第42回 余 ハンハンさん(中国)

「日本文学の魅力を伝えたい」

名前: 余 ハンハン
出身: 中国
所属: 大学院文学研究科博士課程後期3年
趣味: 読書と音楽鑑賞(特に詩とクラシック音楽)
(取材日: 2018年6月21日)

留学生インタビューバックナンバー

ハンハンさん。同じ音の繰り返しの名前は、いかにも「中国女子」という感じで、とても可愛いですね。

そうですか! ありがとうございます。確かに、「A(姓)BB(名)」といった構成の名前が中国には多いですね。実は、私が生まれた1990年は北京でアジア競技大会が開催された年で、私の名は、その大会のマスコットのパンダに因んで付けられたんですよ。おかげで、子ども時代のニックネームは「パンダ」でした(笑)。

中国の、どの地方からいらしたのですか。

浙江(せっこう)省の西にある、江山(こうざん)という小さな町です。江山市は西に安徽(あんき)省、南に福建(ふっけん)省と隣接し、古来より貿易の町として栄えてきました。山水の景色も素晴らしく、有名な観光地「江郎山」(こうろうさん)は世界遺産にも登録されています。

浙江省の郷土料理として代表的なのは粽子(ヅォンズ)、日本で言う「ちまき」です。ヅォンズには甘いものもありますが、母がよく作ってくれるのは、醤油で味つけしたお肉が入ったものです。お肉と一緒に漬物を刻んで入れることで、あまり油っぽくなく、さっぱりといただけるんです。浙江省は上海に近いこともあり、全域的には味が薄い料理が多いのですが、私の町では、むしろ味が濃いもの、辛いものが好まれます。もちろん、私も濃厚な味付けの方が好きです。

日本に興味を持ったきっかけは何だったのですか。

子どもの頃から、SLAM DUNK(スラムダンク)という日本のアニメが好きだったんです。バスケに青春をかける男の子たちと、そんな彼らを一生懸命励ます女の子たち、そんな「青春!」って感じの物語が好きで(笑)。そんなアニメを見て、日本語ってきれいだな、と思ったんです。私も日本語ができれば、アニメのテーマソングを日本語で歌えるのにな、という願いもあって。それが日本語を学ぼうと思ったきっかけでした。本格的に学び始めたのは、大学に入学してからです。

現在は、大学院文学研究科の博士課程で学ばれているのですね。

はい。広島大学へは、これが二度目の留学です。一度目は中国で大学院生だった時、 HUSA(広島大学短期交換留学)プログラムで渡日しました。広大への留学経験のある先輩から、留学生を大勢受け入れていて、安心して留学できる大学だと聞いて決意しました。それで、2013年9月から一年間、交換留学生として広大で過ごしました。

その後はいったん帰国し、一年間をかけて修士論文を提出し、修士学位を取得した後、再び文学研究科で学ぶために広大へ戻ってきたというわけです。2015年9月のことでした。

広大の第一印象はどうでしたか。

一言でいうと「グローバル」ですね。実は、HUSAプログラムで渡日後、最初に参加したオリエンテーションがとても印象深かったのです。そこには国際交流グループの職員の方や先生が大勢いらっしゃって、中でも、司会をされた先生が凄くパワフルというか「Energetic」(精力的)で、広大って国際的だなあ、と新鮮な驚きをおぼえました。

私たち東アジア人は内気というか、おとなしくて、欧米人のようなオープンな性格の人が少ないイメージですよね。だから、渡日したばかりのオリエンテーションで、日本人も外国人に混じって気軽に冗談を言ったり、自分の意見を率直に述べたりしている、そんな思いがけない光景を目の当たりにして、これまでの私の日本人に対するイメージが良い意味で裏切られたんです。

なるほど。日本人学生と一緒に学んだ感想は?

彼らはまじめで、いつも規律正しいという印象ですね。細かいことにも神経を注いで、それはもちろんいい意味で、ですけど。「精緻」というか、何事にも丁寧で慎ましやかな心づかいをもって、常に自分の最善を尽くしているという感じを受けました。その点、「私も見習わなくては」と思います。

良いことばかりですね!

正直、「そこまでこだわらなくても」と思うこともあります(笑)。でも、中国で日本語を専攻した時、日本の社会・文化についても学びましたから、それほど驚いたり戸惑ったりはしませんでした。「ああ、日本人にはそういう(細かい)一面もあるよね」と、冷静に受け止めている自分がいました(笑)。母国で学んだことを再認識したというか。その点、オープンでグローバルな日本の先生方と初めて接した、あのオリエンテーションでの驚きとはまた違う体験ですね。

現在の専攻は何ですか。

日本の近現代文学、特に今は現代文学を研究しています。私が注目している作家は、遠藤周作です。没後20年以上になりますが、まさに現代を生きた作家の一人です。

遠藤は、戦後間もなくの1947年に初めて評論を発表し、以来1996年に没するまで、約半世紀もの長きにわたり作家活動に打ち込みました。私が最初に読んだ彼の著作は『沈黙』と『深い河』。特に個人的に興味深いのは『深い河』という小説です。『深い河』とは、世代も背景もそれぞれ異なる5人の主人公が、とある遠い異国の地を旅しながら、自分の辿ってきた人生をいろいろと回想していく物語です。2016年9月の遠藤周作学会では、この作品について発表したんですよ。

どのような研究だったのですか。

私は主に女性人物について研究していますから、「美津子」と、それから「啓子」という二人の女性に注目しました。実はこの研究を発表した時、私が啓子に注目したことを、日本の研究者の先生方が評価してくださったんです。なぜなら、5人の主人公のいずれかに注目する研究者が圧倒的に多い中で、啓子といえば、これまでほとんど注目されたことがない、一見目立たない人物だからです。

そのような人物の、どこに興味をおぼえたのですか。

彼女の「存在感」です。読むたびに、控えめで平凡な女性であるはずの彼女の存在が、私の中でどんどん大きくなっていくのをおぼえました。彼女は、いわゆる「良妻賢母」(子どもはいませんが)タイプの女性で、仕事から疲れて帰宅する夫をいつも温かい微笑みで迎える、一種の「なぐさめ」として見られています。当時の日本の社会的状況に鑑みても、その時代の理想的な女性像と言えます。そんな、一見平凡な女性のどこに私が存在感をおぼえるのか、もっともっと、お話ししたい気持ちでいっぱいなのですが、ここから先は、ちょっと専門的な内容になってしまいますので・・・。

登場人物を、とても深く掘り下げて研究されているのですね。

小説を読む際、物語のドラマティックな展開を楽しむことに目が行きがちですね。それはそれで、一つの物語を楽しんだという、良い読書体験の形だと思います。しかし、研究者であるからには、一般の読書家の目が届かないところまでも注目しなくてはなりません。作家の実体験を調べたり、同じ作家の別の作品と比較することで何かを得たりなど、やり方はいろいろとあるのですけどね。

詳しく、ありがとうございました。学内でPA(フェニックス・アシスタント)として勤務した経験もあるのですね。

はい。国際交流グループのオフィスで、留学生を対象にした窓口業務に約一年半従事しました。中国語や英語、日本語の語学力をフルに使って、留学生の悩みを聞いて問題解決を助けるなど、達成感が得られる仕事です。市役所からこんな通知が届いたんだけど、どうしたらいい? とか、ビザの更新手続きについて質問する学生もいます。そういった細かい生活面の事にも、同じ留学生としての経験、すなわち自身の「強み」を活かして対応できますから、やりがいがあります。

インターンシップの経験も?

はい。HUSA留学生時代、「グローバル化支援インターンシップ」の授業を受講した際に、他のインターンと協力して、東広島市役所と連携する「市民レポーター」のプロジェクトを企画・実行したことがあります。また、「呉市立倉橋中学校」、「長門の造船歴史館」、江田島市沖美町の「田舎暮らしを楽しもう会」などの組織の協力のもとで、HUSA留学生を対象とした「倉橋・江田島国際交流歴史ツアー」を行ったこともあります。これらのインターンシップは私にとって、社会人としてのマナーや日本社会の仕組みを学ぶだけでなく、すべての段階において自分の頭で判断・行動することを体験できた、貴重な学びの機会となりました。

ここに、インターンシップの時の写真があります。スーツ姿が決まっていますね!

「夢来来」(江田島)にて、HUSAインターンの仲間と。夕陽がきれいです!

これは、ちょうどプロジェクトの仕事を終えてひと息ついている時の写真ですね。実は、インターンシップを始めるにあたり、生まれて初めてスーツを買いました。大学生協で名刺も作ったんですよ。名刺交換の練習もしました。でもあれ、渡しながら同時に受け取るタイミングが難しいんですよね。今でも、時々迷います(笑)。

確かに、難しいですね(笑)。

あと、日本の社会には、お酒の席で互いに「お酌」をし合う習慣がありますよね。渡日して間もなくの頃、私はそれを全然知りませんでした。それで、目上の方と一緒に飲んだ時も何も気づかなくて、その方はずっと手酌(自分で注ぎながらお酒を飲むこと)で飲まれていて。そうしているところを、日本人学生に注意されて。それ以来、私も今はお酌をするようになりましたが、時々緊張してこぼしてしまったりして、未だに苦手です。

教室や研究室の外でも、日々いろんなことを吸収されているのですね。ところで、留学経験の豊富なハンハンさんから見て、国際交流で一番大事なことは何だと思われますか。

日本語には「以心伝心」という言葉がありますね。言葉ではなく、互いに心で通じ合う、といった意味ですね。あくまでもこれは私の解釈ですが、そもそも「以心伝心」とは、相手の心を大切にすることだと思います。外国人同士のコミュニケーションでは、どうしても言葉が一種の壁になるのですが、そういった言葉の壁を越えて、相手が何を一生懸命自分に伝えようとしているのかを、こちらも一生懸命に理解しようとする。そんな努力が、国際交流においては最も大切なことではないかと思います。

すばらしい解釈ですね! ありがとうございます。留学を考えている後輩に、何かアドバイスはありますか。

留学は、今までと違う自分を発見できる貴重な機会でもありますから、何でも挑戦する意欲と勇気が必要です。「こんな事、私にできるのかな?」と怖気づいてしまって、せっかくの挑戦を諦めるなんて、もったいない! 留学生活で遭遇するいろんな機会を、ぜひ、怖がらずに活かしてください。そうすればきっと、今はまだ気づかない、思いもかけない自分の素晴らしさに気づく日が、必ず来ると思いますよ。

最後の質問です。将来の夢は何ですか。

私の夢は、いつか教師になることです。そして、日本文学の魅力を伝えることです。例えば、川端康成や三島由紀夫の作品に代表される日本文学は、「美しいもの」への憧憬、即ち「もののあはれ」というか、刹那に咲いて散る桜を讃える文学。一方、私の研究している作家・遠藤周作が表現したのは、「永遠なるもの」、即ち宗教の根源を問う文学。そのように様々な顔を持つ日本文学の価値を、いつか母国の人たちに伝えられたらいいな、と思っています。そして、この留学の機会に知り合えた日本人研究者の皆さんとも協力して、中国と日本の人々が文学を通じて交流できるイベントの開催などにも携わりたいです。

夢が叶うよう祈っています。本日はありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

Photo Gallery

長門の造船歴史館(呉)にて、HUSA留学生の仲間と。
私たちインターンが企画した倉橋・江田島国際交流歴史ツアーをいかにも楽しんでいる様子!

北海道の劇場にて、学部時代の母校(浙江工業大学)の音楽の先生と。
二人とも大好きな「オペラ座の怪人」を鑑賞。

日本文学語学研究室の院生の仲間と一緒に。

京都の金閣寺にて。
冬季日本語・日本文化特別研修プログラムに、ボランティアとして参加。


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