理学研究者への軌跡 -果たしてなれるのか??-
氏名:鈴木 賢一
専攻:数理分子生命理学専攻
職階:特任准教授
専門分野:発生生物学
略歴:広島大学大学院理学研究科博士課程修了。広島大学大学院理学研究科博士研究員を経て、現在に至る。専門は発生生物学。脊椎動物の発生過程における幹細胞の分化について興味有。悪戦苦闘、七転八起、七転八倒、無我夢中。
寺田寅彦、御存じで無い方の為に少し説明。優秀な物理学者であり、同時に随筆家。文豪夏目漱石が最も可愛がった弟子と言われ、「我が輩は猫である」の登場人物である物理学者の水島寒月は彼がモデルである。彼が大正10年に執筆した随筆の中に興味を引く文章があった。
彼はこの随筆の中で物理化学と生物学の最終接点、すなわち物理化学の法則で生命の真理を説明できる日について触れてある。「最も複雑な分子と細胞内の微粒の距離は甚だ近そうに見える。しかしその距離は全く吾人現在の知識で想像し得られないものである」。自分なりの解釈を付けると、「最も複雑な分子」とはタンパク質や脂質、「細胞内の微粒」とはオルガネラ(細胞内小器官)。「距離」とは物理的な距離ではなく、有機物と生命を隔てている理解の距離。「もしそれが成効して生命の物理的説明が付いたらどうであろう。(以下省略)生命の神秘が本当に味わわれるのはその日からであろう。」彼はその日は来ないかも知れないとも書いている。それから約80年、その日は訪れていないが(訪れることはない?)、科学者はそれを目指して不休の努力を続けている。遺伝子の正体が解り、ヒトゲノムのドラフトシークエンスが決定され、その大部分の生命情報は文字化されたが、未だ生命の仕組みを言葉では説明できない。遺伝子一つを取っても、細胞や個体形成におけるその機能を研究し尽くしたとは言い難い。その距離は遠く、私が死ぬまでに訪れることもなさそうだ。
最後に彼はこう書き納めている。「私は生命の物質的説明ということから本当の宗教も本当の芸術も生まれて来なければならないような気がする」。現代の生命科学が病気の治療や有用な物質を作ることにより人類に対して具体的に貢献している事は言うまでもない。我々が発見したことが基になり、難病で苦しんでいる人たちを再生医療や遺伝子工学により生み出された薬で救う事が出来れば素晴らしい貢献である。ただそれと同じくらい重要な使命は、生命の神秘と普遍性を人類に対してより具体的に解りやすく提示することではないだろうか。肌の色、言語、宗教、思想、全てを超えた普遍の生命の真理を人類が知り、何か(生命の尊さ)を感じた時、真の世界平和が訪れれば、それは生物学者にとって最大の喜びではないだろうか。
注)私は特定の宗教に固執しているわけではありません(笑)。クリスマスはケーキを食べますし、バレンタインデーには貰ったチョコレートを喜んで食べます。正月は神社にお参りに行くし、仏壇にお線香も上げます。
引用文献 「寺田寅彦随筆集」寺田寅彦著、小宮豊隆編、岩波書店
残念ながら、若い研究者にとって現在の環境は非常に厳しいものです。それでも、この世界に魅せられて入学してくる学生さんが存在することは我々の励みになります。