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研究者への軌跡

学生時代を振り返って

氏名:松本 敏隆

専攻:数理分子生命理学専攻

職階:助教

専門分野:非線形発展方程式論

略歴:理学研究科助手。博士(理学)。
1962年生まれ。京都大学理学部卒業。広島大学大学院理学研究科博士課程後期中途退学。

 

何か書かないといけないということなので、取りあえず思いついた昔話をそのまま書いてみます。魅力的で為になるお話については、他の先生方の所を参照してください。
 

現在数学の研究をしているわけですが、中学生までは特に数学が得意というわけではありませんでした。数学が好きになったのは、高校に入学してからです。中学生のときは、解答欄が狭いこともあって、答案は計算を書きなぐっただけのひどいものでしたが、高校に入って、きちんとした答案を書くこと(他の人が読んで書いてあることが判るような答案を書くこと)を学んでからは、どういう訳か数学が好きになりました。一度好きになってしまえばこっちのもので、3年分の数学の内容を2年間で教えるという授業のスピードも快適そのものでした。理科全般が得意であったこともあって、何となく理系に進むことは決めていましたが、どの学部に進むかまでは決めていませんでした。その当時、岩波新書の一冊として朝永振一郎先生の「物理学とは何だろうか(上)」が出版されました。この本が頗るおもしろくて、これは是非とも理学部に進もうと思いました。(読んだことがない方は是非読んでみてください。お勧めです。)
 

その後、浪人生活を経て理学部に入学しました。その時代は、授業なんかに出るより、自分たちで専門書を輪読(自主ゼミ)した方がいい、と吹聴する先輩方も多く、そのせいもあって、入学早々パウリの相対性理論の本と数学基礎論の本の輪読を行いました。掲示板に、こういう本の輪読を計画しているので、やりたい人はいつどこそこに集まれ、と書いた紙を貼っておくと物好きが適当に集まってくるといった風でした。予備知識も満足にないまま相対性理論の専門書を読むのは当然のことながら無理がありました。数学的な概念や道具に関する部分はこういうものだと思って読み進めて行くわけですが、途中からどうも気持ちが悪くなって数ヶ月で落ちこぼれてしまいました。数学基礎論の方は、1年半くらいは続いたように記憶しています。
 

語学と体育くらいしか必修のない大学だったので、2年生からは主として3年生向けの講義に出ました。大学の授業には講義と演習があるのですが、このときは演習を取っていなかったので、定義や定理の意味、使い方などがなかなか理解できず、演習の大切さを実感させられました。今はさすがに違うとは思いますが、当時はのんびりしていて、3年生の後期に試験を受けたその結果が1年後(従って、単位も1年後)に出たり、4年生の前期の終わりに「成績についてはそのうち掲示します」といったまま音沙汰無く、その先生のゼミにいた学生が卒業前の1月頃に先生に聞いて見た所、先生はすっかり忘れていて、そのゼミの学生だけに単位が出た、なんていうこともありました。(私は違うゼミだったので単位をもらい損ねました。)今だと問題の多い話なのですが、その当時は学生もこうしたいい加減さを受け入れて楽しんでいたと思います。
 

4年生の卒業研究では、数学だけではなく物理の学生も混じってセミナーを行いました。
入学時から数学科、物理学科等と分かれているのではなく、そのうち適当に分かれていくという方式だったので、私の場合数学科以外に友人が多く、卒業研究も混成となりました。みんな入学時から自主ゼミをやっていたこともあって、セミナー中に活発に質問するなど活気に満ちており、先生は時々コメントを挟むだけで、後は自分達でわいわいとやっていました。
 

大学を卒業後は、広島大学大学院理学研究科に入学し、そして現在に至るわけですが、大学時代に自主ゼミなどを通して他の分野の人達とあれこれと議論したのが、よかったのかなぁと思っています。現在の所属は、数理分子生命理学専攻という、数理科学と生命科学の融合研究を目指しているところです。興味のある方は是非どうぞ。


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