教育の効果・プロセスの可視化を目指して
取材日:2017年12月13日
「進研ゼミ」や「こどもちゃれんじ」などで知られる「株式会社ベネッセコーポレーション」。家庭向けの通信教育事業のほか、学校支援サービスや妊娠・子育て支援サービスなど、幅広い事業を手掛けています。今回は、ベネッセ教育総合研究所に在籍する岡部悟志さんから、仕事を通して大切にしていること、また、専門性に対するお考えや学生に伝えたいことなどについて、お話を伺いました。
ベネッセ教育総合研究所 岡部 悟志(おかべ・さとし)研究員
高等教育や社会人領域を中心に、進路・キャリア意識や能力の形成過程についての調査研究に長く携わる。結果は研究所の報告書のほか、査読付き学術論文として学会誌にも多数発表(~2012年)。その後、一般教育市場(産業)についてのリサーチに携わる(~2015年)。専門は教育社会学、社会工学(博士)。現在は、小~高校生とその保護者約2万組を追跡調査する親子パネル調査や、公立中学校との連携によるタブレット教材を活用した学習記録(学習行動ログ)の可視化研究などに取り組んでいる。これまでの主な調査研究・論文は、「若者の仕事生活実態調査」(2006年)、「家庭環境と能力形成の過程」(2008年、『社会学評論』59(3): 514-531)、「学習指導基本調査(高校版)」(2010年)、「企業が採用時の要件として大卒者に求める能力」(2010年、『大学教育学会誌』32(1): 114-121)、「高校生の大学進学希望と親の教育期待」(2014年、『現代高校生の学習と進路―高校の「常識」はどう変わってきたか?』 学事出版, 35-44)など。
略歴
【学歴】
2002年3月 東京工業大学大学院 社会理工学研究科 社会工学専攻 修了
2004年4月 東京工業大学大学院 社会理工学研究科 博士課程(社会人) 入学
2009年9月 東京工業大学大学院 社会理工学研究科 博士課程 修了
【職歴】
2002年4月 (株)ベネッセコーポレーション 入社
2005年4月 ベネッセ教育総合研究所 研究員
2013年4月 国内教育カンパニー経営企画スタッフ市場リサーチャー
2016年4月 ベネッセ教育総合研究所 研究員
(現在に至る)
教育研究との出会いと、ベネッセへの入社
東京工業大学の大学院では、社会理工学研究科の社会工学という専攻科に在籍していました。指導教員は教育経済学を専門としており、そこで初めて教育分野の研究と出会い、本格的にトレーニングを積みました。教育経済学は、教育と経済の関係性を考察する学問です。例えば、大学教育の効果を個人の所得や社会の便益などを物差しとして捉え、多変量解析などのアプローチを用いて分析し、政策的な示唆を提示したり課題を指摘したりします。「教育」という見えにくいものを定量的に捉え、科学的なアプローチにより社会課題を見出す学問に強く惹かれました。
ベネッセに入社した理由の1つは、「子どもからお年寄りまで、一生涯にわたる課題解決をサポートする」という企業理念に共感したからです。一般に、子育てや教育、介護などは、国や自治体などの公的な機関が担うべきであると考えられる側面が強いように思います。しかし、社会環境の変化や価値観の多様化に伴って、それらを公的機関だけに任せることは次第に非効率になるのではないか。むしろ、民間の企業が上手に補完することによって、人々がより幸福な人生を送ることができるのではないか、という仮説を持っていました。大学院で出合った教育研究への強い関心と、リサーチを通して課題把握から問題解決策を導くトレーニングを受けてきた自分の専門性や強みが活かせると思い、ベネッセへの入社を決めました。
講演する岡部氏
ベネッセ教育総合研究所での調査研究 ~子ども、保護者、教師を対象に~
ベネッセ教育総合研究所は、約30年に渡り子育て・教育に関する調査研究を行い続けてきた国内有数の研究機関です。私の所属する調査研究チームでは、下は乳幼児から、就学後は小・中学生から高校・大学生までの子どもを中心に、彼/彼女らを取り巻く保護者や教師を対象とした全国レベルの大規模な調査を行っています。そこから、今日的な教育課題や子どもや保護者、教師の悩みなどを明らかにし、社会へ広く発信しています。
代表的な調査のアプローチは大きく分けて2つあります。一つ目は①経年比較調査、もう一つは②パネル調査と呼ばれるアプローチです。①経年比較調査は、同一の調査項目を、複数の時点における同一属性の対象に繰り返し聴取することによって、時代の変化を明らかにする方法です。一方の②パネル調査は、同一の個人を長期に渡って追跡する調査方法です。例えば、1人の子どもの意識や行動がどのように変化し、彼/彼女らの成長・発達とどのように関連しているのかを明らかにすることが可能となります。この点で、②パネル調査は、①経年比較調査では分からない、個人の変化を確度高く追跡できる点が強みです。
社会人博士の苦労と、そこで得られたもの
企業によっては、仕事上の必要性から博士課程を修めることを薦める企業もあるようです。しかし、私の場合は、最初に配属されたのが通信教育の部門であり、直接的には教育研究とのつながりが少なかったため、上長とよく事前相談した上で、個人の自己責任で大学院を選択して受験し、入学後は仕事と両立しながら研究を続ける必要がありました。そのため、あくまでも仕事を中心に置きつつ、休日などの時間をフルに使って研究する生活が続きました。入社3年目には社内制度をいかして異動希望を提出し、現在の教育総合研究所に配属されることが決定しました。それでも在学期間中は、時間をやりくりしながら研究を進める日々が続きました。
忙しさの一方で、大学院と企業の研究所との両方に軸足を置くことによるメリットもありました。大学院で学んだ学術的な理論や分析アプローチを用いながら、ベネッセ教育総合研究所にしかない豊富な調査データを集め、分析を深めていきました。結果は、査読付きの学術論文として発表することができ、学会賞を受賞するなど、これまで研究所でもなかなかできなかった研究を深めることによる成果をあげることができました。
いま取り組んでいる研究で大切にしていること ~「成長の可視化」が持つ教育的価値~
中学生は身体的にも精神的にも、子どもから大人になる移行期であり、全体的な傾向として、学習・生活面などのモチベーションが下がる傾向が見られます。ただし、それぞれ個人差もあり、全体と比べて、それほど下がらなかったり、逆に上がる子どももいれば、ずっと下がってしまう子どもも存在します。それぞれのタイプの子どもがどんな子なのか、またその後の成長にどのようにつながっていくのかを解明するためには、前述の②パネル調査という同一個人を追跡するというアプローチが威力を発揮します。
②パネル調査とは別に、有力と考えられる3つ目のアプローチは、私がいま取り組んでいる「子どもが残す学習記録(学習行動ログ)の可視化とフィードバック研究」です。ここ数年で急速に進んだ教育教材のデジタル化によって、一人ひとりの子どもの様々な学習の足跡(学習量や学習の時間帯、問題単位の正誤や解き直し状況など)がリアルタイムでわかるようになりました。これまでそのほとんどが見落とされてきた膨大な子どもの学習記録を上手に活用しながら、子ども自身や指導者に分かりやすく「見える化」し、フィードバックすることによって、子どものやる気につながったり、これまでの勉強の仕方を振り返ったりすることで、次の望ましいアクションにつながらないだろうか。そういった仮説のもと、2つの公立中学校と連携しながら、教育現場の課題を実践的に改善していく取り組みを行っています。
加えて、ベネッセの研究員という自分の立場が持つ意味を考えると、ベネッセが手掛ける事業を通して、研究知見に基づく商品やサービスを具現化することによって、日々の学習に課題を抱える子どもたちを支援できるのではないか、と考えています。例えば、デジタル化した教材の学習記録から、子どもの成長につながるがんばりや努力を逃すことなく発見し認めてあげたり、自分の学習を振り返ったり望ましい学習の仕方を促す「仕掛け」を教材の中にビルドインすることはできないか。そうすることで、より多くの子どもの学習の課題に対して、支援できる可能性が広がるのではないか、と考えています。
学生へのメッセージ
高い専門性をお持ちの大学院生の方にお伝えしたいのは、自分の専門領域や強みだと思うことを、学生のうちに思い切って相対化してみてほしい、ということです。専門の学問・研究に積極的に取り組むことは、もちろん大切です。ただ、学生時代の専門性が、必ずしも将来に直結するとは限りません。社会の環境変化や技術発展などにより、学生時代に培った専門的知識やスキルが社会に出る頃には陳腐化しているということが起こり得ます。学生のうちに、自分の専門性の核は何かを見つめ直し、立ち止まって考えてみること(相対化)が大切と思います。例えば、自分の専門領域とは異なる専門領域にも関心を持ち、自分で勉強したり、異なる領域の研究者と交流したり研究会に参加したりすることも必要かもしれません。そうすることによって、自身の専門性の核を知ることができますし、逆にそれ以外の部分は積極的に変えていくことができるようになります。自分の専門性は何かを問いながら、柔軟に見直していく姿勢が大切だと思います。
取材者感想
約1時間のインタビューを通して、岡部さんの持つ教育への強い情熱が伝わった。教育という分野は学校現場だけで構成されているわけではない。“見えにくい教育の効果やプロセスを可視化し社会に広める”という自身の強み(核)を生かし、研究者として教育現場の改善に取り組むことも、一つの教育の形であると感じた。
取材担当:国際協力研究科博士課程前期1年 永田 貴一