第41回 ネシロフ ムラドさん(アゼルバイジャン)

「ホンネで向き合おう」

名前: ネシロフ ムラド
出身: アゼルバイジャン
所属: 日本語・日本文化研修留学生プログラム
趣味: スポーツ,旅行,料理と食べること
(取材日: 2018年3月15日)

留学生インタビューバックナンバー

出身地はどんなところですか。

アゼルバイジャン第二の都市ギャンジャ(Ganja)からきました。ギャンジャは歴史とモダン、新旧が交錯する魅力的な町で、訪れる人々をたくさんの素晴らしい風景で出迎えてくれます。

たとえばゴーゴル湖(Lake Goygol)。この大きな湖は、ギャンジャが建設された5世紀頃には川として存在しており、人々はそのほとりに町をつくり居住していました。ところが、12世紀頃に大地震に見舞われ、川は崩れた山に流れをせき止められて現在のような湖へと変容しました。町も倒壊したため、人々は東に移住することを余儀なくされました。そして現在も季節ごとに赴の違う美しいたたずまいを見せるこの湖には、国内外からの観光客が引きも切りません。

そして、「ボトルハウス」。これは読んで字のごとくボトルでできている家です。昔この家を建てた人は、自らそこに住んでいたそうです。近づいてよく見るとその構造が分かって面白いですよ。ギャンジャにお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。
その他にも、ギャンジャの見どころの一つとして、ニザーミー・ギャンジェヴィー霊廟があります。ニザーミーはギャンジャが誇る有名な詩人で、彼の詩は僕たちの教科書にも掲載されていたほどです。

アゼルバイジャンには、日本人が多く住んでいるのですか。

いいえ、決して多くはありません。国全体で35~40世帯しか居住していないと聞いたことがあります。

なるほど。ところで、ムラドさんはなぜ日本に留学したいと思ったのですか。

それは、日本の歴史と文化が好きだからです。そして、日本人が自分の文化や伝統をとても大切に守っているところも好きです。日本では、伝統的な着物を着て歩いている人をそこかしこに見かけるけど、アゼルバイジャンや他の国々ではあまりそんな光景は見られません。それに、日本の侍の歴史にも興味があります。

特に好きな人物は誰ですか。

たとえば、宮本武蔵。剣や兵法の道にひたすら真摯に打ち込むところに憧れます。実は、僕はずっと俳句の研究をしていて、「俳句的生活」(著者:長谷川 櫂)という本を読んで、武蔵のことはそこから知りました。彼の剣豪としての非凡さ、もの凄さに、いたく感銘を受けたものです。

アゼルバイジャンの大学で俳句を学んでいたのですか。

はい。首都バクーにある大学の日本学科で、日本語と日本文化を学んでいました。もちろん文学についても、古典から近代まで幅広く学びました。しかし残念ながら、アゼルバイジャン語に翻訳された日本の書物はあまり多く存在しないため、アゼルバイジャンにいた頃はそれらを読む機会にほとんど恵まれませんでした。なので、こうして来日したからには、これからいろんな本を読んでいきたいと思います。特に、宮本武蔵の著した「五輪書(ごりんのしょ)」という兵法書を読みたいです。難しいと思うけど、ぜひ挑戦してみたいですね。

それは楽しみですね。ところで、広大をどうやって知ったのですか。

文部科学省の日研生(日本語・日本文化研修留学生)として学ぶための試験に合格後、留学先の大学を選ぶことになって、その時に初めて広大を知りました。たくさんの選択肢を前に悩んでいたのですが、中でも広大は都会の喧騒から離れた静かな町にあると聞いて、そこが良くて決めました。平日は静かなところで勉強して、週末は広島市内に出て遊べるのがいいかな、と思ったので(笑)。

日本人の友だちはできましたか。

はい。新しくできた日本の友だちからは、アゼルバイジャンってどこにあるの? とか、公用語は何語なのかとか、料理はどんなものがあるかとか、出会った頃はそんな基本的な質問をたくさんされました。日本の人は、アゼルバイジャンのことをほとんど何も知らないみたいですね。でも、そんなふうに質問してもらえるのは興味を持たれている証拠ですから、僕にとってはとても嬉しいことでしたよ。

広大で授業を受けてみて、どのような感想を持ちましたか。

現在受けている授業は日本語の授業だけなので、それほど難しいとは感じません。教室での勉強以外のいろんなことに目を向ける時間もありますしね。それに、先生がとても丁寧で優しいです。しかし、今はクラスメイト全員が外国人留学生なので、日本人学生と話す機会があまりありませんから、早くたくさんの日本人学生と友だちになって話せるようになりたいなと思います。留学生同士でばかり話していると、自分の日本語が間違っていることくらいは何となくわかるのですが、日本人と話していて間違えた時のように訂正されることはないし、何といっても、ネイティブと話す以上の上達方法はないと思うので。新学期からは日本人学生と一緒の授業を取ることができますから、今のうちから楽しみです。

アゼルバイジャンで学んでいた頃の日本語のテキストは、どんな感じでしたか。

僕の習った教科書で最初に出てきたのは、昔の日本の英語テキストにあったような「これはペンです」といったセンテンスではなく(笑)、山田さんという日本人が自己紹介をする場面でした。その他にも、アメリカ人などの登場人物がいました。しかし、今にして思えば、当時書かれていた内容は、ネイティブの日本人が普段使っている日本語とは少し違っていたように思います。

では、教科書と違う生きた日本語に初めて触れた時、戸惑ったのではありませんか。

そうですね。来日したばかりの頃はそうでしたが、今ではだいぶ慣れました。日本人と話していてわからないことがあってもすぐに質問できるし、後で辞書で調べることもできますからね。

最近おぼえた新しい言葉は?

「おし!」という言葉です。僕は大学でバスケットボールのクラブに入っているんですが、これはシュートの時、外した人に味方がかける言葉です。「惜しい!」からきています。それが短く「おし!」と発音されるんです。

では、成功したときは?

「よっしゃ!」(笑)
あと、シャンプーの「詰め替え用」とか。これも僕にとっては新語です。というのも、僕の故郷のお店では詰め替え用品というものを見たことがありませんでしたので、それらを来日して初めて見て驚きました。ソビエト時代にはギャンジャにもそういうのがあったみたいですけど、現在はなくなってしまったようですね。

インタビューに先立って趣味をお尋ねした時、回答の中に「食べ物」とありましたね。つくる方と食べる方、どちらですか。

つくるし、食べますね! 両方大好きです。ギャンジャは先ほども触れたとおり、詩人ニザーミー・ギャンジェヴィーの故郷として有名ですが、料理がおいしいことでも名高い町です。中でも有名なのはパフラヴァ(Pakhlava;ナッツやくるみ入りのとても甘いパイ)。これは、日本ではまず食べることができない味です! すごく甘くて、厚みがあって大きく、ダイヤモンドの形(ひし形)をしています。これは家庭でも手作りします。アゼルバイジャンではノヴルズ祭(Novruz)という春を祝うお祭りがあって、このパフラヴァは、そのお祭りで食べられる代表的な料理の一つです。その他にも、ドヴガ(Dovga;野菜とヨーグルトのスープ)やクルチャ(Kulcha;甘いペストリーの一種)といった料理が有名です。

アゼルバイジャンには甘党の方が多いのですか。

そうですね。甘いものを、甘くない紅茶と一緒にいただくのがわが国では好まれます。近年、アゼルバイジャンにもアメリカ発祥のコーヒーチェーン店などが進出していることもあって、若者の中にはコーヒーを好む者もいますが、やはり伝統的によく飲まれるのは紅茶です。アゼルバイジャンの喫茶店で紅茶を飲みながらゲームをして遊ぶのが、大人たちの楽しみの一つです。

日本の紅茶は口に合いますか。

日本の紅茶は、ええと、残念ながら僕の口には合いませんでした。来日してまもなく、まず紅茶を買って飲んでみたんですが、すべて飲みきることができませんでした。やはり、日本といえば日本茶だと思います。特に広島の緑茶がおいしいです。

日本に来て、困ったことはありますか。

「困った」というほどじゃないけど、日本人は、本当の友だちになるのが難しいなと思います。一緒にいる時は笑って話をして楽しく過ごすのに、離れた後で連絡をくれる人は一部しかいません。アゼルバイジャンでは外国人と知り合いになったら、たくさんやりとりして親しくなって、今度はあそこへ行こう、これをして遊ぼう、なんてどんどん約束するんですけど、日本人とはそんなふうに順調にはいきません。

なぜだろうと思って、ある日本の友だちに尋ねたら、日本人は相手との間に壁を築いて、めったにそれを越えることがないのだと。そうすることが日本人の付き合い方であり、相手に迷惑をかけないためのマナーなのだと。つまり、壁を築き、守ることが人間関係においては大切なことなのだと。そんなことを教えられました。

日本の人が引越しをすると、「近くに立ち寄った際はいつでも遊びにきてください」というはがきを送ります。でも実際、近くに立ち寄ったからといって、突然訪ねていくなんてことは、誰もしないですよね。

そうですね。突然訪ねるのは迷惑だろうとか、そんなふうに考えるからでしょうね。

その「迷惑」という言葉、日本人はよく口にしますね。知り合って間もない人を突然どこかへ誘うと迷惑だろうとかね。しかし、僕たち外国人にとっては、もちろん人にもよりますけど、少なくとも僕にとっては、そういうのは全然迷惑じゃないです。それどころか、「喜び」なんです。たとえ都合が悪くて誘いを断る場合でも、相手が自分のことを思って誘ってくれているのに、嬉しくないはずがありません。ましてや、迷惑なんてことは全くありませんよ。

僕たちアゼルバイジャン人は、人と知り合ったら、もちろん壁をつくりますけど、相手と本当の友達になれたら、その壁の高さはある程度まで下がります。そして、何でも一緒に楽しみます。いつか日本の人とも、そういった付き合い方をしたいものだと思っています。

なるほど。ムラドさん、留学を考えている後輩に何かアドバイスはありますか。

日本は安全な国だし、日本の人は優しいので、安心して学ぶことができると思います。ただ一つ助言するとしたら、たとえ目的が日本語を学ぶことではない場合でも、ある程度は日本語を勉強していったほうが良いと思います。

実は、ホストファミリーにお世話になっている時、近所の人々も参加して餅つきをしたんです。そこに、英語は話せるけど日本語は苦手な留学生の友だちもいて、彼らは英語を話せない日本の人とはあまり会話が弾まなかったそうです。その点、僕は日本語が話せますから、参加者のみんなと日本語で話せて、楽しい時間を過ごすことができました。

最後の質問です。将来の夢は何ですか。

僕の夢は、いつか自分のビジネスを始めることです。日本でアゼルバイジャン料理のおいしいレストランを開店して、そしてアゼルバイジャンでは、日本のおもしろい物をいろいろ仕入れて売るお店を開きたいです。そんなふうに、日本とアゼルバイジャン、まったく異なる文化を他方の国の人々に紹介しながら、両国の理解と友好を深めることに貢献していきたいと思っています。

それは素敵な夢ですね。ムラドさんのレストランとお店の開店を楽しみにしています。頑張ってください。

はい、頑張ります!

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金閣寺(京都)

ホストファミリーと餅つき

松山城(愛媛)

大学近くの鏡山公園でお花見


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