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研究者への軌跡

自然科学の魅力

氏名:大前 英司

専攻:数理分子生命理学専攻

職階:助教

専門分野:分子生物学および蛋白質科学

略歴:理学研究科助手。学位は博士(理学)。1967年生まれ。名古屋大学農学部卒業、名古屋大学大学院農学研究科博士後期過程中退後、現在に至る。大腸菌をはじめ、種々の生物に由来するジヒドロ葉酸還元酵素の構造と機能を研究しており、現在は主として深海微生物由来のジヒドロ葉酸還元酵素を用いて蛋白質の耐圧機構を研究している。趣味は洋蘭の栽培で自宅の温室に約150鉢を栽培している。
またドライブも好きで、毎年15,000kmほど走っている。

 

このページを見る人はきっと理科や数学が好きな人であろう。私自身も小さいころは理科や数学(算数?)が好きだった。理系の研究者になるきっかけはいろいろあるかもしれないが、「自然科学が好きだから」という点では皆共通しているのではなかろうか?
それでは自然科学の魅力はどこにあるのだろうか?ここではスポーツと比較して考えてみることにしよう。
 

自然科学とスポーツの共通点にはどんなものがあるだろうか?どちらも日々の努力により自分自身を高めていかなければならない点が共通している。一般人がいきなり明日からプロゴルフやプロ野球で活躍しようと考えても、それは無理である。プロゴルフやプロ野球で活躍するためには、小さいころからゴルフや野球の技術を磨かないといけない。同じように、自然科学の真理や新しい発見も、何の知識も経験も持たない人がある日突然思いつくようなものでは決してない。日々の実験や探求による知識の積み上げとして、必然的に導かれるものである。一流の科学者になって大きな発見や成果を得るためには、長い修練と努力が必要なのである。そういう意味では、一流の科学者には億単位の年収が与えられてもおかしくないのかもしれない。しかし現実には、一流の科学者でも年収は1千万円程度にしかならないから、金持ちになりたいならば科学者になるのは避けたほうがいいようだ。
 

それでは、スポーツと自然科学の違いはどこにあるのだろうか?大きな違いは、相手がスポーツでは人間であるが、自然科学では事実や現象であって人間ではない点である。スポーツでは相手も努力をするから、これに打ち勝つにはそれ以上の才能と努力が必要であるが、自然科学では相手が努力をすることはない。そういう点では、自然科学のほうが楽かもしれない。しかしながら、スポーツでは相手がミスをすることもあるが、自然科学では相手がミスをすることは絶対にない。また、スポーツのように数時間で結果が出ることは極めて稀で、多くの場合は数日〜数週間、場合によっては数ヶ月〜数年にわたって仕事を続けていかなければならない。しかも、その間に自分が一度でもミスをすると、それまでとそれ以後の苦労(最後まで進めないとミスがわからないことも往々にしてある)がすべて無駄になってしまう場合もある。そういう点では、スポーツよりも非情で厳しい世界かもしれない。
 

また、スポーツにおける価値判断は結局のところ相手に勝ったか負けたかだけであるが、自然科学では真偽とか正誤といった勝ち負け以外の価値判断が可能である。スポーツにおいても、個人の記録などは直接的な勝敗とは無関係なように見えるかもしれないが、これらはすべて破られる可能性があることを考えると、他の人間との優劣、すなわち勝敗に由来するものだといえる。しかし自然科学における真理は未来永劫にわたって成立し、いかなる人間もそれを凌駕することはできない。けれども、自分自身も含めて万物はその真理に従っているのであり、それに従ったからといって負けたことにはならない。真理は勝敗とは別のものである。
 

このように比較してみると、自然科学の魅力は、諸行無常の現実世界において、未来永劫まで変わることのない確かな真理を打ち立てることができることにあるのではないだろうか?また、何事も「勝ち負け」で決めてしまう風潮が強い昨今、勝敗とは違う価値観を提供してくれるところも自然科学の魅力であるように思われる。他にも自然科学にはいろいろな魅力があるだろうが、これを読んで自然科学に魅力を感じ、研究者を志す人が一人でも増えてくれると幸いである。


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