第4回 生物圏科学研究科 准教授 矢野 泉先生

写真:柑橘、レモン商品

取材実施日:2013年2月15日
生物圏科学研究科 生物資源科学専攻 食料資源経済学講座 食料市場学研究室 の矢野泉准教授に、ご自身の研究ヒストリー、研究内容や研究姿勢について話を伺いました。

最近の研究内容と地域貢献

最近は6次産業化ということが農業の分野でよく言われます。私自身は農産物を取引する流通や市場が専門ですが、幅広く農業や農業を行っている地域の地域振興に携わる中で、地域の特産品開発の仕事に関わる機会を最近多く持つようになりました。これは研究というよりは地域貢献で、地域の人と協同して生産現場の課題に取り組んでいます。現在は広島の柑橘農業が衰退傾向にあり、そういった問題に携わっていることもあって各地に出かけた際には参考になるようにと柑橘類の商品を購入し残しています。

この2年ぐらい広島県自体が柑橘、特にレモンのPRに力を入れていますが、私たちの講座では6~7年前からレモン、ミカン産地が抱える問題の発見・解決に産地や流通関係者と一緒になって取り組んでいます。広島はレモン生産において栽培面積も生産量でも日本一なのですが、生産者にはその自覚がありませんでした。今まで作ってきたからレモンを作っているというのが彼らの意識だったのです。ですから、私たちが学生を連れて産地に行き、生産現場に外の目を入れて自分たちの仕事のすごさを自覚してもらうという手法も最近取り入れ始めました。

全国的にも、特に1980年代後半以降、気候変動、経済のグローバル化、農水産物価格の低迷、農漁村からの人口流出の加速化と高齢化等、農漁村は様々な脅威にさらされ続けています。広島では特に島嶼部や中山間部の人たちの中で、厳しい現実に諦めの雰囲気が広がるところもありました。特に、過去に大きな産地として栄えた経験のある農漁村の方が、もう過去の栄光は取り戻せないという気持ちからか、諦めの気持ちが強いこともあります。そうした地域に新しい魅力を発見してもらうためにも大学の関わりが活かせるのではないかと考えています。

一方で、農漁村の中で比較的早くから、高齢化や過疎化が進むなどにより人口が減り集落の機能が衰退する中で町村が生きていくにはどうしたらいいのか、ということを考えざるを得なかった地域があります。早くからそれに気づいたところは地域が全員参加型で強い危機感をもって現状改善に取り組んでいます。広島大学の近隣でも、東広島市河内町小田地区はその代表的な例で、先日も新聞社等が表彰する「地域再生大賞」の特別賞を受賞しました。こうした地域にも頻繁に訪問し、諦めない農漁村のあり方を学生とともに学んでいます。

学部から現在までの研究興味の変遷

もともとは東南アジアの開発途上国の農産物の流通について研究をしていました。当時は東南アジアにおいて確固たる勢力を持つ華僑が、流通過程において農家を搾取しているという構図が一般に認識されていました。それに対し、果たしてそうなのか、と。華僑は農家と市場をつなぐ橋渡し的な役割を担っているということはないのか、前近代的な悪いものと断言してしまっていいのか、と疑問を持ったことが研究対象にするきっかけです。修士、博士課程では主にタイの米を扱う中間商人の機能や社会全体の流通構造の分析を行いました。

大学に就職後は広く日本のことも研究対象とするようになりましたが、日本でも流通業者、中間商人が悪者と位置付けられることが多いです。しかし、流通過程がうまく機能しなければ、農家の作った作物を消費者が手にすることはできません。流通業者の問題点と同時に、機能の正当な評価をすることが重要だと考えています。単なる経済学や商学分野での流通研究と異なっているのは、その目的が持続的な農漁業に寄与するものとしての流通構造を検討するという点です。そのため、現在は主に小規模な少量多品目産地が生き残るためにはどのような市場・流通構造が必要か、その手段を模索しています。

学生には専門以外のことにも興味を持ってほしい

最近の学生は自分の研究対象以外に興味を持たない傾向にあるようです。ですから彼らには幅広く教養を得ることを奨励しており、視察を行う際も自分の研究テーマとは関係なくても同行を勧めています。

また、本も幅広く読むようにも助言しています。私自身、大学受験の時に哲学分野も受験するなど今に至るまで専門だけに縛られない興味を持ち続けています。現在従事している農業経済の分野においても、農業、社会、哲学、政治の視点を大切にしながら研究を進めています。

研究を行う上で、すぐに成果が出るような時流に乗ったテーマは、風化もまた早いかもしれません。ですから、研究姿勢として長期的に成果が残る論文を書くことをしてほしいと思っています。

研究指導においては、学生の研究テーマはトピック的になることがあるため、その興味をどう学問的に突き詰めれば面白くなるかを学生と相談して発展させるようにしています。また、海外を研究テーマに選んだ学生には、研究をするうえで研究対象地域での生活は大切であるとの考えから可能な限り現地の大学に留学するなど腰を据えて地域を理解する機会を持つよう勧めます。そう言った長期の滞在が無理でも頻繁に現地を訪れることを奨励するなど、各学生の資質に合わせて選択肢を提示します。

写真:矢野先生

研究を続ける上で大切にしていること

私の研究の動機は知らないことを知りたいという知的好奇心です。そういった個人的好奇心を論文にまとめ他者と共有することの意義は、自分の新発見に対する解釈を世間がどう受け入れるのか、そのテーマについて議論をすることだと考えています。その研究が独りよがりなものなのか、独自の見解を含むのか、世間に発表するということはそれが試されているともいえるのではないでしょうか。私は研究を通して一般的価値で淘汰されがちな存在の意義を世間に問いたい、と考えています。

進路という岐路に立った時に

学部3年の終わりに、周囲の就職活動が熱を帯びる中でその雰囲気にのまれて一社だけ資料請求をしました。それは深く考えた末の決断ではなく、当時人気のあった職種に何となく、といった程度のものでしたので、就職に対する確固たる希望であったわけではありません。

同じ3年の春休みに、卒業論文のテーマに考えていたインドへ2~3週間滞在しました。指導教官の先生から、インドの農村研究は難しいと思うがまずは自分の目でみてきたらよいと勧めていただいたからですが、非常によい経験となりました。ちょうどこの時期、先生ご自身も研究対象であるタイに出張されることになっており、インド滞在後には先生に合流してタイにも足を延ばし、同じく2~3週間ほど滞在しました。結局、この体験が原点となり、卒論、大学院と東南アジアの研究を続けることになりました。インドも魅力的でしたが、タイの農村部での生活が肌に合い、私の好奇心がおおいに刺激される体験ができたからです。

写真:矢野先生

他大学への進学で学んだこと

進学先は、学部時代の先生の母校である北海道大学でしたが、当時他大学からの進学者、とりわけ女性というのは珍しく、決して楽な環境ではありませんでした。研究以外にも雑用を多くこなしましたが、そういった小さな仕事から学んだことも多くあります。ほかの人から必要とされ、任された仕事を責任を持って果たすことで研究室でも多少は認められるようになったのではないかと思います。また、そういった研究室の雑務以外にも学会の下働きなどをすることも多く、そういった経験が研究をするだけでは広がらないネットワークづくりに生かされたと感じています。博士号を取得後すぐに就職できたのもそういったネットワークをきちんと作っていたからこそだと思っています。

学部の卒業が現実味を帯びてきたとき、進路の選択肢として国連などの国際機関での開発関係の仕事に興味があったのですが、そういった機関はやりたいことばかりができるわけではないと先生に言われ、専門性を身につけてから社会に出ようと大学院への進学を決めました。先生にうまく研究の道へと誘導されたのかもしれませんが、この先生から研究することの面白さについて学んだことも研究を続ける決断をするうえで大きかったと思います。

大学院での研究を支えた経済的支援制度

進学をするうえで最初に直面するのが経済的な問題だと思いますが、私の場合、北海道大学で過ごしたMは育英会、広島大学に戻ってきたDは学振で賄いました。広島大学では研究科初の学振をDの3年間を通してもらえたのはとても幸運でしたし、それがなければ海外を専門に研究することはとても難しかったと思います。

女性の研究者として

女性だからというわけではないが、研究以外にも家事などこなさなくてはならないことが多いので時間が足りないと感じることはあります。ただ、研究から離れる時間を持つというのは案外大切なことなのかもしれません。

今は女性にとって有利なさまざまな条件が整ってきていますし、恵まれているかと思います。ただ逆に環境が整ってきたことで、実力がないのに優遇されていると思われないために頑張るといったそれまでにないプレッシャーを感じているのでは、という心配があります。

私自身の経験では、女性だからといって不利に感じたことはありません。というのも現場では性別を理由に区別されたと感じた記憶がないのです。差別をする人に注意を払わなかっただけかもしれませんが。任された仕事を責任をもってこなすという実績の積み重ねで、周囲と信頼を築こうと心掛けてきたからかもしれません。

Dの進学を考える学生へ

進学が向いているのは、真理の追究に対し自立して取り組める人だと思います。後は困難を喜びに変えられる人。研究自体は、はたから見ると楽に見えるかもしれませんが、実際には幸せなことばかりでもなく、どちらかというと困難なことの方が多いと思います。ですから行き詰った時、その先の何かを見たいという思い、その何かが真理なのか、何か人々のために役立つヒントなのかはわかりませんが、そういう気持ちを持てる人でないと研究を続けるのは厳しいように思います。

そういう考えがあるので、実際にDに進学した学生には、自分の研究以外のことにも汗水を流してほしいと思っています。それは先生の手伝いであったり、研究室運営であったり、後輩の指導であったり、そういうことが自分を磨くとても良い経験になるのだと受け止めてほしい。Dに限らず、大切なのは今できることを一つ一つ責任をもって誠実にやること。人生はその積み重ねだと思います。           

今私たちの学部では4年生になってから卒論に取り掛かりますが、最近、それでは遅いように感じています。学生はいったん研究を始めればその面白さに気づくのですが、大抵その時には既に就職先が決まっています。もっとも、中には2年生ぐらいから特定の分野に興味を持ち、研究室に出入りして視察にも同行する学生もいます。いずれにせよ入学後1,2年のうちから専門研究に触れることが出来れば大学院進学という選択肢が学生のなかに生まれやすいのではと感じています。

研究はいつも楽しい

世の中まだまだ知らないことばかり。調査に行っても必ず知らないことが含まれていますから常に学んでいます。ですから研究をすることはいつも楽しい。好きなことを仕事にできたとのはとても恵まれていると感謝しています。

写真:矢野先生

取材者:栗村 法身(文学研究科 哲学・思想文化コース 博士課程後期2年)


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