研究井戸端トーク#4 開催記録

研究井戸端トーク#4『デジタル・ヒューマニティーズ(DH) ~人文学×情報学あれこれ~』を開催しました

<日時>  2021年7月2日(金) 16:30~18:00

<場所>  Zoomにてオンライン開催

<参加者> 延べ31名(大学教職員、大学院生、企業、自治体など)

<プログラム>
 話題提供者からの短い話題提供、ブレイクアウトルームでのグループディスカッション後、自由な対話
 司会:今林 修 教授(広島大学、英語文体論・英語文献学)
 話題提供者:
 永崎 研宣 氏(人文情報学研究所・主席研究員、人文情報学)
 坪田 博美 准教授(広島大学 宮島自然植物実験所、生物学)
 久保田 明子 助教(広島大学、アーカイブズ学)

<主催>広島大学 学術・社会連携室 URA部門

<話題提供>

  • 永崎先生
    永崎先生は、本学をはじめ日本各地の大学でDHの講義を担当されているお立場から、デジタル・ヒューマニティーズ(DH、人文情報学)の概要についてご説明くださいました。DHは欧米で盛んになってきており、国内では学術政策・行政の文脈で「データ駆動型人文学」、「人文学デジタル・トランスフォーメーション(DX)」など、似たようなトレンドが出てきているが、いずれもDHとして研究者が取り組んできたことと同義とのこと。
    DHの面白いところの1つは、1つデータを作ると色々な観点から色々な研究が展開できることであることを「ゴッホの手紙」「和歌」「仏典」に関する様々な研究例を示しながら説明していただきました。デジタルであることの強みについて、なるほど、と思わされる話題提供でした。
  • 坪田先生
    世界遺産に登録されている宮島の自然保全に関する研究は、一見、人文学とは関係ないように思います。しかし、坪田先生が所属されている植物学に関する教育研究施設は、地域社会との積極的な交流も行っているとのことです。また、DHに関連して、東広島市のメインキャンパスから離れた立地ゆえの情報共有化を目的として、2002年から「広島デジタルアーカイブス」を設置(文科省の地域貢献特別支援事業2002-2003年)し、学内にある教育・研究リソースを集めて公開しているとのことです。このアーカイブ化は、サーバーの維持・管理の効率化、教員の転出・退職に伴うリソース紛失を防ぐという目的もあるそうです。
    宮島へおでかけの際は、坪田先生がお勤めの「宮島自然植物実験所」に立ち寄ってはいかがでしょうか。
  • 久保田先生
    被ばく資料の調査解析を行っていらっしゃる久保田先生は、DHと聞いて思い浮かんだことを3つ紹介してくださいました。
    1つ目は、「人文科学とコンピュータ研究会(http://www.jinmoncom.jp/)」(じんもんこん)の存在です。アーカイブズ学をやっている研究者にとってDHは身近ではあるが、高度で難しい研究という印象があったとのこと。
    2つ目は、アメリカにおける人文学、美術・芸術系の予算カット方針に対し、人文学の危機と警鐘を鳴らした2017年の『ニューヨーク・タイムズ』の記事です。日本のみならず海外でも軽視されて危機に陥りやすい人文学の危機をDHが救うことができるかもしれないということです。
    3つ目は、被ばく資料とDHについてです。1945年当時の手書きの被爆者健康調査票は、制作された当時は医学目的であったが、地理学(GIS)、統計解析、社会学、歴史学、心理学など、1枚の医学記録から様々な研究に発展できるのではないか、とのことです。

<トークのハイライト>

 DHは理系の学問か?それとも文系の学問か?

  • 昨今、人文学の研究者は、コンピューターやデジタルマテリアルを利用して研究を行っているが、DHという認識はないのではないか、という疑問から議論が始まりました。まだまだ一般的に認識されていないDHは、理系からは文系の学問では?、文系からは理系の学問では?、と思われているふしがあるとのこと。
  • 坪田先生は実体験として、理系の立場から文系の情報はとても有用であり、最近NatureやScienceに日本の古文書・文献を用いた論文が掲載されているにも関わらず、文系の研究者との共同研究がなかなか進まない現状を残念に思っていらっしゃるとのことでした。また、参加者からも理系の研究者が人文社会科学の研究者と連携を希望しているとの声もあり、DHを1つのキーワードにして連携が可能か議論されました。
  • 永崎先生によると、DHは手法であったり方法論であったりするところに面白さがあり、対象をどこかに求めて、面白さを見出していくのがDHとのこと。色んな方が参画して、自分の課題をDHの手法・方法論で解決していく中で、研究者の偶然の出会いによって面白い成果が出てくると考えられているそうです。お互いに情報交換し、想像力を働かせて出会える場があるといいのかもしれない、実際、日本でもそういった場がいくつか既に存在しているそうです。

 「Close Reading」vs.「Distant Reading」

  • 文学研究は、元々紙媒体を読んで研究する学問であったところ、紙媒体がデジタル化されることによって「Close Reading」「Distant Reading」という概念が生まれたとのことです。DHの方向性として、① Close Reading: 少ない文献を今まで以上に詳しく分析するという人文学者に分かりやすく、デジタル技術が活用される研究と、② Distant Reading: デジタル技術によって到底読むことのできない大量の文献を分析する研究、があるとのこと。
  • 本を読んだことがないのに、本の研究ができる! という、びっくりするようなことが起こっているようです。本を読まなくて文学の研究をしてもいいのか?という問いがある一方、人文系にありがちなニッチな研究をいつまでもしていて社会の役に立つのか?という問いかけもありました。

 デジタルであることの意義

  • 久保田先生は、原爆資料においては、原本を保存し、守り、後世に伝えるためのデジタル化が第一義としてあることを述べられました。また、デジタルの利点として、個人情報の問題を含む原爆資料を、隠したい情報を隠して公開することが可能になると指摘されました。原本の力を信じる一方で、最近はデジタル技術が進み、精巧な複製を作成することが可能になっているため、デジタルは仮想ではあるが、人々に与える感動、研究者に与える示唆はある程度得られるのではないかと考えられているそうです。
  • 坪田先生は理系の視点から、デジタル技術によって今まで見えなかったものが見えることの意義を指摘され、文系の資料もそういった視点でとらえることができるとおっしゃいました。参加者からは、考古学分野ではDHはもはや新しい研究手法ではないが、資料を壊さないことで今まで見えなかったことが見えてきていることや、考古学以外の分野の研究者がアプローチすることができる形で考古学のデータや研究成果が公開されていることで、学問の表現方法として有効であることを実感しているという意見もありました。

<司会の今林先生から>

 デジタル技術の進歩やデジタル化されたデータの蓄積と解析によって、今まで見えなかったことが見えてきたり、今まで気づかなかったことに気づいたりすることが、文系・理系の区別なく、登壇者から実例とともに分かりやすく紹介されました。これが、デジタル・ヒューマニティーズ(人文情報学)の各研究分野への貢献の一つです。今回紹介されましたアナログ(紙など)媒体をデジタル化し蓄積する技術や、デジタル化されたデータを分析・解析する技術は、世界各国で日々進歩を遂げています。今回のトークで広島大学にデジタル・ヒューマニティーズの種を三粒蒔くことができました。ご一緒に大事に育ててまいりましょう。
 今回の講師のお一人、永崎先生は今年度(2021年度)から文学部で学部生を対象とした集中講義「人文情報学入門」をご担当なさいます。ご興味がおありの方は是非聴講してください。
 

【お問い合わせ先】
学術・社会連携室 URA部門
研究井戸端トーク担当
ura■office.hiroshima-u.ac.jp (■を@に変更してください)


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