~日本の酒類業界を支える研究所をめざして~
特集企画1回目「企業で働く女性研究者」の第2回の取材は広島大学東広島キャンパスの近くにある独立行政法人 酒類総合研究所の理事をなさっている後藤奈美さんにお話しをお聞きしました。研究者、理事、母と多様な顔をもつ後藤さん。フランス留学などの数々の輝かしい経歴をお持ちですが、たくさんの苦労と努力があられたようです。今回は後藤さんに公的機関の研究者としてどのようなことを意識しているか、仕事と家庭をどのように両立させたかなどをお聴きしました。
Profile
1983年 京都大学大学院 農学研究科 食品工学専攻 修士課程修了
1983年 国税庁醸造試験所
1985年 大阪国税局鑑定官室
1988年 国税庁醸造試験所
1991年 フランス政府給費留学生及び科学技術庁パートギャランティー
1995年 国税庁醸造研究所
2001年 独立行政法人 酒類総合研究所
2014年 独立行政法人 酒類総合研究所 理事
研究内容-「日本のワインをより美味しく」
理事になってから自分で研究をすることはほとんどなくなってしまったのですが、今は時間を見つけてこれまでにした仕事の解説を書いたり、まだ論文になっていない過去のデータをまとめたりしています。理事になるまでは主にワインについて研究をしていました。ワインの原料となるブドウの多くはヨーロッパが原産地です。ヨーロッパは地中海性気候で夏に雨があまり降りませんが、日本は逆に夏に雨の多い気候です。ブドウは植物なので雨が少ないと水分が不足してストレスがかかります。このストレスが適度に掛かることで、ブドウの赤色色素であるアントシアニンの合成が促進されます。雨の多い日本だとアントシアニンの合成量が少ないため、ワインの色が薄かったり、ブドウ品種に特有の香りの特徴が出なかったりと難しい部分が多いといわれていました。そこで、実際に日本国内でどの程度気象条件の影響があるのか、日本各地のワイナリーの方々と連携して解析しました。各地のワイナリーからブドウを研究所に送っていただいて分析し、アメダスの気象データとの関連を調べて、ワイナリーと情報を共有しました。その他、同じブドウでも醸造条件をいろいろと変えることでどのようなワインになるかも研究していました。このような研究が、日本のワインの品質向上に役立てばうれしい、と思っています。
理事としてのお仕事「日本の酒を世界に!」
私は今までワインの研究をメインでしていましたが、研究所全体としては「清酒」や「焼酎」を研究しているスタッフが多くいます。「清酒」、「焼酎」は日本にしかないお酒なので、日本でしっかりとした研究をすることが絶対に必要です。それから、研究とあわせて、日本のお酒の良さをアピールしていくこともこの研究所の使命だと思っています。近年、海外からも注目を集めている日本の酒類はこれからどんどん海外にアピールしていくべき産業です。
そこで、まず英語や中国語、韓国語で日本酒を紹介するリーフレットを作成しました(右図)。海外からの観光客の方や日本酒を紹介するイベントなどで配布していきます。日本酒にどのような特色があるか海外の人には伝えにくい点も多いので、中国語版では中国の黄酒とも比較しています。こういった活動で多くの人に日本のお酒に興味を持ってもらいたいと思っています。
研究する上で大切なこと「研究の目的を常に意識して」
国の研究機関でも企業と同じように人事異動で人が動きます。当所の場合、研究所内だけではなく、国税局との間でも動くので分析の部署や酒税に関する部署などに移動にすることもあります。そのため、この研究だけがしたいという思いで就職すると希望に添えないこともあると思います。基本的に私たちは組織として求められている研究を行う必要があるので、個人の興味や関心だけでは研究テーマを決めることは出来ません。行政的に必要な研究もあります。そういったなかで、どういう取組みが問題の解決につながるのかを考え、自分のアイディアを活かしていくことが大切なのかな、と思います。これから就職しようと思っている方に特に意識していただきたいのが「この研究がどういった問題を解決するために必要か」という明確な研究目的を常に答えられるようにしておいて欲しいということです。研究を進めていくうちに細かい疑問や面白い事象についつい興味を奪われて、本質的に解決しなければならない問題から外れそうになることがあるかと思います。研究者自身はとても重要な問題であると考えていても、研究の本質から見ればそこにこだわる必要のない疑問もあります。私たちの研究所は常に研究の有効性を問われているので余計に気になるのかもしれませんが、おそらく大学でも企業でも、本来の研究目的を常に意識することは重要なことだと思います。
23年ぶりの技術系女性職員
修士課程を終えてどうするかを考えていく中で、食品関係で研究や技術の仕事を長くしていきたいなと思いました。私が就職活動したころは、男女雇用機会均等法ができる前で、今では考えられませんが、女性は自宅通勤のみ募集、寿退社が当たり前という時代でした。こういった世の中で研究を仕事として続けていくのは公務員しかないなと思い、公務員を志望しました。酒類総合研究所の前身、国税庁醸造試験所に入ったのですが、そこで私は何と23年ぶりに採用された技術系女性職員でした。当時、新人は試験所で1年研修やOJTをした後、国税局の鑑定官室に転勤し、各地の造り酒屋さんと接するような仕事をして、酒関係の仕事を覚えていきました。しかし、昔、清酒造りは女人禁制の世界で、さすがに当時はそのようなことを言う人はいなかったのですが、女性を鑑定官室に転勤させて大丈夫?、という雰囲気はあったようです。結局、私は試験所に2年いることになりました。しかし、そのおかげで後で博士論文のテーマになるバクテリアに出会うことができましたので、世の中何がどのように人生に関わってくるかわからないな、と思います。その後、3年目に鑑定官室に異動になり、実際に酒造りの現場に接することになったのですが、別に女性でも問題ないね、ということになったようで、ホッとしたことを覚えています。
フランス留学―「伝統のブランドを守るために新しい技術の開発を行っていく」
鑑定官室で3年間仕事をした後、試験所に異動になり、ワインの研究室に所属しました。当時の上司に勧められて試験を受け、フランス政府の給費留学生として1年間ボルドー大学に留学させていただきました。フランス語は本当に必死で勉強しましたが、なかなか上達できなくて、とても苦労した記憶があります。フランスでは主にワイン醸造微生物について学ばせていただいたのですが、そこで驚いたのは、どんどん新しい技術を開発しているところでした。フランスワインと聞くともう完成されている伝統産業と考えがちですが、新しいワイン産地との差別化を図るために国がとても力をいれて研究しています。国としてワインという産業を守っていこう、という強い意志を感じました。日本でも、研究開発によって技術力を高めることが、日本のお酒を守ることに不可欠だと考えています。
研究継続における上で大切なこと-「母として、研究者として」
今も昔も女性研究者が直面する問題の1つに結婚や育児との両立があげられます。私も世の働くお母さんと同じように大変なこともありましたが、多くの人に支えられて仕事を続けることが出来ました。一番は息子が元気に生まれてきてくれたことです。他にも配偶者が単身赴任することもなく、家族が一緒に居られた点や、私が出産する頃に育児休暇が制度として設けられた点も出産後に職場に復帰することが出来る要因になったと思います。職場に復帰してからは、とにかく保育園のお迎えの時間に遅れないようにしなくてはいけないので、今よりもテキパキ仕事をしていたように思います(笑)。フランスに留学している時にお世話になった女性の教授には小学生のお子さんがいらっしゃったので、夕方遅くならないうちに帰られていましたが、研究成果をしっかりと出されていたので、彼女を目標に頑張っていこうと思っていました。幸い、早く帰っていく私に嫌味を言う上司や同僚はおらず、職場にも恵まれていたのだと思います。子供が熱を出してどうしても仕事を休めない時は病児保育を利用したり、小学生になってからは学童保育にも大変お世話になりました。こうした社会的な支援は働く親たちの長年の粘り強い活動のおかげで実現したものなので、本当に先輩方に感謝したいです。
そのころの私は、出張以外のときはラフな服装だったのですが、出張に行く朝スーツを着ていると、まだ小さかった息子がスーツの裾を引っ張って「母さん、今日帰ってくる?」と聞いた時は驚きました。子供ってよく見てますよね。しかし、お給料をもらって仕事している以上、お給料分の責任は果たさなくてはと思っていましたし、「やっぱり女性は駄目ね」と言われることだけは避けたい、と思っていました。成長するにつれて「母さんは仕事が恋人じゃけん」と冗談めかして言われたりもしましたが、こうして仕事を続けられているのも家族の協力があってこそですし、息子も夫も応援してくれているのでこれからも頑張っていこうと思います。
博士課程進学を考える学生にメッセージ-「広い視野と説明能力を」
自分の専門をしっかり勉強することはもちろん大切ですが、その他の関連ある分野などに視野を広く持つこともとても大切だと私は考えています。卒業されて企業に入られた場合、組織や社会にどのように貢献していくのか、そのために自分に何が 出来るかを見極めて行かなくてはなりません。そこで専門性に縛られて狭い範囲でしか物事を考えられないと、可能性が狭まってしまいます。そうならないためにも色々なことに目を向けてほしいな、と思います。そしてそれを多くの人に伝えることができる説明能力をぜひ身につけてください。アイディアや実験の結果は素晴らしいものが揃っているのに、分かりやすい説明が出来ないばかりに、素晴らしさが伝わってこない方がたまにいらっしゃいます。そうならないためにも、学生の内に研究を簡潔に分かりやすく説明する能力を身につけておくと、研究者、技術者としてどこでもやっていけるのでは、と思います
酒類総合研究所
http://www.nrib.go.jp/
国税局女性職員からメッセージ
https://www.nta.go.jp/soshiki/saiyo/saiyo01-2/message/index.htm
「未来博士3分間コンペティション2015」 参加者募集中
http://www.hiroshima-u.ac.jp/news/show/id/23582
取材者:岡田佳那子(理学研究科生物科学専攻博士課程後期3年)