第一線で活躍している研究者 医系科学研究科 大黒 亜美 特定准教授

大黒 亜美 特定准教授 インタビュー

2021年度 創発的研究支援事業(JST) 採択者

匂い物質の代謝に注目して香害のメカニズムを解明し、
治療法の開発につなげたい

脂質代謝物に着目して、脳への影響を調べる

私の専門は脂質代謝です。特に、不飽和脂肪酸の一種である「アラキドン酸」や「ドコサヘキサエン酸(DHA)」の代謝物や生理活性を研究しています。

アラキドン酸やDHAは、膜リン脂質の構成成分として知られる物質ですが、さまざまな生理活性を持つことが知られています。これらの脂質は魚や肉に多く含まれており、体や脳によい影響を及ぼすことが経験的に知られています。しかし、その分子レベルでの作用機構は十分に解明されていません。その中で近年注目されはじめているのが、これらの「代謝物」です。

私たちがアラキドン酸やDHAを摂取すると、いったん細胞膜に取り込まれます。その後、必要に応じて細胞膜から切り出され、さまざまな代謝酵素によって別の物質に変換されます。この結果できる代謝物こそが、有用な生理機能を持つのではないかと言われはじめています。私もこの考えの下、学生時代から一貫して脂質代謝物の生成機構や生理活性を研究してきました。生成する代謝物の量はわずかなので、正しく定量するには測定条件を工夫する必要があります。この条件検討には本当に苦労してきましたが、粘り強く取り組んだ結果、最近は非常に高精度で定量できるようになりました。

現在はマウスを使って、DHA摂取が神経変性疾患の症状を抑えるメカニズムの解明に取り組んでいます。研究の結果、DHAの代謝を阻害する酵素をマウスに与えておくと、DHAの摂取効果が得られないことが分かりました。やはり、DHA自体ではなくその代謝物が重要な働きを担っているのでしょう。実際にマウスにDHAを摂取させると、脳内ではDHA代謝物が顕著に増加することを見出しています。本当に興味深く、今後もさらに研究を続けたいと思っています。

匂い物質の代謝機構を調べて、香害のメカニズムを解明したい

この脂質代謝酵素は、体内の脂質だけでなく体外から来た異物の代謝にも関わることが知られています。今回は、この異物代謝機能に着目した“匂い“についての研究が創発的研究支援事業(JST)に採択されました。

私が匂いに興味を持ったのは、先ほども説明した脂質や異物の代謝酵素に関する研究がきっかけでした。ある実験で、一部の代謝酵素が鼻腔(びくう)と大脳をつなぐ嗅球(きゅうきゅう)に多く発現していることを偶然発見したのです。このとき私は、鼻から入った匂い物質も嗅球の代謝酵素によって代謝されるのではないかと思い立ちました。

近年、香水や柔軟剤などに含まれる化学物質によって頭痛や吐き気などを生じる「香害」が社会問題になっています。重度になると外出できない場合もある深刻な問題なのですが、個人差や体調による症状変化があることもあって、そのメカニズム解明は一筋縄ではいかないと考えられてきました。この香害の原因となる物質もまた嗅球や脳の異物代謝酵素によって代謝されるのではないかと考えました。またこれら代謝酵素は外来異物によって発現や活性が容易に変化し得るので、特定の匂い物質を嗅いだときに代謝酵素の活性がどのように変化するかがわかれば、香害の症状が促進または抑制されるメカニズムが分かるかもしれません。また、異物代謝酵素の活性が人や体調によって異なるため、香害の症状に個人差が現れる理由も突き止められるかもしれないのです。私はこれらのアイデアを元に、香害のメカニズムを解明しようとしています。

手はじめに、香害の原因となり得る匂い物質をマウスに嗅がせたところ、脳の嗅球に蓄積することがわかり、また嗅球の異物代謝酵素の発現も変化していることが分かりました。今後は、匂い物質がどの程度代謝されているのか、代謝されると香害の症状がよくなるのか悪くなるのか、といった項目をくわしく調べたいと考えています。創発的研究支援事業は原則7年の事業期間があるため、最初の3年間はマウスで、後半の4年間は人で実験できたらと思っています。できれば広島大学医学部の耳鼻科の先生とも協力して研究を進めていきたいです。

実験に使用するマウス暴露装置

生活の中にある身近な疑問を明らかにすることが目標

この研究によって香害のメカニズムを解明できれば、香害の症状を抑える治療法の開発にもつながると考えています。例えば、ある匂い物質自身が香害を引き起こすことが分かった場合、その匂い物質に作用する代謝酵素の活性を意図的に上げれば、有害な匂い物質を無害な代謝物に変えられるでしょう。そうすれば、現在香害に悩んでいる多くの人を救えるはずです。

生物を研究していると、研究の先が身近な疑問の答えにつながる場合も多いと感じます。今回の匂いの研究もそうです。基礎研究をはじめた時点では分からないのですが、突き詰めていくと、私たちが普段悩んでいることや、不思議に思っていることとつながる瞬間があります。こういった面白さとやりがいがあるので研究はやめられません。これからも、持ち前の好奇心と粘り強さを武器に、研究を通じて身近な疑問を明らかにしていきたいです。

大黒 亜美 特定准教授の略歴および研究業績の詳細は研究者総覧をご覧ください。


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