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研究者への軌跡

カオス(混沌)≒一歩間違えると何になっていたことやら?

氏名:平岡 裕章

専攻:数理分子生命理学専攻

職階:准教授

専門分野:応用数学。特に力学系、数値解析。

略歴:大分県出身。大分工業高等専門学校から大阪大学工学部へ編入学し、大阪大学大学院基礎工学研究科で理学博士を取る。その後1年間の北海道大学でのポスドク(日本学術振興会特別研究員PD)を経て、平成18年3月から広島大学理学研究科助手になる。趣味は魚釣り。北海道で釣った80cmの鮭が過去最大。

 

さて、これまでの研究生活(10年足らずですが)を時系列で振り返ってみましょう。
 

出会い
研究というものを意識したのは大分高専の学生の頃だったかな。最終学年の卒業研究で無線通信におけるCDMA方式に関する回路設計をすることになりました。その時の担当教官であった渡辺先生は大分高専電気工学科の名物先生で、若干20歳の若造に対しても“研究者魂”を徹底的に指導してきました。指導は厳しかったですが、なんだか研究って楽しそうだなぁと感じながら卒業研究に取り組めたことを覚えています。
私は大学への編入学を希望していたので卒業研究と同時に編入先の大学も探していたのですが、あるとき渡辺先生が大阪大学工学部にいるある先生の存在を教えてくれました。その方は光ファイバー通信の中心人物であると同時に、物理の分野、数学の分野でも活躍している超スーパースター。しかもその方は渡辺先生の大分高専における初期の学生だそうな。とてつもなく偉大な先輩の存在を知り、「これは運命の出会いだ!行くしかないだろっ!」と単純に洗脳させられました。
さて運良く阪大の編入試験にも合格しました。登校初日、意気揚々とその先生に会いに行くととんでもない事実が待ち受けていました。その先生曰く「ようこそ阪大へ。でも僕はすぐにアメリカに帰るから阪大は辞めるよ。」なんとまぁ、、、がっかりでした。でもその先生からはアメリカに帰られてからもいろいろ御指導をして頂き、僕の研究者人生にとってなくてはならない出会いの一つになりました。
そんなこんなの波瀾万丈の幕開けとなった阪大生活ですが、ここでもう一つ大事な出会いが待っていました。それはアメリカに戻られた先生の阪大工学部での研究室に所属していたドクターの先輩達です。この方達もすごかった。研究室の四天王と呼ばれるその方達は、それぞれの研究分野では当然世界の第一線で活躍しているだけでなく、その倍以上のパワーを遊びに注ぎ込んでいるのです。遊び好きの僕にとっては単純に「カッコエェー」です。そんな先輩達に金魚のフンのようにくっついて遊び、酒を飲み、勉学をするという生活を続けるうちに、能力の無い僕でも世界を相手に一人でやっていけるのではないかと思えてきました。これが今後の大学院修士時代の問題の種になるのですが。
 

悩み→酒→悩み→酒→‥‥
工学部での学部生活を終え、大学院は大阪大学の基礎工学研究科に進学しました。しかし大学院修士の頃はいろいろなトラブルが発生しました。いや、本当にいろいろあった。まぁ原因は自分のやりたい事を主張しすぎたことによる、周りの環境への“きしみ”です。いやー、結構悩みましたよ。自分の研究分野とか、方針とか、人間関係とか、、、。白髪が増えました。酒も浴びるほど飲みました(これはいつもそうですが)。悩みの内容は詳しく書きませんが、今考えればかなりアホなことをしていました。良い経験にはなりましたが。
 

猛ダッシュ
さて修士の頃は悩み続けていましたが、博士課程進学を決定づける出会いがありました。その方が私の博士課程時代の指導教官です。決めてはズバリ、“フィーリング”。なんていい加減な、、、でもまぁこんなものです。分野は違うし、博士課程から違う研究をすることになるしいろいろ不安材料はあったけど、今思えばこの先生の下で学位を取りたいと強く感じていましたね。そうと決まれば、あとは突っ走るだけでしょう。かなり突っ走りました。気がつけば博士課程3年というのはあっという間に終わっていて、そのまま突っ走って北海道でポスドクをし、気がついたら広大の助手になっていました。
 

ふと立ち止まって
長渕剛の名曲「Captain of the Ship」という歌をご存知でしょうか。約13分間ある大作で、歌というより叫びです。簡単に言うと自分の腕力で世界の荒波に立ち向かえっ!!ということを熱く、熱く、熱く、叫んでいるわけですが、最近ふと気がつくとこの歌が僕の心の中で響いていることがあります。ちなみに私はかなり熱いタイプの人間です。博士課程の頃から猛ダッシュをかけ突っ走っているわけですが、最近ふと立ち止まることがあります。そんな時にこの歌が流れてくる。それもそのはず、突っ走ってきて最近周りに見えてきている景色は、“完全な孤独”なのです。研究とは孤独との戦いであると誰かが言っていたけど、本当にそうですね。答えがあるのかどうかもわからない問題に立ち向かっていくわけですから。「Captain of the Ship」がよく最近流れるのは、そんなことを考える余裕が出てきたからでしょうか。いずれにせよこれが研究者としてのスタートラインであることは間違いありません。臆すること無く立ち向かわねば。
 

さてこれまでに見てきたように、大分高専で無線の勉強をし、大阪大学工学部で光ファイバー通信に興味を持ち、大学院修士課程では物理の話に首を突っ込み、博士課程からは数学です。まさか自分が今数学の道を歩くことになるとは想像もしませんでした。僕の性格を考えると、わずかなきっかけや出会いの違いで、今と全く違うことをしていたかもしれません。常に興味の向くままにといえば聞こえは良いが(自分としては連続的につながっているのですが)、悪い言い方をすると長続きしないともいえるのかな?でも自分の信念は(若干曲がったりはするが)“しなやか”に折れずに貫いているつもり。今後もどうなることやら。


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