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研究者への軌跡

研究者への軌跡

氏名:谷本 能文

専攻:数理分子生命理学専攻

職階:教授

専門分野:

略歴:

 

我が家は、父を早く亡くし大変貧しかったので、私は工業高校へ進学するはずだった。中学3年の担任の常松昭先生が、「日本育英会に特別奨学生の制度ができたので、大学まで進学させてやったらどうか」と、熱心に母を説得された。その結果、家族に負担をかけて申し訳なかったが、私は普通高校の松江高校(後に松江北高)へ進学し、大学を目指すこととなった。(日本育英会の特別奨学生の制度に高校・大学を通してお世話になったものとして、この制度が復活することを強く願っている。)高校では、化学分析クラブに所属した。もっぱら理科教員室で遊んでいたように思う。毎週土曜日に近くの大橋川で水を採取、塩化物イオン濃度の分析などをしていた。3年生も終わりに近づき、いよいよ大学受験願書提出のときがきた。工学部の応用化学科志望の願書を書き、その願書をもって何気なく理科教員室へ立ち寄ったところ、先生方から、「君は、工学部向きではない、理学部にしなさい」と説得され、ついその気になって願書を理学部化学科に書き換えてしまった。
 

そんな訳で、昭和38年の春広島大学理学部化学科に入学することになった。入学してしばらくすると大学の授業にも慣れ、いろいろ不満を感じるようになった。あるとき一般化学の講義をされていた当時教養部の今井日出夫先生に、つい不満を言ってしまった。先生は自分の研究室に遊びに来なさいといわれ、それをきっかけに今井先生、古前恒先生(チューター)、井上千吉先生(副チューター)など化学の先生方の部屋に出入りするようになった。そして、友達数人といっしょに毎週土曜日に英語の化学の教科書を輪読したりした。多分半年は続いたと思う。1年生の春休みに今井先生から簡単な実験をすることを勧められた。その実験結果を纏めて「化学と工業」のアイデア欄に投稿してくださったのが、「メスフラスコの加熱乾燥による容量誤差、谷本能文、化学と工業、17, 754 (1964)」である。19歳のときのことである。この時、絶対に大学で研究を続けたいと思った。
その後何とか無事に4年生に進級し、高分子化学講座(村田弘教授、林通郎助教授)の研究室に配属された。良い先生や先輩・同級生に恵まれ楽しい卒業研究時代となった。はじめは大学院進学のつもりであったが、経済的なこともあり就職することにした。そして昭和42年春、当時好景気の帝人に入社し、テトロンの主力であった愛媛県の松山工場に配属となった。
 

社会人生活に慣れてくるにつれ大学での研究生活の夢が捨てきれず、入社して半年後には大学院進学を考えるようになった。職場から帰ると、直ちに仮眠、夜密かに物理化学講座を紐解くという生活が続いた。社会人を続けるかそれとも大学院進学するか、迷いに迷ったが、結局翌年6月に意思を通して退職した。
大学院をどこにするか迷ったが、他大学の大学院を受験することとした。研究室の選択と受験対策に関しては広大時代の研究室の先輩には大変お世話になった。そして、東大物性研の長倉三郎先生の研究室に加わることになった。長倉研は、(多分)本郷の化学教室に飽き足らない猛者が集まり、非常に活気のある研究室だった。当時強磁場を使って分子の励起状態を研究していた私は、分子科学若手の会の夏の学校で、「磁場で化学反応を制御したい」と夢を語り、仲間にからかわれてしまった。博士課程に入ると、自分で自分にふさわしいテーマを見つけて研究を行い、それを纏めて学位論文にするというのが、研究室の慣わしであった。私も、辛うじて小さな論文を纏めてなんとか学位をいただくことができた。大変な不肖の弟子で、いまでも先生の思いやりに感謝している次第である。
 

漸く学位はとれたものの就職口はなかった。幸いにも日本学術振興会の奨励研究員となり、念願の「溶液中の有機光化学反応の磁場効果」の研究に着手したが、実験はことごとく失敗であった。次の年は、理化学研究所の特別研究生に採用され、引き続き同じテーマを続けることになった。当時、理研の長倉研では林久治研究員が同様の研究をしていたが、二人とも実験がうまくいかず、その年の秋に林さんから共同研究のお誘いがあった。そこで、二人で協力して実験したのが「過酸化ベンゾイルの光反応生成物収量の磁場効果」の研究である。幸いにも非常にきれいな実験結果を得ることができ、ラジカル対理論によりほぼ定量的に実験結果を説明することができた。スピン化学の産声があがったときである。この実験が失敗していたら、その後のわが運命やいかにと、いつ考えてみても寒気がする思いである。
 

昭和51年春、同じ研究室の先輩の伊藤道也先生が金沢大学薬学部に赴任されることになった。私も連れて行っていただくことになり、2年間の博士研究員から足を洗い漸く定職につくことができた。伊藤先生からは、自由に研究してよいといわれたのを幸いに、以後有機光化学反応の磁場効果の研究を続けることと成った。
 

広島大学時代の恩師である林通郎先生のお誘いにより、平成2年春広島大学理学部化学科に転勤となった。広大では研究対象を広げ、いろいろな物理変化・化学変化・生物に対する強磁場の影響の研究を続けている。
 

平凡な言葉ではあるが、先生・先輩・同僚・後輩・学生・家族等周囲のたくさんの人達の暖かい支援のお陰で、何とか現在に至っているものと感謝している。


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