第16回 武田薬品工業株式会社 篠澤 忠紘 氏

グローバル化した製薬企業における理系研究者のキャリアパス

取材日:2018年11月6日

健康や医療に貢献し、生活を豊かにする医薬品。その製薬業界において国内最大手である武田薬品工業株式会社は、『誠実・公正・正直・不屈』というタケダイズムを掲げ、患者さんファーストな医薬品開発を行っています。また、京都大学iPS研究所と共同研究プログラム T-CiRAを立ち上げ、世界最先端の再生医療研究による革新的な治療法の開発も目指しています。本日は、この武田薬品工業の薬剤安全性研究所と再生医療ユニットにおいて、主席研究員として研究・開発に従事されている篠澤先生に、製薬企業における研究スタイル・ビジョン、そして理系研究者としてのキャリア形成についてお伺いしました。

 武田薬品工業株式会社 篠澤 忠紘 氏

略歴

【学歴】

2003年  3月 東北大学 農学部生物生産科学科 卒業
2005年  3月 東北大学大学院 農学研究科応用生命科学専攻 修了

【学位】

2014年  3月 東北大学大学院 農学研究科応用生命科学専攻 博士(農学)

【職歴】

2005年  4月 武田薬品工業株式会社 開発研究センター 研究員
2015年  4月 武田薬品工業株式会社 薬剤安全性研究所 主任研究員
2016年  4月 米国シンシナティ子供病院 客員研究員
2017年10月 武田薬品工業株式会社 薬剤安全性研究所 主席研究員
2017年10月 武田薬品工業株式会社 再生医療ユニット 主席研究員(兼務)

(現在に至る)

Patient centricityを掲げる武田薬品工業

武田薬品工業は、国内売上高順位(2016年)第1位を誇る国内最大手の製薬企業ですが、 その“強み”や“弱み”はどのように感じていますか

武田薬品工業(以下、武田)は、国内売上高では第1位ですが、世界では16位程度です。このような売上高は、薬の開発に成功するか否かに懸かっていて、成功したらどんどん大きくなります。そのような観点から考えてみると、この数年間、我々は研究に大成功してこなかった部分があることは認めなければならないと思います。ただ近年世界的に成長している製薬企業の多くは、常に独自に大きな成功だけをしてきたわけではなく、色々な会社が合併した結果として、成長している部分もあると思います。私自身は順位というよりも、患者さんのためになる研究をしていくことが大切だと思っていて、それをモチベーションにして研究をすることが我々の強みだと思います。また、武田でも買収を行っていますが、それは新興国に関する販売網の拡張であったり、シェアの拡大であったりといった明確な戦略の下で行っています。

武田薬品工業は江戸時代の薬種仲買商店を原点とした歴史ある企業とのことですが、そのメリットは感じますか

武田以外でも、大阪の製薬会社は薬問屋を原点に発展した企業が多いです。メリッとしてトは、数多くの成功事例を培ってきた点にあると思います。研究者として、たくさんの成功体験を先輩方から聞けることは、非常に価値が高いと感じています。例えば、薬の申請をするときには、様々な書類が各国ごとで必要になります。そういったことに関して、数多くのノウハウや先輩方・年長者の経験値があるので、一人でやるよりも非常に効率が良いです。

近年、武田薬品工業がフォーカスしている研究について教えてください

疾患領域では、消化器系、ガン、そしてニューロサイエンスに関して、優れた薬を作ることを目指しています。この3点に焦点を当てている理由として、これらに関する薬剤が少ない・足りないことが挙げられます。このような形で、患者さんにとって充実していないところに挑戦していくというPatient centricity(患者さん中心主義)が我々のポリシーであり、武田の根幹です。特に、これらの薬を作ることは非常に難しく、効果があっても副作用が出やすいという問題があります。しかしながら、我々はあえて難しい領域に挑戦することで、一人でも多くの患者さんを救えるようにと考えています。

多様な人材が集まる武田薬品の研究拠点

グローバル化を進める武田薬品工業の研究所について教えてください

日本では、湘南研究所が研究拠点となっています。海外では、米国のボストンやサンディエゴに研究拠点があり、電話会議やTV会議などを頻繁に行っています。私が働く湘南研究所の安全性部門では、日本に住んで、日本のオフィスに勤める外国籍の方はいませんが、ボストンやサンディエゴにも数人しか日本人はいません。一方で、安全性部門全体としては、日本人と外国籍の人の割合は同じくらいか、外国籍の方の方が多くなっています。 やはり、外国籍の人が増えてくると、レポートや会議は英語ですし、研究の資料も英語です。ただ、社内の庶務活動など、日本人だけでまとまるものは、日本語を使っています。公用語として英語が決まっているわけでなく、適宜場所に合わせて英語と日本語を使っています。ただ昔と比べて、英語を使う機会は圧倒的に増えました。

研究所における博士取得者について教えてください

研究所では、博士取得者は数多くいます。今では、博士を取得してから入社する人が多いですが、博士をもたずに入社した人でも、社会人博士や論文博士として博士を取ろうとしている人も多いです。実際に、私も論文博士で学位を取得しました。ただ、会社として学位の取得を全面的にサポートするということはなく、業務優先ですので、なかなか大変です。私の願いとしては、みんなに学位をとってもらいたいですが、取るために会社が時間を与えるということもなく、あくまで業務に繋がる研究の副産物として論文を書き、学位取得を目指すことになります。会社では、学位取得することは必須でなく、修士卒でも博士取得者でも、その能力に応じてキャリアを進展させていきます。

武田薬品工業の研究者は、どのような研究を行っていた方が多いですか

私の学位は農学です。また研究所では、薬学の人もいれば獣医もいます。また、Medical Doctor (MD)の方もいますし、分子生物の方もいます。多様な研究分野で活躍してきた人がいます。意外かもしれませんが、薬学系の研究をしてきた人が多いわけでなく、農学系も少なくありません。今の私のグループでは、工学、農学・獣医・薬学・医学系と、様々な学部出身の人がいろいろな研究を行っています。

研究所では女性も多く働かれていると聞きました

はい、そう思います。武田では性別に限らず、働きやすい環境の整備に力を入れています。例えば、研究所の中には保育所があったり、時間をフレックスに使えるようにしたりしています。武田は、ダイバーシティーに働きやすい環境作りを先進的に取り組んでいる企業の一つだと思います。

講演時の様子

製薬研究に邁進する研究者の歩み

製薬研究の楽しさを教えてください

いかに“好奇心が強いか”に尽きると思います。子供のように、『なんでだろう?』と考えることや興味を持ち続けていると、研究が嫌になりません。ただ企業では、自身の興味だけでは研究はできません。場合によっては、自身の興味をあきらめる必要があります。しかし、『患者さんに大切なもの』を『患者さんファースト』で考えると、自分のやりたいことだけでなく、企業として行う研究も大切であると感じます。自身の研究の最終ゴールとして、自身の興味とともに、患者さんへ貢献したいという思いがあるので、最近ではどのような研究でもモチベーションを高くして臨めます。

現在研究者として活躍されていますが、昔から研究者を目指されていたのですか

小さい頃から生命科学をやりたいとは思っていました。私の場合、仕事を選ぶ上で、人から感謝されるような“自分が価値を感じられる仕事”でないと、続けていくことが難しいと思っていました。その点から考えると、生命科学はダイレクトに人や社会に貢献していけるものだと思っていたので、生命科学の研究者になりたいと思っていました。

先生は、修士を卒業された後、社会に出てから学位を取得されています。修士時代に博士進学は考えられましたか

ずっと行きたいと思っていました。私の研究室では多くの方が博士課程に進学したので、私もと思っていました。実際に、研究を楽しくやっていたので、修士の間に論文を2報も発表させて頂きましたし、先生からも声もかけていただきましたし。しかしながら、当時は就職については、新卒に大きなチャンスがある時代でした。反対に、アカデミアにはそういった制限はないと楽観視していました。そこで、今しか民間企業に就職できるチャンスはないと思って、武田を受けました。

働きながら学位取得(論文博士)を目指す難しさはありましたか

体力の問題が非常に大きいです。会社で業務をした後に研究をして、論文を書き、投稿しなければいけないので、時間的にも厳しいと思います。私は、5~6年くらいかけてデータを何とか増やして、論文博士にこぎ着けました。企業で行う研究と学位取得の研究は、大筋で同じところもありますが、違うところも多いので、学位取得の研究に専念できるなら専念したかったです。また、業務以上の研究をするためには、さらなる予算も必要です。それをするために、上司に対して、“いかに自分の研究が大切なのか”“違う業務の研究であっても、今の業務に繋がっていくのか”ということをプレゼンし、説得していかなければなりません。このプロセスは非常に大変でしたが、これによってすごく鍛えられたと思います。ただ、私は論文博士でしたので、決められた期間で集中的に学位取得に挑んだわけではありません。そのため、社会人博士とコース博士の大変さがどうなのか?どちらが優れているのか?については分かりません。

近年、博士取得者の就職率などを気にして、博士進学を躊躇する学生もいます。そのような方にアドバイスはありますか

私の感覚では、博士取得によって就職が難しくなるとは思っていません。実際に、私の同期の多くは博士取得者ですし、最近でも博士取得した人が武田に入社していると思います。会社によってはいろいろあると思いますが、自分の考えをもち、自身のテーマでしっかりと研究をして、博士を取得していれば、気にする必要はないと思います。博士取得は、博士取得で良い点が多くあると思います。

海外留学で広がる視野

先生は、武田薬品工業に働かれている中で、米国シンシナティ子供病院で客員研究員をされていました

はい。会社がサポートしてくれて、会社の留学制度で行きました。他の製薬会社にもある制度なのではと思います。留学中に他企業の方とも会いました。

留学して感じたこと・変わったことを教えてください

海外には、学生時代に行った方が良いと思います。私も、もっと早く行っておけばよかったと思います。

留学してみて、自身の思考や人間性に関して視野が広くなったと思います。今まで、自分が自分自身でハードルを作っていたことに対して、海外の人たちは、そのようなハードルを平気で乗り越えます。それを目の当たりにして、“自分もハードルを越えていいんだ”と分かったときに、自分の壁を乗り越えられたと思います。また海外には全く違う思考回路の人が数多くいるので、彼らとディスカッションすることで、今まで思いつかなかったような良いアイデアが出せると思います。この経験から雑多な集団の方が良いアイデアが生まれると感覚的に思いました。

研究以外では、日本人と米国人とでは、違うところが多いと思っていましたが、米国に住んでみたら割と似ているなと思いました。特徴的なのは、米国人はオープンマインドで、人をどんどん称賛します。すごいね、すごいねと。私は、日本人は賞賛はしてもそこまで大げさにしないとして、感じていたので驚きました。しかしながら、米国人にも、いつも手放しで称賛する人だけでなく、時にはジェラシーを抱えている人もやはりいて、日本人も米国人も同じ人間で、大きくは変わらないことを痛感しました。

他にも日本と米国の違いは感じますか

例えば研究において、米国では大御所の先生方とフランクに話せると聞いていましたが、留学して確かに皆さんとてもフランクで気軽にディスカッションする機会が多くありました。これが日本との違いと聞いていました。ただし、日本でも、例えば横浜市立大学教授の武部先生は、とても有名な先生で、人望も広いネットワークももっている先生ですが、とてもフランクにディスカッションできます。もはや先ほどの話は、一般論ではないかもしれません。武部先生について、私が特に尊敬するところは、バカな意見でもちゃんと聞いてくれるところです。そのうえで完全に否定せず、こういう考え方もありますよと、意見を尊重しながらアドバイスしてくれます。私もこのように部下や仲間と接したいと思っています。

取材時の様子

研究者として必要なこと

研究者を指導するときに心掛けていることを教えてください

変にリスペクトされないようにしています。“なんでも話してもらえるようにしたいな”と思っています。この点について、私は部下やメンバーに恵まれています。みなさん思考が大人で、ある意味私は、皆さんの掌の上で踊っていればいいかなと思っています。私から指示するより、みなさんが自発的になって、『これやった方がいい!』『こうしたほうがいい!』と議論を始めてくれます。こうしたいと思っていたことが、メンバーに恵まれていてすぐ実現しました。また、私の上司に当たる人たちは人を良く見ていました。上司は、意思決定(ディシジョン・メイキング)が一つの仕事です。しかしながら私の上司は、ヒトを見ることや、コミュニケーションを図ること、そしてメンバーといかに良好な信頼関係を築くかということに、かなり時間を割いていたと思います。その点について、私も見習っていきたいと思っています。

研究者がもつべき視点やスタイルはありますか

自分の意見を持つべきと思います。尖っていてもいいと思います。研究者として、『誰かが言っていた』『論文に書いていた』ではなく、『自分が思ったからこうしたい』と言える人になるべきと思います。最近では、こういう人が増えてきていると思います。

最後に、これから就職や研究に従事することを目指す学生や、研究員に対してアドバイスをお願いします

個人的な意見ですが、まず自分の今やっている専門性を高めることは非常に大切です。それが自分の“売り”になります。ただ、自分の専門以外の分野に就職できないとか、不安に思う必要はないと思います。実際には、企業の研究と合致した人を多く採用する会社もあるかと思いますが、これまで自分がやってきた研究について “どのように考えたのか”“自分が世界で初めて考えた”ということを、きちんと説明できるならば、問題ないと思います。このようなことができる人は、企業に入って全然違う研究をすることになっても、思考の訓練を積んでいるので対応できます。しかしながら、それまで先輩に言われたことや、研究室で決まったテーマを粛々と行い、論文を書いた人は苦労すると思います。自分が初めて考えた課題に対して、そのコンセプトを証明したいと研究することができれば、たとえ論文のインパクトファクターが低くとも、企業に対する受けは良いのではと思います。もちろん、自分が考えたことに関して意固地になる必要はなく、それに関していろんな人から意見をもらうことも大事です。たった一つの専門性で、良い成果を上げるということよりも、どういうプロセスでやったのかということが大切と思います。ただし、成果にまとめることは必要ですので、何かの形で示すことは大事です。

取材者感想

科学の発展によって病気・病態の原理に関する研究が加速度的に進む中で、その治療法や根治法の開発は、臨床試験を含めて10年程度の期間を有するため、なかなか進展しづらい分野です。その中で、“患者さんファースト”の視点で医薬品を捉え、その治療法・治療薬の開発を目指している武田薬品工業株式会社の研究についてお聞きし、製薬研究の難しさと共に、最先端を吸収し続けることの重要性や、海外に視野を向ける必須性を感じました。また理系研究員として、自身で考え続けることを辞めず、能動的に取り組んでいくことが、自身のキャリア形成にもつながることを教えていただきました。研究だけでなく広い視野で物事を捉えられる人材となっていきたいと感じさせられました。

取材担当:広島大学グローバルキャリアデザインセンター特別研究員 梅原 崇


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