第33回 何 玲玲(か れいれい)さん(中国)

「日本語を選んでよかった!」

名前: 何玲玲
出身: 中国
所属: 文学研究科(博士課程前期2年)
趣味: 読書、スポーツ、料理

(取材日:2016年4月28日)

『留学生インタビュー』バックナンバー

ふるさとは、どんなところですか。

中華人民共和国、内モンゴル自治区の赤峰市です。故郷のイメージを一言で表すなら、「広い!」ですね。そして「草原」。外国の方だけじゃなくて、中国の他の地方の人でも「内モンゴル」と聞くと、「あ! 広くて、草原があるところだな」という印象がすぐ来ます。その中でも私の故郷は小さな町だけど、にぎやかで、人は親切だし、とても幸せなところです。でも私はここしばらく帰れていなくて、今はちょっと故郷の父や母に会いたいなあ、なんて思っています(笑)。

故郷で自慢できるものというと、それはもう何といっても「ナーダム祭」ですね! これは7月中旬に行われるモンゴル族のお祭りで、モンゴルのお相撲や競馬などいろんな催しがあって、みんなで一緒にお酒を飲んだり料理を食べたり、たき火をしたりして楽しみます。私の故郷が最もにぎやかに盛り上がる時です。残念ながら私は、今年は参加できそうにありませんけどね。

故郷のお酒や料理とは、どんなものですか。

お酒は、アルコール度数がちょっと高めです(笑)。私の祖父が好きなお酒は、だいたい40度くらいの度数です。この強さのお酒を小さな杯で、ストレートで飲みます。食事に関しては、中国の饅頭、あるいはお米が私たちの主食です。そして、私たちはお肉をよく食べます。「風干牛肉」といって、牛肉をまず干して、その後油で揚げて食べる料理は全国で人気です。たいてい塩で味付けますが、辛いのが好きな人はさらに唐辛子を加えます。

お米はどのようにして食べるんですか。

日本と大体同じです。炊いて、おかずと一緒に食べます。おかずは、やっぱりお肉の料理が多いですね。お肉は蒸したり、焼いたり、あるいは炒めたりします。たいてい塩辛く味付けします。あと、これは私の故郷に限らず全国的なことですが、私たちはよく羊の肉を食べます。でも、このあたりのお店では、なかなか手に入らないんですよね。時々すごく羊肉が食べたくなるけど、我慢です。(近所で羊肉を販売しているお店の情報を聞いて)えっ、売っているお店があるんですか? それはどこですか! さっそく行ってみます!

ところで、広島大学(大学院文学研究科)に来られたのは、昨年の10月なのですね。

はい。現在は文学研究科のM2(博士課程前期2年)です。専門は日本文学で、今は特に白川静(しらかわ しずか)博士の詩経(しきょう)研究について研究しています。来日前には、北京科技大学の学部生として4年間日本語を勉強し、その後は北京師範大学の大学院で1年間日本文学を学びました。そして、院生2年目にこの広大へ来たんです。

日本語を学ぶことになったきっかけは何ですか。

実は、日本語を専攻するというのは、そもそもの第一希望ではありませんでした。最初目指していた専攻は、当時の私の成績では受けるのが難しくて、それでしようがなく(笑)日本語を選びました。だから日本語の専門に入って1年目の頃は、やはり希望していた勉強をやりたい、専攻を変えたい、と思っていたんですよ。でも、とても素晴らしい日本人の先生方が教えてくださったおかげで、1年目が終わる頃には、これからもこの勉強をもっと続けたいと思うようになったんです。

良い先生に恵まれたのですね。

はい、先生には本当にたくさんのことを教えていただきました。私の大学では先生の寮がキャンパスの中にあって、時々クラスの友達と一緒に先生の寮に行って、一緒にご飯を作って食べたりしていました。ものすごく楽しかったです。そんなふうに過ごしながら、日本の事情とか、いろんなことを教えてくれて、そのうち徐々に私の知識も増え、それにつれて、日本語に対する興味もふくらんでいきました。私が日本への留学を決意したのは、先生がいろいろと教えてくださったおかげです。

入学の準備は大変でしたか。

いいえ。大変なことは特にありませんでした。広島大学に留学するには、まず指導教員の先生を見つけなくてはいけません。それで広大のホームページを見て、現在の先生にメールして私の指導教員になってくださるようお願いしました。先生はすぐに「いいよ」とお返事をくださり、そして来日前に私たちは何度かメールのやりとりをしました。先生は私の質問にすぐに返信してくださいました。このように、すべてがとても順調でした。

そうして来日の時を迎えたのですね。広大の第一印象は?

第一印象は、とにかく「広い!」。そして10月というと紅葉の季節でしたから、キャンパスのもみじの美しさにびっくりしました。北京の香山公園なども美しい紅葉で有名ですが、私はそこのもみじはまだ見たことがないんです。なので、広大のキャンパスを見て、「ああ、もみじとはこういうものなのか」と。そして、来日した翌日には、さっそく中文(中国文学)の研究室に行きました。

研究室はどうでしたか。

一目見て、「あ、さすがに広島大学だな」とすぐに思いました。本がいっぱいありました。私が国内で見たことのない本もたくさん。すごいなあって。ワクワクしましたね。

寮生活には、すぐに慣れましたか。

はい。広大ではサポーター制度というのがあって、サポーターの広大生が私たち留学生の生活をいろいろと手伝ってくれたので助かりました。金融機関や市役所に連れて行ってくれて、新生活に必要な手続きをするのを親切に手伝ってくれて、すごく感謝しています。それに、多くの中国人留学生が学ぶ広大には、広島大学中国留学生学友会という組織があって、私たち中国人留学生の生活・学習などの活動を支援してくれます。私たちは主に中国のWeChatというコミュニケーションアプリで情報交換をしています。その他にも、新入生の歓迎会のようなものがあって、参加学生には、お得な買い物情報などが紙媒体でも提供されています。

専門の「詩経」の研究について、少し聞かせてください。

「詩経」は中国最古の古典として、長年にわたり多くの人々によって研究されてきた詩篇です。中でも、白川静博士は文学の方面からの研究をされていて、彼の解釈は非常に独特で、説得力のあるものだと私は思います。例えば「詩」の起源に関してですが、そもそも「詩」というものの最初の機能というか役割は、人が神と接するための手段であったというものです。つまり、個人の祈り、願い、呪い、あるいは考えたことを神に対して話したり、歌ったりする。「詩」はそのために生まれたというものです。

「呪い」もですか?

はい。祭祀(さいし)の場から文学が生まれたという考えについて、私もまったくその通りだと思います。だって、そもそも詩とは「韻文」じゃないですか? 祭祀の場で、神とか祖先とか、あるいは精霊に対して捧げられた言葉の最初の形式は「韻文」です。その韻文が、だんだん後の代に伝承されていくうちに「詩」が生まれたんですよ。しかし、時の流れとともに社会の組織も変わり、みんなの生活も変わりました。つまり、もともとは祭祀の場で生まれた文学が、人々の生活の変化とともに変わってゆき、もともとあった「呪い」の色彩なども徐々に薄れ、やがて現代の私たちにとって馴染みのあるものへと変化していったのだと私は思います。

それから、「詩経」と並んで中国最古の古典とよばれる詩集に「楚辞」(そじ)というのがあります。「楚辞」の研究で有名なのは藤野岩友(ふじの いわとも)博士ですが、彼は自身の著書「巫系文学論」(ふけいぶんがくろん)の中で、「楚辞」について「巫女」(みこ)という観点から色々論じています。私はもし中国の南方の詩集である「楚辞」をこの方面から論説できたら、おそらく北方の「詩経」についても同様の研究ができるのではないかと思っています。この両者を比較することで、何か新たな発見ができると期待しているんです。

なるほど。わかりやすく説明してくださり、ありがとうございました。 ところで、広大の授業についてどう思われますか?

先生が厳しいです(笑)。私が受けている中文の授業では、学生がよく発表をやります。前学期の「説文解字」(せつもんかいじ)の授業では、私は4回も発表したんですよ。それはもう大変でした!

「説文解字」の発表とは、どのようなものですか。

「説文解字」というのは、漢代の許慎(きょしん)という人が書いた部首別漢字字典のことで、それに清代の段玉裁(だんぎょくさい)という人が注釈を付けたものが、現在の私たちのテキストとして使われています。私たちはその本について課題を与えられ、調べた結果をみんなに紹介するんです。先生はとても厳しいですけど、その分ものすごく勉強になります。私はもともと中国では日本文学をやっていて、中国の古典知識はあまりなかったのですが、広大の中文の授業のおかげで、いろいろな基礎知識を身に付けることができました。それに、先生も普段から丁寧に指導してくださり、いろんな本もすすめてくれて、おかげで良い本をたくさん読むことができました。

日本人学生についてどう思いますか。

学習態度はとてもまじめですね。中国の古典知識は、日本人学生の方が、たぶん私よりもずっと持っていると思います(笑)。よく日本人の友だちと一緒にアルバイトをしますが、彼らは中国人よりも自立的だけど、ちょっとおとなしいと思います。たとえば授業でディスカッションする時も、何か意見があるみたいだけど、なかなか言い出さないという様子が時々みられます。北京の大学でディスカッションする時は、みんな自分の意見をはっきり言って、時には白熱しすぎて、けんかみたいな感じになることもあります(笑)。

日本人はみんながきちんとルールを厳守していて、それはとても素晴らしいことです。ただし「寛容性」という面では、まだちょっと不足しているかなと思います。つまり他者を受け入れる気持ちですね。実際に日本人と共に生活して感じたことですが、「内」と「外」の区別がはっきりしている。優しくて親切だけど、時々何を考えているのか、つかみどころがない。だから日本人の友だちとどう接すればよいのかわからなくなることがあります。そんな中で、今の研究室でかけがえのない友だちができたことは、私にとって大きな収穫です。人数はそう多くはないけど、気持ちが通じ合う友だちです。みんなとは帰国後もずっと付き合っていきたいです。

学食の食事はどうですか?

とてもおいしいです。味付けも薄くて体に優しいと思います。おかげで、日本に来てから、あまりニキビが出なくなりました。

それはよかったですね。自分ではどんな料理をつくりますか。

普段つくるのは、やはり中国の家庭料理です。たとえば水餃子。私の日本人の友だちに中国に2年間留学していた子がいて、彼女と一緒によく餃子を作るんですが、ものすごく上手でびっくりしますよ(笑)。私の故郷ではもちろん水餃子がメインですけど、もし余ったら、次の日、油で揚げて食べたりもします。どちらもおいしいです。

大学や地元のお祭りには参加されますか。

はい、昨年の酒祭りに参加しました。あれは、日本だけの日本らしい、日本ならではのお祭りだと私は思います。仕事仲間や友達や家族が一緒に畳の上に座って、一緒に食べたり飲んだり話したりして、楽しそうでしたね。お酒もおいしかったです。私は、あまり強いお酒は苦手なんです。だから、日本酒はちょうど飲みやすくておいしいと思います。

日本酒もアルコール度数からいって、かなり強いほうだと思いますよ。

えっ、そうですか!? だって、普段私が父や祖父と一緒に飲んでいるお酒は、それよりもずーっと強いんですよ(笑)

玲玲さん、留学を考えている後輩に、何かアドバイスはありますか。

広大は本や研究資料が膨大で、学生にとって大変恵まれた環境だと思います。ですから、ここにいる間はそれらをたくさん利用して、たくさん学んでほしいです。それから、ぜひホームステイも経験してほしいです。本当の日本人の生活がどういうものなのか、自分の目で見て確かめることはとても楽しく、そして意義のあることです。留学のチャンスはとても貴重なものですから、もしそのチャンスがあるなら、勇気を出して、挑戦してほしいです。もちろん、日本語はペラペラじゃなくても大丈夫ですよ。

将来の夢は何ですか。

今年の秋に帰国したら、修士3年目になりますので、就職するかこのまま勉強を続けるかを決めなくてはなりません。今のところは、もしできたら、日本語の教師になりたいと思っています。私が現在日本語に興味を持っているのは、やはり北京で教えてくださった日本人の先生のおかげです。その頃、もしそのお二人が私の大学にいなければ、今頃は別の専門に進んでいたかもしれない。でも、こうして日本語を選んでよかったなと思っています。それに、今の中国の人は、特に私の両親の世代は、日本に関してあまり知らない人が多いと思います。日本をよく知らないから、いろんなことに関して、考え方が私とは違います。もし私が日本語教師になったら、私が知っている日本を中国のみんなに紹介して、もっと日本を知ってもらいたい。そして自分の力で、できることをやりたいです。

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