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研究者への軌跡

研究者への軌跡 -人との出会い-

氏名:大山 義彦

専攻:数理分子生命理学専攻

職階:准教授

専門分野:生化学

略歴:広島大学理学部卒業、広島大学博士課程前期修了、広島大学歯学部助手、広島大学理学研究科助教授

 

私は広島大学理学部の出身です。化学科を卒業したのち、同博士課程前期に進みました。卒業論文研究、修士論文研究では、有機化学反応の解析を行いました。修了後、広島大学歯学部の助手として、生化学分野の研究に携わることになりました。9年間歯学部に勤めた後、理学部に移動し、現在に至っています。研究を語るには早すぎると思いますが、この機会にこれまでの軌跡を振り返ってみます。高校生の皆さんが将来を考えるときに、多少でも参考になれば幸いです。
 

振り返ってみて、今ここにいるのは夢に向かって努力したと言うより、人との出会いと巡り合わせだったと思います。ご指導頂いた先生、同級生、先輩、後輩、同僚の方々のおかげです。色々な方と出会い刺激され、そしてその時々にできる範囲で努力する。その繰り返しです。どちらかというと受け身、時流に合っていないかもしれません。
 

さて、私は今から28年前に広島大学の理学部に入学しました。よくあるように高校で理科の成績がちょっとよかったのが理由で、それを専門にする学部なら、色々と疑問に思っていることが勉強できるだろうと思いました。広島大学を選んだ理由は単純で、出身の山口県から近い一期校だったからです。不合格だったら今とは違うところで違うことをしていると思います。さて、運良く入学した大学ですが、講義は難しく、ほとんど理解できませんでした。それで、大学はすごいところだと思いましたし、自分の知識なんて無いも等しいことを思い知りました。また、あまりに情報量が多いので、どうやって勉強していけばいいのか全く分かりませんでした。今考えると、その道の先生が教えたい豊富な内容を限られた時間で解説しているのですから、理解できなくても仕方なく、大学での強烈な洗礼だったと思います。一方で、大学は当時、レジャーランドといわれ、卒業に必要な単位をできるだけ楽に集め、そして自由な時間を作りだし学生生活を楽しむ雰囲気でした。大学も放任主義で寛大だったので、講義が理解できないことは、それほど悩みの種にはなりませんでした。講義をはなれても、同じ分野に興味を持っている人が集まってきていますから、話題や価値観に共通点がありますし、人生観をぶつけ合うにはもってこいです。そんな大学生活に満足していました。
 

2年生からは学生実験が始まり、やっと化学科に来たような気がしました。実験を通して、反応は、教科書にあるのと違い繊細で些細なことで結果が変わることをたくさん経験しました。失敗してその原因を考え理論的に謎解きをする。この作業は大切ですし、おもしろいですよ。4年生からは、研究室に配属され、卒業研究に取り組みました。1日をどのように使うか自分で決めての研究、その上、個別に指導してもらえる。先生は同じ実験室におられるので疑問点はすぐに相談できる、先生や先輩との会話も勉強になることばかり、怒られてもそれは自分の未熟のせい厳しく鍛えられました。学ぶことがたくさんありましたので、博士課程前期(修士課程)へ入学しました。修士に進むと、学科の先生から、名前を覚えていただき、研究だけではなく色々なことで楽しく過ごすことができました。3年間、先生や先輩に教えていただいたことが、私のサイエンスに対する考え方に、人生観に決定的に影響しています。
 

さて、就職ですが、教授から歯学部の口腔生化学教室の助手の話を頂き、そのまま受ける形で勤務することとなりました。大学の先生になることは、かなりのプレッシャーで躊躇しましたが、大学での職が舞い込むなんて、滅多にあるものではないので、これも巡り合わせと思っています。お世話いただいた先生には大変感謝しております。このようにして歯学部に勤務したわけです。歯学部では、教育の責務として学生実習の担当がありましたが、その他の時間は、生化学教室の研究(脂質代謝の生化学)に取り組むことができました。教授以外の先生は、30代前後、博士課程の学生は同世代、周りの研究室の先生も若くアクティブで、今から考えると大変ありがたい環境でした。その新しく飛び込んだ分野で博士研究とポスドク研究をさせていただきました。その頃は、まさに遺伝子工学の技術が広がって来た頃でしたので、新しい技術を学ぶことができ幸運でした。歯学部で行ってきた研究が、その後の自分の研究分野となりました。7年後に指導いただいた教授が退官され、後任に細胞生物学(軟骨細胞の分化)を専門とされる気鋭の教授が着任されました。生化学教室でやって行くには、研究の方向性を考えることが必要になりました。
 

そうこうするうちに、理学部であたらしく独立専攻を作るので、応募しないかと話を頂きました。人のつながりは有り難いものです。その話が進み理学部で勤務することになりました。私にとっては、歯学部での9年間は研究以外にも、疾患や臨床研究、医師の仕事、病院の仕組などを垣間見る大変貴重な機会となりました。理学部に戻ってからは、職階が変わり、研究だけではなく、学生教育に携わることが求められましたので、大変苦心しましたし、今でも苦心しています。ここ10年で、大学院の重点化、専攻の再編、法人化という大きな改革が行われてきました。大学は大きく変わろうとしています。今まで研究に比較し教育が軽視されていた点を改め、これからは、教育面では達成目標をはっきりさせて、講義の質をあげ、理解度の向上を目指しています。講義で直接学生と接する身としては、ひとそれぞれ違いますからなかなか難しい課題で、学生諸君の努力と理解も必要かと考えています。
 

これまで大学に勤めて、楽しいことや辛いこと、色々ありましたが、一番印象に残っているのはスウェーデンのカロリンスカ研究所(医科大学)に研究員として滞在し、その文化に触れることができたことです。スウェーデンは北欧の福祉の充実した国として有名です。また、アイスホッケー、スキー、サッカー、テニスなどのスポーツに強く、音楽などでも著名人を輩出しています。人口は900万人ほどで、それほど大きな国ではないのですが、国際的にすごく存在感のある国です。そしてノーベル賞です。カロリンスカ医科大学はノーベル医学生理学賞を決定する大学なのです。2003年春から冬にかけて滞在しましたが、受け入れ先の教授の尽力で12月10日のノーベル賞の授与式に出席することができました。ノーベル賞は子供頃に読んだノーベルの伝記で知って、科学への憧れでもありました。まさかスウェーデンで授与式を生で見ることができる機会が来るなんて思ってもいませんでした。ちなみにその時の医学生理学賞は核磁気共鳴画像化法に関するもので、化学賞は膜のチャネルに関するものでした。
 

いざ振り返ってみると、書けないことも多くあり、とりとめのない駄文となりました。最後に、今、大学は時代の要請に沿ったものに変わろうとしています。母校の広大がよりよい大学へと進化していくことを願っています。


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