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研究者への軌跡

研究の故郷

氏名:高瀬 稔

専攻:生物科学専攻

職階:准教授

専門分野:内分泌学

略歴:1990年に広島大学大学院理学研究科動物学専攻博士課程を修了。1990年から現在の研究施設に籍を置き、教務員を経て、現在、分化制御機構研究部門の助手。2000年10月から6ヶ月間、コペンハーゲン大学発達生殖部門のNiels E.Skakkebaek教授の研究室に海外研修。生命の連続性を担う生殖細胞に興味を持ち、ホルモンを介した性転換・性分化機構、環境と脳科学や生殖毒性などについて解析中。

 

私の好きな歌い手が、“物事の始まりは、それがすべて故郷になる”という様な事を書いていました。そうすると、私の研究者としての故郷は卒論研究を行った研究室であり、指導教官であり、研究テーマということになるのかと思います。しかし、小さいときから無類の生き物好きであったことから、その原点というのは、何十年も昔、幼稚園に行く前の子供の頃に貰った(勝ち取った?)父からのプレゼントにあるのかも知れません。
ある時玄関に呼ばれ、父が右手に持つ紙袋の中身を兄と当てっこしたことを今でも覚えています。ガサゴソという音を聞いたとき、何故かカブトムシと答えたのでした。図鑑で見ていて、何となく覚えていたのでしょう。そして、立派な角のある雄を手に入れた次第です。実物を手にしたのは、その時が初めてだった様に思います。黒くて、大きくて、強そうで。一目ぼれというのでしょうか。しかし、庭のバラの木で遊ばせていた時、いきなり羽を大きく広げたかと思うと、“ブ〜ン”という大きな音と共に飛び去って行ってしまいました。飛び去るカブトムシを呆然と目で追った後、ふと我に返って、まるで空中遊泳している様に飛び去るカブトムシを急いで追いかけた時には、時すでに遅し。家々の上を飛んで行き、追いかける術も無くなり、そのうち視界から消えていってしまいました。
その苦い経験の所為かは分かりませんが、昆虫がやたら好きでした。生まれたところが街中で辺りに自然があまり無い事、そして、夏休みにだけ自然が豊富な母の田舎に遊びに行けるということが、虫好きを助長したことは間違いないでしょう。
小さい頃から小学生までは、夏はカブトムシやクワガタムシ、それにカミキリムシ。秋はコオロギとカマキリが好きでした。しかし、それはただ単に生き物を捕まえて眺めるだけでした。狩猟本能と言っても過言ではありません。虫かごの中にはすでにたくさんの虫が居るのですが、新たに見つけてしまうとどうしても捕まえてしまうのです。

しかし、人の歴史が狩猟から農耕や牧畜へと移って行ったように、中学生になると、採集から飼育へと変わっていきました。また、オサムシやミズカマキリ、ゲンゴロウなどの水生昆虫、そして、ザリガニ、ブルーギル、イモリ、カメ等、飼育する対象も多様化していったのです。それから、忘れてはならないのがカエル。紐のようなヒキガエルの卵塊を採集してきて、茹でたホウレン草を餌にオタマジャクシを飼育し、変態までさせました。そして、ゴミ箱で4匹ほど採集し、牛乳瓶10本を使って飼育するまでに殖やしたショウジョウバエを餌に、その変態したカエルを体長数センチにまで大きくしたこともありました。図鑑にあったショウジョウバエの飼育方法を参考に、防腐剤を街中の薬局に買いに行ったら、お店の人に怪訝な目で見られたりして。

大学は当然、生物学を選びました。しかし、まだ“学問”と言うものに興味を持っていた訳ではなく、教養課程に居ても、立ち読みするのは「月刊アニマ」や「アクアライフ」など写真が豊富な趣味の域を出ない本ばかり。
やがて卒論研究という、実習とは異なり、答えをまだ誰も出していない“謎”を解き明かしていくような作業。そして、何人かで手分けして行う実習とは異なり、自分の責任において進めて行く、限られた範囲内での自由な作業へと入って行きました。

そして、大学院へ進学し、現在は大学の研究職に就いています。“研究“を職業にしてきて思うのは、“趣味”と“研究”とは、やはり距離があるということです。件の私の好きな歌い手が“趣味を職業にはしない方が良い”という様なことを書いていました。しかし、研究を進めていく上で“趣味的な心”というのは大切だと思います。思うように結果が出ない時など、研究がつまらないと思えてしまう時でも、“趣味的な気持ち”を持っていると、いつの間にか“研究”にもどっているものです。研究に限らず、何か職に就くときには、“趣味的な心”という遊び心も少しは持っていると余裕が出てくるのではないかと思います。輪廻転生したとしても、今の人生は一度だけです。楽をするのではなく、色々なことを楽しめたら何か得した気分になれるのではないでしょうか。


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