第47回 ニコラス ベンワさん(アメリカ)

「グッド・サイエンティスト」

名前: ニコラス ベンワ
出身: アメリカ
所属: 大学院理学研究科(2020年4月より、大学院先進理工系科学研究科に改組)博士課程後期3年
趣味: 読書、料理、パン・お菓子作り、地方を旅すること、音楽を学ぶこと
(取材日:2021年10月14日)

留学生インタビューバックナンバー

ふるさとは、どんなところですか。

ニューヨーク市郊外のロックランド郡というところです。芝生のある庭付きの家に仲の良いご近所、そんなアメリカの典型的な郊外の町で育ちました。わが国の東北に位置するニューヨークには四季があり、その気候は日本の東北地方と似ています。実際、ロックランド時代の一番鮮明な記憶といえば、冬の雪景色です。
高校を卒業後、私はロードアイランドというとても小さな州に引っ越しました。大学を卒業したのもそこでした。卒業後はさらに別の州、マサチューセッツに就職し、そこに移り住んで働きました。広島に来たのはその後です。そして、この10月が私の博士課程後期の三年目、すなわち最終となる学年度の始まりというわけです。

広大に来られる前は、何をされていたのですか。

企業の電気技術者としてフルタイムで働いていました。そのかたわら、パートタイム学生として、マサチューセッツ大学ダートマス校の修士課程で物理を学んでいました。

学業とフルタイムの仕事を両立させていたのですね。時間のやりくりはどうしていたのですか。

きちんと計画を立て、スケジュール管理をしていました。手帳やカレンダーに記録してね。日本にいる今も同じで、私のカレンダーには予定と時間が克明に記されています。そして、私は常に時間厳守を心がけています。企業で働いていた頃は、勤務時間中に仕事を中断して大学に行き、また戻ってきて夜遅くまで働くという日々でしたから、仕事でもそれ以外でも、時間の使い方にはとても気を使わなくてはいけませんでした。スケジュール管理はなかなか大変でした。

広大に来た時の第一印象はどうでしたか。

初日は広島空港に到着して、そこからはバスで東広島キャンパスまで来たのですが、降りるとそこは学生プラザの前でした。私はキャンパスが想像していたよりもずっと大きかったことに驚きました。とてもきれいなキャンパスだと思いました。するとまもなく一人の日本人学生がやってきて、彼らのサークルに入らないかと誘ってくれたんです。ここの人たちは凄くフレンドリーじゃないかと思いました。そんなわけで、第一印象はとてもよかったと思います。
広大は、これまでに私が通ったどの大学とも全く違っていました。学部卒業のために通った大学は海のすぐ近くで、木もあまり生えていなくて、山などもなくて、建物も小さかったです。マスターを取得した大学はといえば、とても奇妙な外観をしていました。大きな円の内側に沿うように全ての建物が並んでいて、建物から建物へ移動する時は、ぐるりと歩いて移動しなくてはなりませんでした。

広大では何を学んでいるのですか。

現在は大学院理学研究科で、素粒子物理学理論を学んでいます。中でも私が注目しているのはニュートリノという素粒子です。これは宇宙の根源に迫る数々の新事実への鍵として期待されているものです。

ニュートリノに興味をもったのは、なぜですか。

修士課程で学んでいた頃のことでした。何か面白い研究テーマはないかと探していたところ、ニュートリノの不可解な振る舞いについて書かれた記事を見つけたのです。それによると、これまでニュートリノについて判明している事実の幾つかは、我々の従来の常識では理解しがたい奇妙なものでした。そのようなことがどうしてあり得るのか。私はそれらの事実にとても興味をひかれました。
早速ニュートリノについて研究を開始した私は、ニュートリノが、我々が知るどの種類の素粒子よりも極めてユニークであることを知りました。その他のほとんどの基本粒子に関して、我々は既にかなりのことを把握できているのに対して、ニュートリノの存在は謎に包まれています。非常に奇妙で興味深い特性を示し、そして、未だ解き明かせない謎を秘めている。私がニュートリノに惹かれた理由はそこにあります。

ニュートリノを研究されている高名な研究者は世界中にいらっしゃいますが、留学先に日本を選んだのはなぜですか。

おっしゃる通り、ニュートリノ研究者は世界中にいますし、その分野における重要な実験がアメリカなどで行われていることは事実です。しかし日本もまた、ニュートリノ研究では有名なのですよ。たとえば、東京大学の梶田隆章教授。この方はスーパーカミオカンデ(*)を用いた実験により、ニュートリノが質量を持つことを示すニュートリノ振動を発見し、2015年にノーベル物理学賞を受賞されました。
日本で行われている大規模な実験、スーパーカミオカンデ実験は、ニュートリノ物理学において非常に注目されています。さらに現在は、スーパーカミオカンデの後継となるハイパーカミオカンデの建設も既に着手されています。

*) スーパーカミオカンデ:岐阜県内に設置された大型のニュートリノ観測装置。1996年より稼働開始。

広大の研究では、いつもどんな実験装置を使うのですか。

私の研究は「理論」に焦点を当てたものですから、もっぱら数式を使う研究です。学内で私が使う研究設備といえば、机くらいのものですよ。

机だけですか? 実験装置や化学薬品などは?

使いません。パソコンとホワイトボード以外は、ほとんど何も。他によく使うものといえば、たくさんのテキストくらい。私は、いわゆる物理実験は行いません。
私の研究内容は、むしろ数学の研究に近いです。むろん同じではありませんけど。私が主にすることは、他の人が行う実験について理解しようとすること、そして、それらの実験を理解するために数学をどのように使えるかを考えることです。ちなみに、私たちは白衣も着ません。

えっ、本当ですか?

普段から物理学の実験をしている学生たちは白衣を着ると思います。他のラボの人たちと一緒の建物では時々、廊下で白衣姿の人とすれちがいますから。しかし、私は今は着ていません。電気技術者として働いていた頃は、着なくちゃいけませんでしたけどね。

そもそも、いつどのようにして、科学に興味を持つようになったのですか。

科学(サイエンス)にですか? それはわからないなあ、「物理」についてならお答えできますけど。私は高校では物理を取っていたのですが、授業の中である実験をやった時、ある事にとても驚かされたのです。その時はまず、最初に数式を用いて実験結果を計算し、その後で実験を行ったのですが、その結果が、なんと計算とぴったり一致していたのです。宇宙や身のまわりで起きていることを数学で理解できるというのは、なんと素晴らしいことだろうと思いました。
とは言うものの、私が大学の学部で専攻したのは物理ではなく工学でした。まるで畑違いでしたよね。
高校時代、私は英語などの語学系科目は好きじゃなかったから、その分野に進みたいとは思いませんでした。そうなると、残るは数学か科学。その二択の中で選んだのが科学だったというわけです。

近年の日本人科学者の中には、自国よりも欧米の研究環境を好み、日本を離れる方もいると聞きました。日米の研究環境に大きな違いを感じますか。

私がこのことについて意見を述べるには、両国での経験がまだ足りていないかもしれません。特にアメリカにいた頃は、働きながらの研究という二足のわらじを履いていましたから、私の境遇は普通とかなり違っていたと思います。しかし、日本の皆さんが、自国の科学者たちが生まれ育った国を後にするのを見て、複雑な気持ちを抱くのはもっともなことだと思います。
文化、カルチャーという点において、日本はアメリカと大きく違います。わが国では「個」が何よりも優先されますし、個人として非常に強くあることが重視されます。それに対して日本の人はチームの和を重んじ、個の力よりもチーム力を重視します。それはどちらも大切なことだと思います。しかし、個人として非常に強くたくましい人にはアメリカの環境が最適ではないかと思います。強者こそが評価される世界ですから。ただし、そうではない普通の人々には、わが国の環境は少し不向きかもしれませんね。

ニコラスさんご自身はどうですか。現在は日本にいて快適ですか。

はい、とても快適です。

多くの日本人がそうであるように、チームワークを重視するタイプなのですか。

日本人のように? それはどうでしょうね。私がしていることの中には、とてもアメリカ的で、決して日本的ではないものが確かにあると思います。現在のラボの日本人の仲間と比べても、私は押しが強い方だと思います。私の所属する研究チームはあまり典型的な日本人のチームではないと言われていますから、私がこのようでいられるのも、そのおかげかもしれませんね。
私は日本の「和」の精神に従って行動しているわけではないし、そもそも「和」についてそれほど理解していません。これも私の問題の一部かもしれませんが。しかし、アメリカでの生活が長かったため、ついやってしまい、後になって「あれは適切なやり方ではなかった」と知ったこともたくさんあります。今の私の中には、おそらく日本的なものとアメリカ的なものが混在していて、それがちょうどいい感じなのかもしれません。私が全くの日本人のようにガラッと変身してしまうと、それはそれで変でしょうからね。

広大のリサーチアシスタントとしても働いていますね。仕事は大変ではありませんか。

いいえ、楽しいです。リサーチアシスタントとしての私の仕事は、指導教官の研究活動をお手伝いすることです。お手伝いというよりむしろ協力かな、先生が取り組んでいる課題の解決に向けて協力することです。とは言っても、先生はたくさんの課題を抱えていらっしゃいますから、私はその一部について手助けするだけです。その他については他のリサーチアシスタントたちが担当します。具体的には、計算などの仕事のサポートをしています。

学会にも同行するのですか。

そうです。しかし最近は学会もオンライン開催ですから、広大に来てからは一度も対面の学会に出席したことがないのですよ。広大に入学して三か月後には、もう新型コロナウイルスの流行が始まってしまいましたから。来日して間もなくのことでしたね。

あれから二年が経とうとしていますね。その頃の心境はいかがでしたか。

正直、ここにいれば自分は大丈夫だと思っていましたから、それほど不安は感じませんでした。当時もですが今も、日米の双方から情報を入手することができますから。わが国から聞こえてくる当時のニュースは日本で得られる情報よりもずっと怖くて不安なものばかりでしたから、ここはアメリカにいるよりもはるかに安全な場所だと思えたんです。もちろん、もし病気になったらどうすればいいのかという不安はありました。しかし、情報は十分入手できましたし、それらの多くは英語に翻訳されていたおかげで、大変助かりました。

研究のあいまには、何をしていますか。

最近はよく公園で小説を読みます。いろんな公園に出かけていって、いい場所を見つけたら座って読書を楽しみます。気持ちが落ち着くし、リラックスできるんです。その他にも料理や、パン・お菓子作りなども好きです。あとは地方を旅行したり、音楽を学んだりもします。

料理も趣味なのですね。自分のためだけに作るのですか。それとも、誰かにごちそうするのですか。

もちろん、自分のためだけですよ。他の人に食べてもらうなんて、そんなのは危険きわまりないですよ。

そういうのは得意分野ではないのですか。実験と同じで、レシピを忠実に実行すれば期待通りの結果が得られるのでは?

ところが、そのレシピの説明が非常にあいまいなんですよ。たとえば「きつね色になるまで加熱して」とか書いてあるでしょう。きつね色って、何? 今の状態が既にそうなのか、それとも、あと1分くらいこのまま待つべきか。という具合に、このような説明を理解することは、私にとって非常に困難なことです。とはいえ、私は食物で実験をするのを楽しんでいますから、レシピに従うことはほとんどありません。まあ、それも問題なのかもしれませんけど。

なるほど。ところで、日本の台所のサイズについてどう思いますか。

最初に入居したアパートでは、ガスバーナーが一つしかありませんでした。アメリカにいた頃のアパートの台所には、ガスバーナーが4個も付いたフルレンジオーブンがあったのに、日本の台所にはそういうのがありません。たったあれだけの設備で何種類もの料理を作れるとは、日本の人は凄いと思います。
もう一つ奇妙に思ったことは、日本ではオーブンと電子レンジが一体になっていることです。アメリカではそういうのは決まって別々です。

今年が博士課程最後の年になるということでしたね。アメリカに帰国した後で恋しく思うだろう日本のものは、何かありますか。

難しい質問ですね。確かに、帰国後に恋しくなるものはいろいろあると思います。具体的なものはこれといって思い浮かばないけど、私が日本での生活をこんなにも楽しめているのは、わが国と日本の社会生活のあり方の違いのおかげですから、帰国後はきっと日本での生活そのものが懐かしくなると思います。
ニューヨーク近郊に住んでいれば、日本の物はたいてい手に入ります。たとえば寿司なんて、ニューヨーク中どこにでも売っていますから、そういう物が恋しくなるなんてことはありません。けれど、ここでの暮らしの中で得たたくさんの出会いは、きっと離れた後も忘れがたく、懐かしく思い出すと思います。

将来の夢は何ですか。

私の夢は、既にお察しの通り、良い科学者となることです。世界の役に立ちたいと望むなら、私の場合、その最善の道は良き科学者となることだからです。そのために、たとえば科学分野でキャリアを積む方法を若手研究者に教えることを目的としたウェビナーや、自分の研究に関連したオンラインワークショップなどには積極的に参加しています。

ニコラスさんの思い描く「良い科学者」の資質とは、何ですか。

いい質問ですね。私の目標とする良い科学者とは、社会に利益をもたらす研究を行う能力を持つ者のことです。ただ論文を書くことや、資金をたくさん獲得することのみに腐心する者は、良い科学者とは言えません。科学者がそのようであることは、非常に危険だと私は思います。
良い科学者とは、末永く社会に貢献すべく、優れた研究力を身に付けることに専心する者のことです。だから、私は優れた研究力を持ち、社会全体の役に立つ人間になりたいのです。「おっと、今年はまだ論文を5編も書いていないから、もう1編書かなくては」といった目先の目標に捉われるような考え方などには、決して陥ることのないように。それが私の思い描く良い科学者、「グッド・サイエンティスト」の在り方なのです。

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※インタビュー時は、写真撮影のため感染防止に注意した上でマスクを外している時があります。


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