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研究者への軌跡

広大受験失敗が広大との縁の始まり?ある研究者の軌跡

氏名:守口 和基

専攻:生物科学専攻

職階:講師

専門分野:植物分子生物学

略歴:1968年生まれ。名古屋大学理学部分子生物学科卒業、同大学院理学研究科生物学専攻博士課程修了。広島大学理学部助手、日本学術振興会特別研究員(於:国立遺伝学研究所)、国立がんセンター研究所常勤研究員をへて現在に至る。専門は植物分子生物学だが、酵母、動物細胞も実験材料として用いる。真核生物ゲノムの外来遺伝子の受容能の解析とこれを応用した遺伝子導入システムの開発、ゲノム維持、分配、組み換えに関与する核の構造タンパク質の解析を行なっている。単身赴任のため、週末の家族との時間を大切にしている。

 

広島大学との縁の始まりは、広大受験に失敗したときからかもしれません。いわば「フラれた」わけです。幼少から将来自分は研究者になると勝手に決めていましたが、化学の教員である父の影響があった事は間違いありません。父親と同じ研究者になる事。ちょっと立派なようで、その実大学での研究内容についてはいわゆる「赤本」などに書いてある程度しか知りませんでした。研究者を志す割には「甘かった」のでしょう。
浪人生活中はそれこそ死にものぐるいに勉強しました。今でも私は断言できますが、強制的に進学の為に行なう補習授業よりは、「自分の意志」に基づいた勉強の方がはるかに身に付きます。おそらくそれは大学での卒業研究や、大学院での研究生活でも当てはまるはずです。浪人後、進路に選んだのは名古屋大学でした。入学時は学部までしか決まっておらず、学科決定は2年生になってからというシステムで、それまでの間は、各研究室の大学院生の方が開く「プレセミナー」という制度があり、自由参加で色々なセミナーに参加できるようになっていました。この制度は自分にはとても合っていて、おかげで化学そのものよりももっと生物学に近いものを志向するようになりました。例えば分子生物学第一講座にお邪魔した時に、岡崎フラグメントを発見した故岡崎令治先生の写真が研究室にあったのは今でもはっきりと記憶に残っています。一年生が終わる時に決めた私の志望先は、当時できたばかりの分子生物学科でした。
 

卒業研究では近藤寿人先生(現大阪大学)の分子生物学第五講座で高橋直樹(現東京大学)の指導のもと、マウスのHox遺伝子の抗体作りに携わりました。研究室の雰囲気は、「研究については、教員も学生も対等にディスカッション」「和気あいあい、しかし研究に関しては厳しく」でした。良い仲間、厳しいけれど面倒見の良い先輩、自分を伸ばしてくれる先生、よく呑みに行っては深夜まで研究の話をするのは本当に夢のある世界でした。研究室の同期5人のうち、私を含めた4人は今も研究の世界に身を置いています。お二人の先生の勧めもあり、大学院からは名大遺伝子実験施設の杉浦昌弘先生(現名誉教授)の研究室へ進学し、杉田護先生の指導の元で、植物核と葉緑体のin vitroスプライシング系の確立に携わる事になりました。残念ながら系は確立できず、今もって成功報告は聞きません。そういう意味では非常に苦しい大学院時代でしたが、常に研究を励まし、アイデアを頂いた廣瀬哲郎先輩(現産総研)や、海外で学会発表の機会を与えてくださり、研究者としての目を拡げていただいた杉浦先生など、今から考えると恵まれた時間でした。
 

学位取得後しばらくして、吉田和夫先生(現名誉教授)のおられた生物科学専攻の細胞構築学講座で働くことになったのが、広大との正式な縁の始まりです。理想と現実のギャップに悩み、名大以来の研究に関しては教授であろうと歯に衣を着せぬ発言で、随分と不快な思いをされた先生も多かったかと思います。今にして思うと研究者としてはまだ精神的に未成熟であったとも思います。出て行く事になるのにそう長い時間はかかりませんでした。広大で親友となった村田(堀)真希さん(現シンガポール大)の紹介で、分子進化の中立説で有名な故木村資生先生のおられた国立遺伝学研究所の倉田のり先生のもとでポスドクとしてお世話になる事になりました。大学院時代以来の念願の植物の核タンパク質の大量解析をやらせて頂ける事になり、好きな事を思い切りやれる嬉しさと、結果が出なければ後がない緊張感と、野々村賢一さん、永口貢さんといった同僚の方達とディスカッションする楽しさがぎっちり詰まった密度の高い時間でした。論文が出る前に国立がんセンター研究所の牛島俊和先生のもとに職を頂いて移動した為、休日に遺伝研で追試させて頂いたり、他の同僚のサポートをつけて頂いたりと様々なケアを頂きました。遂に論文が出た時の嬉しさと感謝の気持ちは決して忘れる事はありません。がんセンターでは、「人の(患者の)役に立つ基礎研究」の意識を徹底的に教えられたように思います。しかし終の職場と思い定めた職場での研究生活は、激務と家庭との両立に苦しみ、精神的にも肉体的にも限界が来てしまいました。思えば妻の辞職を勧める言葉がなければおそらく次の職場を探す気力すらも尽き果てていたでしょう。これまでお世話になった方々に公募の紹介をお願いし、色々と応募した中で、再び広大の元の職場に鈴木克周先生の推薦もあり戻る事になりました。
 

広島大学での再研究生活はまだ始まったばかりですが、バクテリアから高等動植物までを扱った経験と、ライフワークである核という細胞内オルガネラの機能解析を、新たな遺伝子導入系の開発等の一般の研究者に広くフィードバックできるような技術と結びつけて行きたいと思っています。


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