみて、自分で納得した上で決めた道には自信が持てる」ということです。やって失敗することもあるかもしれません。それでも、やらないでずっと心のどこかで迷っているよりもはるかにすがすがしく、納得したうえで仕事に力を注ぐことができると思います。

研究内容―新しい仕事との出会いそして博士号

博士号への憧れは理系の大学院に行った時からばくぜんとありました。しかし、「今まで誰もやったことのない新しい〔何か〕を世の中に提示するというハードルは高そうだな」と感じていました。そうした中で博士号を取ろうと思ったのは、産学連携専門の記事を書き始めてしばらく経った頃でした。その当時、産学連携の記事を専門に書く記者は日本でほかにいなかったと思います。産学連携を大まかに説明すると、企業と大学が連携して商品やベンチャー企業を作り出していく事業のことですが、その過程で利益や特許などの問題が渦巻くので非常に難しい側面を持ち合わせています。いろいろと取材を進める中で「産学連携」でのみ生じる問題やコミュニケーションに興味を待ち始めました。そこでこの「産学連携」をテーマに研究してみたい、博士号を取りたいと思うようになりました。
いろいろな社会科学の先生方に相談してみましたが、正直、研究者でない社会人が博士号を取るのはとても難しいことだと痛感しました。普通の学生さんのようにいつもラボにいるわけではないので、先生としっかりと連携を取って研究していかなければなりません。そこで、私が重要視したのは担当の教授との相性です。「コミュニケーションが取りやすいか」「私のやりたいということに興味をもってくださるか」という点です。結局、東京農工大学にお世話になり、就学中の苦労は大変なものでしたが博士号を取ることができました。このことは後の自分のキャリアのためにもとてもよかったと感じています。

理系記者の仕事とメリット

私たちの会社は工業新聞として、新しい技術や研究結果などを他社よりも詳しい記事にすることが多くあります。取材を進める上で、自分が理系出身であることを紹介すると、コアなことまで教えてくださったり、共感を得られやすいのか、よりスムーズに取材が進んだりする場合もあります。そういった面ではメリットもあるかもしれません。しかし、記事を書き始めるとつい研究のコアな部分を詳細に書いてしまいがちなので、上司に「専門的になりすぎてわからない」といわれることがあります。その点、文系の記者には、私とは違う視点で、素晴らしいたとえなどで記事を書かれる方もいます。そのため、「どちらがいい」ということはないと思います。ただ、私が入社した当時は「理系」、「大学院修了」、「女性」の珍しい要素が3つ揃った記者はなかなかいなかったので、関係者の方に名前を覚えていただけました。その点は取材する上でとても利点になりました。
若いうちはこの「理系で院卒の女性記者」ということで記者としての個性を出していましたが、徐々に同様の人も増え、それだけでは十分な存在感は出せなくなりました。そこで「自分だからこそ書ける記事とはなんだろう」と考えるようになりました。そのころに大学・産学連携の記事担当になったこともあり、産学連携に加えて、大学運営や博士課程学生の教育政策から国全体の科学技術政策まで書けるように、意識して幅を広げてきました。
たとえば、近年話題となったSTAP細胞問題では、多くの方が「論文の査読とは何か」「なぜこんなことが起こるのか分からない」と困惑していました。私は、Dを経験した記者として論文の査読についての詳しい説明を行うとともに、我が国の博士課程の学生に向けての教育についても記事にしました。(記事の末尾の山本さんのブログのURLに記事ポイントが記載されています。)この記事は、まさにこれまでのキャリアがあったからこそ発信できたと思っています。こうした自分にしかできないことを仕事の中で探していくことは、とても大切なことだと考えています。

写真 日刊工業新聞社 山本さん

博士課程進学を考える学生にメッセージ-「スペシャリストでゼネラリストに」

Dを経験して「博士とは何か」、「研究とは何か」という考えがより深くなったと思います。私は「博士とは、何もない、誰もいないところで新たなものを打ち出し、それを実証し、社会に賛同者を増やしていく。そのことを学術的な研究手法によってできると学位によって証明された人」だと考えています。こうやって文字にすると堅苦しく、とてもすごい人のように見えますが、すべてDの教育課程の中で行われています。つまり、自分の経験や論文を読んでいく中で新しい発見やアイディアを見つけ、それを研究して論文にして発表し、社会に広めています。
これまで、Dに進んで博士号を取った方は「専門分野について深い知識を持ったスペシャリスト」でした。博士課程へ進む学生はこのスペシャリストを目指していて、また社会も博士号取得者にそれを求めていました。しかし、今の社会が求めているのはスペシャリストでかつゼネラリストです。問題やアイディアを深めて実証するまでは多くの方ができているけれども、もう一段上の「その結果を社会に浸透させることができるような人材」が必要とされています。
原発事故のコミュニケーションを考えてみましょう。原発が安全かどうかについて、企業責任者の方がただ「安全です」というだけでは社会は納得してくれません。そこで東日本大震災時には専門家がデータを示して細かく説明しましたが、多くの人には「結局、よくわからない」という思いが残ってしまいました。つまりゼネラリストもスペシャリストもそれだけでは社会が求めている回答を示すことができなかったのです。もしも、これを両方兼ね備えた方がいて、安全管理などデータをもとに皆さんが納得できるように伝えられたら、社会全体で理解しあえる形になったかもしれません。もちろん、様々な条件で異なると思います。最近、盛んに「イノベーションを創出できる人材を求める」という企業の声を聞きますが、それはスペシャリストでかつゼネラリストの方だと思います。これからDに進む人が仕事やキャリアを考えるときに意識していただきたいのは、やりたいことを突き詰めていくだけでなく、「社会を取り巻く状況の変化によって必要とされる人材はどういう人か」、「そういう人になるためには何を磨けばいいか」ということです。それらを考えながら色々な経験をしていってください。

ブログ「産学連携取材日記」http://bat-journalist.cocolog-nifty.com//
「未来博士3分間コンペティション2015」 http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/23992/

取材者:岡田佳那子(理学研究科生物科学専攻博士課程後期3年)


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