第38回 デーブ エンジェレスさん(フィリピン)

「冒険の旅に出よう!」

名前: デーブ・エンジェレス
出身: フィリピン
所属: 大学院教育学研究科(教員研修留学生)
趣味: ドキュメンタリー動画を見ること、昔の音楽を聴くこと, 日本国内を旅すること

(取材日: 2017年7月21日)

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ふるさとは、どんなところですか。

フィリピンのルソン島にあるパンガシナン(Pangasinan)州の南部、バヤンバン(Bayambang)という町です。パンガシナンには「ハンドレッド・アイランズ」(Hundred Islands)と呼ばれる国立公園があり、島めぐりを楽しむ観光客に人気です。どの島にもそれぞれ面白い特色があって、それにちなんで「モンキー島」、「ガバナーズ島」といった名前がつけられています。どこまでも澄みきった海の中で楽しむ水泳やシュノーケリングもまた格別です。

パンガシナンは、国内有数の生産量を誇る農業地域でもあります。米、トウモロコシ、マンゴー、スイカ、玉ねぎなどを生産しています。それに、私たちの町バヤンバンは、「世界一長いバーベキュー」(8 kmの距離にわたって行われた)でギネスの世界記録に認定されたことでも有名です。もちろん、そのバーベキューには私も参加しましたよ! 記録挑戦の際には、地元の有名なアグノ川と周辺の池でとれた淡水魚を焼きました。

それはすばらしいですね。ところで、私はついこの間、パンガシナンのハンドレッド・アイランズの映像を見たのですが、なんだか瀬戸内海の眺めに似ているなと思いました。

私もそう思います! 以前、広島から愛媛にフェリーで行った時、私も瀬戸内海を眺めながら故郷の景色を思い出していました。日本とフィリピンは、どちらも無数の島々で構成されている「列島」の国なんですよね。

そのとおりですね。ところで、日本に興味を持ったきっかけは何だったのですか。

私は子どもの頃、日本のアニメや特撮テレビドラマが好きでした。「ドラえもん」、「超電子バイオマン」、「宇宙刑事シャイダ-」、「超電磁マシーン ボルテスV」など、よく見たものです。それに、日本はその最先端技術による発明で知られていましたし、私もその分野に興味がありました。しかも私の読んだ本には、日本人はとても礼儀正しいと書かれていました。そんな私がこうして日本を留学先に選んだのは、自然の成り行きでしょうね。

フィリピンの人は、みんなデーブさんのように日本に詳しいのですか。

はい、みんな日本のことをよく知っています。特に食べ物。寿司はすでに人気ですし、首都マニラには日本のラーメンの店もあります。それに、日本は私たちが台風や地震などの災害に見舞われるたびに、援助の手を差しのべてくれています。こうしたことから、日本はフィリピンでも広く知られるようになったのだと思います。

なるほど。ところでデーブさん、留学先に広島大学を選んだのはなぜですか。

日本政府の奨学金留学生(教員研修生)の選考に合格後、私たちは日本のどの大学で学ぶか選ばせてもらえることになりました。そこで、教員研修生として日本に留学中の友人に助言を求めたんです。「どの大学がいいと思う? やはり君と同じところかな」すると彼女は、「広島大学!」と。「ええっ、どうして君の大学じゃないの?」その質問に答えは返ってきませんでした(笑)。それでも彼女は、広大は教育者育成においてトップクラスの実績を誇る大学だと教えてくれたんです。そして、彼女は正しかったのだと後日わかりました。

ご友人の助言のおかげでこの大学に来られたのですね。最初に広大を訪れた時の印象は?

私がまず感じたのは、この大学では、学生管理や学事日程の提供などといった仕事が実に手際よく行われているということでした。物理的な配置についても、キャンパスの建物と木々のバランスが絶妙だなと思いました。それに、私が初めて来た頃、季節は秋で、構内の木々の葉が黄色、赤、栗色などに色づいてゆくさまは、私の目を大いに楽しませてくれました。

学びやすさを意識して整備された施設もすばらしいですね。教員からの指導はもちろん、学生が必要とするものはすぐに入手できるよう配慮されています。私が来日した頃は、もちろん日本語も話せなくて、右も左もわからない状態でした。あくまで自分の目で確かめたいという理由から、広大のことを事前にウェブで調べたりもしませんでしたから。しかし、私たち留学生には学生サポーターがついてくれて、ショッピングモールやその他の施設の場所を教えてくれるなど、広大での生活が軌道にのるよう私たちをサポートしてくれました。窓口での手続きもとてもスムーズで、申請書類に記入する時なども、日本人スタッフが手伝ってくれました。

現在は、どのような研究をされているのですか。

私は今、教員研修生として、日本の、特に高等学校における教育カリキュラムについて研究しています。実際の授業を見学し、効果的な教授法について学び、その成果をわが国での教育に役立てたいと考えています。

そういえば最近、フィリピンでは新たな教育制度が導入されたのですね。

そのとおりです。わが国が新たに導入した基礎教育改革は、別名「K to 12プログラム」とも呼ばれています。これにより、まず幼稚園(Kindergarten)で学び、その後学校に上がり12年間学ぶというのが、フィリピンの新たな義務教育の形となりました。つまり、従来は10年制の学校だけでしたが、それへ幼稚園(1年制)を加え、さらに2年制の高等学校を加えたのです。そして私が日本に来たのは、日本の優れたノウハウをわが国に導入するためです。たとえば、「授業研究」。日本はこの研究が非常に発展していることで知られており、フィリピンはもちろん世界のあらゆる国々が日本のスタイルを模範としています。

授業研究を導入してまだ日が浅いわが国でも、そのためのセミナーやワークショップがいくつかの機関で開催されるようになりました。それを見て私は、これだ! と閃いたのです。日本では、すでに授業研究のプロセスが完成されている。日本の教師と生徒がどのようにして互いに関わりあいながら完璧な教育制度を築き上げているのか、それをぜひ知りたいと思ったのです。そして、日本の教師たちが教育向上に非常に積極的に取り組んでいることも知ったのです。

フィリピンでは、高校の理科の先生なのですよね。

ついこの間までは、日本でいうところの「中学校」で教えていました。しかし高等学校が新設されてからは、私もその新しい制度のもとで教鞭を執ることとなりました。つまり、今は「高等学校」の教師というわけです。

栄えある「第1期」というわけですね!

新制度の下での「高等学校」の教師としては、そうなりますね。だからこそ私は、ここで研究して得た成果を持ち帰り、わが国の教育制度をより良くするために役立てたいと考えたのです。

すでに日本の高等学校での授業をいくつか見学されましたね。どのような感想を持たれましたか。

事前準備に抜かりがないな、というのが第一印象でした。フィリピンでももちろん授業のための準備はしますが、日本の教室には視覚教具や実験道具など、必要な教材が完璧に揃えられています。その上、生徒たちの授業態度は真剣そのもの、それでいて、教室は水を打ったような静けさ(笑)! 彼らは教師の指導によく従い、実験も上手にこなし、とても優秀で、授業中声を立てる生徒はひとりもいません。そして教師が何か質問をするたび、積極的に手を挙げて発言します。

それから、校舎や教室や、体育館内に設置されたバスケットボールのコートなど、「SLAM DUNK」などのアニメで見たことのある光景がそっくりそのまま日本で見られたことも、嬉しかったですね。

それはよかったですね。ところで、フィリピンでは非常に多くの母語が話されていますが、それにしても、みなさん英語をとても流暢に話されますね。

そうですか! ありがとうございます(笑)。フィリピンの公用語はフィリピン語と英語のふたつで、英語は1年生から習い始めます。算数や理科といった主要科目については英語で授業が行われます。むろん国語(フィリピン語)の授業は別ですよ。低学年の頃は私も英語をうまく話せませんでしたが、学年が上がるにつれ、すべての授業が英語で行われるようになり、その頃には、私たちが教室で発表する時も英語を使わなくてはなりませんでした。そうするうちに、私の英語も上達していったのです。

広島県内の高等学校で英語を教えるボランティアをなさっているのですね。生徒たちの英語についてどう思われますか。

日本の生徒たちは、おそらく文法的な誤りを気にしてのことでしょうけど、あまり英語で話したがりません。話せばちゃんと通じるのにね。私たちの仕事は、イングリッシュ・キャンプで生徒たちの英会話の練習を助けることです。ですから、生徒が日本語で話しかけてくると、たとえ彼らが何を言っているかわかったとしても、ちゃんと英語で言い直すよう指導しますよ。「もう一度、イングリッシュ・プリーズ」ってね(笑)。そうすれば、頑張って英語で話してくれます。

教職を志したそもそもの理由は、何だったのですか。

私が教師を志したのは、自宅からあまり離れずに働ける職業だったからです。以前の私は、自分にとって居心地のよい「安全地帯」から離れることをおそれていました。それで大学に進学する時も、実家にほど近いところに決めたのです。州の中では教員養成に最も実績のある大学でした。

現在はこうして日本にいらっしゃるわけですから、みごと「安全地帯」からは脱け出されたのですね。

そうですね(笑)! しかし、私が教職を志したのは、学校時代に教えてくださった先生が立派な方ばかりで、あんなふうに自分もなりたいと憧れたことも大きかったのです。特に物理の先生。知性にあふれた最高の先生で、教室管理の手際もすばらしかった。その先生のおかげで、難解な内容も楽に学ぶことができたんです。そうしていつしか「僕も、先生になるんだ!」と決意していました。

デーブさん、余暇は何をして過ごしますか。

日本に滞在中、時間がある時には、日本やフィリピンの文化や、フィリピンの現状などを描いたドキュメンタリー動画を見ます。旅行も好きで、すでに京都や愛媛県などいろんな所に行きました。次は大阪と東京へも行くつもりです。あと、自分の研究に関する本を読んだりもします。しかし、これは余暇の過ごし方とはいえませんね(笑)。そうそう、福岡と山口へご当地ラーメンを食べに行ったこともありますよ。

ラーメンがお好きなんですか。

はい、大好物です。寒い冬に熱いスープで食べるラーメンは最高です。博多ラーメンも食べたことがありますが、あれは、私たちがフィリピンでよく朝食として食べる「ソパス」(Sopas)というクリーミーなマカロニスープに似ているんですよ。

フィリピンにも、おいしい料理がたくさんありそうですね。

もちろん。たとえば「レチョン」(Lechon)、これは子豚の丸焼きです。皮はパリッ、肉はジューシーで、すっごくおいしいんですよ。とろ火でじっくりと焼きあげていくので、調理に何時間もかかります。それから、ああ、「シニガン」(Sinigang)も懐かしいな! タマリンドを用いた酸味のあるスープで、肉と野菜が入っていて、これが肌寒い雨季には最高のごちそうなんですよ。

日本での文化体験はいかがですか。

広島大学主催の「ゆかたまつり」、広島市の「フラワーフェスティバル」など、すでにたくさんのお祭りに参加しました。最初に参加した西条の「酒まつり」では、さすが日本の人たちは、あれだけ酔っぱらっている時でさえずいぶんと「規律正しい」ものだなと感心しました(笑)! 瀬戸田のレモン祭にも参加しましたよ。このお祭りは今年が記念すべき第一回なので、私もその歴史的行事に参加できて光栄です!

ホストファミリーにも大変お世話になりました。日本の茶道やお正月の過ごし方など、多彩な日本文化に触れる機会を私にくださいました。お正月にごちそうになったおせち料理も、とても、とってもおいしかった! その上、文化体験の一環として、県内のいろんな場所に私を案内してくださいました。このようなホストファミリーと出会えて、本当に私は幸せ者です!

日本での生活を満喫されているようですね。

そうですね。それからフィリピンには冬がありませんから、来日して初めて迎えた冬は、生涯忘れられない思い出となりました。あの冬、雪が降るのを今か今かと待ちわびていた私は、ある夜、とうとう降り始めたのを見て歓声をあげました。「やった! 降ってきたよ! 雪だよ! みんな、早く早く!」そうして夜の10時だったにもかかわらず、私は友だちと一緒に寮の外に飛び出しました。もうみんな、初めての雪に大はしゃぎでしたね。

じつは、フィリピンの学校では夏休みにあたる今年の4月から5月にかけて、私の妻とふたりの子どもが来日してくれて、家族みんなで一緒に過ごしたんです。私の妻も教師をしていて、私の留学中に日本で一緒に暮らすために、今は帰国して休暇を申請しています。家族にも、日本の美しい四季を味わってもらいたいと思っているんです。

ご家族にも日本での生活を楽しんでいただけると嬉しいです。デーブさん、フィリピンの若者たちに何かアドバイスはありますか。

私からのアドバイスは「常にポジティブであること!」そして、快適な「安全地帯」(コンフォートゾ-ン)から抜け出すこと。私がかつてそうしたようにね。慣れ親しんだ土地で自分の言葉を使いながら過ごす日々は、諸君にとってさぞ快適でしょう。しかし、人生の好機はいつだって安全地帯の外にあります。私はそこを「勇気のゾーン」(カレッジゾーン)と呼んでいます。安全地帯から抜け出して、いざ、冒険の旅へ! さもなければ、退屈な日々が続くだけですよ。

どうもありがとうございます。デーブさん、将来の夢はなんですか。

キャリアについて言えば、私は影響力のある教育専門家になりたいです。日本で身につけた時代の先端をゆく教育戦略やその他の有益な知識を活かし、数多くの教師や教育関係者に良い影響を与えうる存在になりたいのです。そしていずれは、フィリピンの高校生のための教科書づくりにも携わりたいと思っています。

そして家族に関しては、子どもたちにはぜひ日本の学校で学んでもらいたいです。なぜなら、日本の生徒たちはとても規律正しくしっかりしているからです。彼らは自宅から自分で歩いて登校するし、保護者が学内に立ち入ることもないし、その上、教育内容もとても良いと思います。そして、私の子どもたちが大学に入る年齢になったら、その時はぜひ、広島大学を選んでもらいたいです。

最後に、何かコメントはありますか。

それではまず、ここで話す機会を与えてくださった広大のみなさんに感謝を。おかげで、フィリピンだけでなく世界中の人々に私の言葉をお届けすることができます。それから、これまで私を助けてくださった親切な日本のみなさんに感謝を。特に私の指導教員であり、私を温かく見守ってくださる松浦准教授へ。先生のサポートのおかげで、私はここまでたどりつくことができました。先生の的確なご助言、ご指導のおかげで、私はこうして、なに不自由なく思いきり研究に打ちこむことができます。

すばらしいコメントですね。ありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。私の話をお楽しみいただけたなら幸いです。

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