第11回 工学研究院 准教授 荻 崇先生

仕事も家庭も「両方」大切!メリハリある生活で日々を過ごす!

取材日:2016年6月15日
第11回特集コーナーは工学研究院 物質科学工学部門 化学工学専攻の荻 崇(おぎ たかし)准教授にお話を伺いました。
研究室のデスクに飾ってあるお子さんの写真を見せていただき、「とってもかわいいんだ」とおっしゃっていたのが印象的でした。
お話からは、研究に対する真摯な姿勢を強く感じました。研究室のモットーは「しっかり研究、ちゃっかり遊び、さくっと帰宅」。密度の高い研究を実践されながら、家族との時間も大切にされています。

略歴
2006年04月, 2008年03月 広島大学, 大学院工学研究科, 物質化学システム専攻博士課程後期,
2008年04月01日, 2010年08月31日, 大阪府立大学, 助教
2010年09月01日, 2014年12月31日, 広島大学, 大学院工学研究院, 助教
2015年01月01日, 広島大学, 大学院工学研究院, 准教授
2015年04月01日, スイス連邦工科大学, Institute for Chemical and Bioengineering, 客員研究員

研究内容

世の中に役立つ材料を作ろうということで、微粒子、ファイバーの研究をしています。同様の研究者は多くいますが、私たちは、「できるだけ省資源・省エネルギーにつながるような機能性材料を作る」という点をキーワードにオリジナリティのある研究を行っています。
具体的には3つの柱があります。
1つ目は、資源代替材料の開発です。レアメタルやレアアースは日本にあまりなく、海外からの輸入に頼っています。そのため、なるべく簡単に手に入る金属などの材料で、今使っているレアメタルやレアアースをほかの材料に置き換えられないかという研究を一つのテーマとしています。
2つ目は微粒子や繊維材料の構造化による省資源化と高機能化です。すでに一般的に使われている材料をなるべく少なく使用し、資源の浪費を防ごうという試みです。たとえば、球形の材料をちょっと工夫するだけで穴が開きます。穴が開いたり中に空洞ができたりすると軽くなりますよね。ぼこぼこ穴が開いて蜂の巣みたいになると、表面積も大きくなります。すると軽くなるだけではなくて反応効率も高まります。
このように、既に使われている材料だけれども、粉や繊維などの形や構造を変えて、より高機能、高効率化にしていくための実験を重ねており、高い資源を使う材料をなるべく少なくして省エネルギーにしようという研究をしています。
3つ目は資源回収プロセスの開発で、いわゆるリサイクルです。日本には金鉱脈や銅鉱脈などの自然鉱山は乏しいですが、都市鉱山はあります。都市鉱山とは、使用済みスマートフォンなどの廃棄物に含まれる金属資源を指します。都市鉱山の活用は、資源が少ない日本の大きなプロジェクトとして取り組んでいます。私たちの研究室では、この都市鉱山からの金属の回収をバイオ、つまり微生物の力を使って行うのが特徴です。これを日本でやっている人は少なく、とてもオリジナリティのある研究です。

ナノの世界で勝負!粒子の構造を変えて色々な場面で応用を!

先ほど述べた3つの研究のうち2つ目の研究について、具体的に塩を例に考えてみましょう。
塩を溶かした溶媒を超音波噴霧器という加湿機のような装置で加熱して水滴を飛ばします。すると、溶媒は蒸発して塩だけが残ります。それをさらに過熱すると塩の粒子だけを取り出すことが出来ます。取り出した粒子は1つ0.0005㎜ほどの大きさです。
次に、塩の粒子とともに高温で分解・蒸発する鋳型粒子と呼ばれる粒子を入れて加熱します。塩は約800度程度で溶けますので、一緒に入れる鋳型粒子はそれよりも低い400度程度で溶ける粒子としましょう。この二つの原料を600度くらいの高温場に噴霧させると、鋳型粒子だけが先に蒸発することになり最終的に塩の粒子だけが残ります。残った粒子はきれいな球形ではなく、鋳型粒子が蒸発するときに生じた穴の空いた粒子となります。
また、鋳型粒子の表面は静電気を帯びており、プラス(正帯電)、マイナス(負帯電)の性質をもっています。そのため、このプラスやマイナスを変えるだけで、原料粒子と鋳型粒子がくっついたり反発しあったりと性質が変わるので、最終的な粒子の形も変わることになります。
このように、鋳型粒子の性質を変えたり、サイズを変えたり、原料と鋳型粒子の濃度比を変えたりすることによって、いろいろな形の粒子を取り出すことに成功しました。
これらの粒子は、医薬、化粧品、環境修復、電子材料、自動車など、様々なところでの応用が期待されています。

下の画像:研究室で合成した様々な形の微粒子材料。エネルギー、環境、医療など幅広い分野への応用が期待

子ども時代の自分

あまり覚えていませんが、親の転勤による引っ越しが多かったので、その過程で「友達づくり力」を磨いたと思います。甘えん坊な子どもだったと思いますが、友達と何人か集まって遊ぶときにはリーダーシップを取りたいタイプで、上級生がいても自分がリーダーシップを発揮していました。新しい遊びを思いつくのも得意だったと思います。
それから高校生の時は、社会と英語が得意でした。そのため、文理選択の段階で文系に行こうと思っていました。ところが、父に「社会と英語が得意なのは武器になるから理系に行ってみてはどうか?」と言われました。そのアドバイスが正しいかったかどうかはわかりませんが、当時は父にそう言われて「そうか」と思って理系を選びました。単純な考えだったかもしれません。

 

ドクター時代:何かのナンバーワンになりたい!!

ドクターには、恩師の奥山喜久夫先生に薦められて進学しました。当時は将来像を明確に持っていたわけでもなく、不安もあまり感じていませんでした。また、当時は大学の研究者になりたいというよりも、博士号を取得したら地元の福岡県に戻って民間企業に就職しようと考えていました。
転機となったのはドクター2年生の時です。恩師の奥山先生に「大阪府立大学に助教のポストが空いたから行かないか?」と言われました。「先生、僕はまだドクター2年生ですよ」と言ったのですが、「論文を早く書いて2年間で博士号を取得して助教として赴任するということだ」と言われました。
先生のこの一言がきっかけとなり、助教の採用試験を受けさせてもらって受かることができたので、大阪府立大学に赴任しました。
私は、今を生きるということ、目の前のことを一生懸命頑張るというスタンスでこれまで生きてきました。その中でずっと持ち続けてきたのは、「せっかく生まれてきたのだから何かのナンバーワンになりたい」という気持ちです。
人間は、世界の誰にも負けない能力を1つ持っているといいます。私はせっかく生まれてきたのだから何かでナンバーワンになりたいと思っていました。誰もやってないことをやるということが研究だと思っていたので、研究者になればその分野でナンバーワンになれるのではないかなと考えました。
実際、ナンバーワンになるのは簡単ではありません。野球でナンバーワンになるのも歌手でナンバーワンになるのも難しいことです。しかし、研究は誰もやっていないことをやるというのがスタートラインなので魅力的でした。
これまでの人生は、一生懸命目の前のことをやってきて、与えられたら運命かなと思って取り組んできました。
結果を見たら順調な研究人生に見えるかもしれませんが、気持ちの上ではいつも波乱万丈で毎日エキサイティングな人生を送っています。

研究者になって悩んだ時や仕事が大変だったときを振り返って

これまでに、研究者としての自信がなくなって辞めたいなと思ったことも4、5回はありました。真剣に考えれば考えるほど「自分は研究者に向いていないんちゃうかな」と思ってしまいました。
たとえば、自分がまだ若いころの話ですが、指導していた学生に対して、研究に対する自分の熱い思いがなかなか伝わらなかった時や、論文がリジェクトされてしまった時、それから「この人にはかなわないな」と思うようなとてもすごい人に会った時ですね。そういう時に自信をなくすことがありました。みんなそうじゃないでしょうか。
自信を無くした時には、「人生は長いから何が起きるか分からない」という考え方をするようにしていました。それに、研究に向いていない人が研究をやっていてもいいかと思うこともありました。向いていない人がやっていると、そこにオリジナリティが生まれるでしょう。研究ができるすごく優秀な人ばかりが集まるところに、研究に向いていないような人がいるのもドラマチックだと思いませんか。誰かに勇気を与えられますよね。そういうスタンスで自分をとらえるのもオリジナリティになるかなあと思いました。
大阪府立大から広島大学に転任し、助教として恩師の奥山先生のもとで勤務していた5年間は、仕事量が多く大変な時期でした。自分の研究をオリジナリティがある研究として進めながらも、研究室としてやらなければならない仕事もこなす日々でした。恩師の先生がアクティブな方なので、実験室で研究するばかりではなく、いろいろな企業の人に会わせてもらったり海外出張に連れて行ってもらったりしました。ただ当時の若い自分は、とにかく自分の研究がしたいという気持ちが強かったので、自分には奥山先生の考えが理解できませんでした。
でも、駆け出しの研究者時代に、世界を見て、現場を見て、そのうえで自分の研究を見直すという機会をたくさんいただいたことは、今振り返るとありがたく思えますね。その時にいろいろな方にお会いして築いた人間関係は今もすごく生きていますし、ものすごく大事なことだったのだと今となって思います。

写真:研究室の学生と一緒に

研究室の学生と一緒に

スイスでの経験を日本でも!仕事も家族も精一杯大切にする!

プライベートでは、結婚して5年目に待望の子どもが生まれました。今(取材当時)は生後10か月です。ちょうど私がスイス連邦工科大学に行っている期間と出産予定日が重なっていました。当初最初は子どもが生まれてから帰国する予定でしたが、訪問先のWendelinJ.Stark先生が「大事なことだから日本に帰るべきだよ」と言ってくれて、出産に間に合うように日本に帰ることができました。
ヨーロッパに滞在中に感じたことは、家族を大切にする文化です。仕事も大切ですが、家族も大事にするという生活スタイルが浸透しています。Stark先生は、朝は8時に研究室に来て、夜は17時くらいには帰宅します。Stark先生も1歳と4歳くらいの子供を育てている父親なので、夜はさっと帰り家族との時間を作っています。
ただし、成果を上げることは絶対です。スイスで所属していた研究室は、上下関係で先生との関係に気を使うといったことを排除して、とにかくいい研究をするために意見を交わそうという、とても風通しが良く個人の意見を大事にする研究室でした。短時間で成果を上げる研究をするためには、このような風土に加えて、研究者自身の工夫と決断力と直観力、そして瞬間の判断力が大切だと考えています。
Stark先生から学んだ「研究の成果もきちんと出しながら短い時間で仕事終わらせる」という働き方は、私も真似したいと思っています。研究室には8時半には行き、夜は18時に帰るのが目標です。私は朝方なので朝5時半に起きて自宅で仕事をしています。それが唯一自分の時間であり、論文を執筆する時間です。夜は、少し伸びたとしても18時半くらいには仕事を切り上げて帰宅できるように心がけています。帰宅したら子どもをお風呂にも入れています。
高度経済成長期は、本気で死にもの狂いで働いていた時代だと思います。私も一生懸命に長時間研究をしたからこそ成果が見えてきた経験をしたことがあるので、その経験もとても大事だと思っています。徹夜で研究して見出せるものも絶対あるのですが、それを強要するのではなく、社会も次のステップに行くべきだと考えています。やはり新しい働き方に順応したような形でワークライフバランスを大切にする働き方もこれからは大切だと思います。
仕事と家庭、どっちかではありません。「両方」です。絶対にできると思います。これからも仕事も家庭も大事にしながら両方の質を保つ生活をしていきたいと思います。

写真(上):日本に帰国する前にStark先生と一緒に
写真(下):スイスで所属した研究室の皆さんと(右から二人目がWendelinJ.Stark先生)

日本に帰国する前にStark先生と一緒に
スイスで所属した研究室の皆さんと(右から二人目がWendelinJ.Stark先生)

10年後の自分:もっと世の中に貢献したい

スイスに留学していた時にお世話になったStark先生には、「研究は数多くの論文を書くことではない。量を書いて終わりではない。本質を見失ってはダメだ」と言われました。今困っている人を助ける研究、世の中に本当に役立つ研究をやろうという信念を貫いている研究者でした。このような指導はとても刺激的でした。
今の私の研究は通過点ですが、10年後には、自分が世の中に貢献していることを今よりも実感できるような力をつけていたいです。大切なものや自分の信念を守り通せるような力をつけたいと考えています。
それから運動もしたいと思います。大学時代はテニスサークルに入っていて、運動が好きな人間です。最近はあまりできていないので、これを機に運動する時間も大切にして、メリハリのある切り替えができる自分でいたいと思います。

 

取材者:二宮 舞子(総合科学研究科 総合科学専攻 社会環境領域 博士課程前期2年)


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