研究成果-電子スピンの運動の新しい概念を発見しました

電子スピンの運動の新しい概念
-スピントロニクスデバイスの実用化に向けた新展開!-

概要

広島大学大学院先端物質科学研究科の小口多美夫教授、千葉大学の坂本一之准教授、東北大学の高橋隆教授を中心とした研究チームは、二次元空間を移動する電子スピンの運動に関する全く新しい概念を世界に先駆け発見しました。この研究結果は、これまで国内外において報告されていない新しい量子効果であるのみでなく、従来のものと比べ、1/1000程度までエネルギー消費を抑え、かつ高速化・多機能化を実現する次世代半導体デバイスとして注目を受けているスピントロニクスデバイスに対して新たな設計指針を示しています。また、この研究成果は、デバイスの環境面に配慮した低エネルギー消費化を実現しながら高速化・多機能化を可能にするための大きな一歩と言えます。

背景

固体物質の構造を三次元から二次元、一次元と低下させると新奇の物理現象が発現することがあります。1960年に提唱された、ラシュバ効果※1 と呼ばれる二次元非磁性体において電子スピンが偏極する※2 現象もその1つです。偏極した電子スピンはフラッシュメモリなどの磁気記録媒体や、次世代半導体スピントロニクスデバイス※3 の根源ですが、ラシュバ効果によって発現したものは後者と関連します。近年、ラシュバ効果はようやくいくつかの二次元固体表面で観測されるようになり、電子が自由に動き回れる“理想的”な二次元系※4 を用いた理論的予測の枠内で実験結果が説明されました。しかし“現実”の二次元電子系では原子が周期的に並んでいることから電子の動きが制御され、理想的な系と異なる運動をするはずです。そこで同研究グループはスピントロニクスデバイスの実現に不可欠である、現実の系でのラシュバ効果の理解のため、元素の特性から大きなラシュバ効果が期待でき、3回対称性(120°回転すると元の構造と同じになる)の周期的な構造を有する、ビスマスを吸着させたシリコン表面※5 を用いて研究しました。

研究手法と成果

研究グループは東北大学理学研究科、イタリアの放射光施設エレットラおよび広島大学の放射光科学研究センターにおいて角度分解光電子分光※6 とスピン分解光電子分光※7 という2つの実験手法と、広島大学先端物質科学研究科で開発された第一原理計算※8 による理論的手法を用いてビスマス吸着シリコン表面での電子バンド※9 と電子スピンを調べました。その結果、巨大なラシュバ効果を観測したのみでなく、これまでその発現に必要不可欠であると考えられていた“時間反転対称性” ※10 がなくともラシュバ効果が発現する ※11 ということと、電子スピンの運動を理解する上で不可欠である等エネルギー面※1 の形状が不思議な非渦構造 ※11 をとりうることがわかりました。ビスマス吸着シリコン表面の対称性を考慮してラシュバ効果を理論的に考察することにより、時間反転対称性がなくとも原子構造の対称性に起因してラシュバ効果が発現することが可能であることと、この特異なラシュバ効果により、これまで予想もされてなかった非渦構造を有する異常なラシュバ効果が発現することがわかりました。これらの結果は、ラシュバ効果の発現に必要不可欠であると考えられていた時間反転対称性が不要であり、ラシュバ効果による電子スピンの運動を理解するためには二次元構造の対称性の情報が欠かせないことを意味します。

研究成果の意義

1.  電子スピンの運動を原子構造の対称性により理解できる;この研究結果が(特殊なものではなく)普遍的な新しい量子効果であることを意味しています。

2.  電子スピンの運動はスピンの輸送効率を決定するものであり、その理解は今後のスピントロニクスデバイスの設計に大きな方針を示すことが期待されます。

3.  ラシュバ効果の大きさは電子スピンの抽出効率と関連します。観測された巨大ラシュバ効果は高効率で半導体スピントロニクスデバイスへの電子スピンの注入が可能であることを意味し、これと合わせた電子スピンの運動の理解は、例えばエネルギー消費量が通常のトランジスタの1000分の1程度の低エネルギー消費・高移動度・高効率スピントランジスターの実現への大きな一歩です。

 

本研究は、科学研究費補助金、基盤研究(A) 20244045とグローバルCOEプログラム(G-03)の助成を受けて実施されました。
また、本研究成果は、平成21年10月5日(月)発行の米科学誌「Physical Review Letters」にオンラインで掲載されました。(米国時間)

本研究に関するお問い合わせ先

千葉大学 大学院融合科学研究科 ナノサイエンス専攻
准教授 坂本一之(さかもと かずゆき)
TEL:043-207-3893 FAX:043-207-3896
〒263-8522 千葉市稲毛区弥生町1−33
E-mail:kazuyuki_sakamoto@faculty.chiba-u.jp

広島大学 大学院先端物質科学研究科 量子物質科学専攻
教授  小口多美夫(おぐち たみお)
TEL:082-424-7015 FAX:082-424-7014
〒739-8530 東広島市鏡山1-3-1
E-mail:oguchi@hiroshima-u.ac.jp

東北大学 原子分子材料科学高等研究機構
教授  高橋 隆(たかはし たかし)
TEL:022-795-6417 FAX:022-795-3104
〒980-8578 仙台市青葉区荒巻字青葉
E-mail:t.takahashi@arpes.phys.tohoku.ac.jp

報道に関するお問い合わせ先

千葉大学 工学部総務グループ
木戸口 淳
TEL:043-290-3044 FAX:043-290-3039
〒263-8522 千葉市稲毛区弥生町1−33
E-mail:kidogu@office.chiba-u.jp

広島大学 広報グループ
和木 光江
TEL:082-424-6017 FAX:082-424-6040
〒739-8526 東広島市鏡山1-3-2
E-mail:koho@office.hiroshima-u.ac.jp

東北大学 原子分子材料科学高等研究機構 庶務係
橋本 圭一
TEL:022-217-5922 FAX:022-217-5129
〒980-8577 仙台市青葉区片平2-1-1
E-mail:k-hashi@wpi-aimr.tohoku.ac.jp

(@は半角@に置き換えてください)

解説

※1 ラシュバ効果
1960年にE. Rashbaによって提唱された効果。固体表面などでは面直方向の対称性が破れていることによって電位勾配が生じ、スピン偏極電子が生じ、電子バンド(※9)が分裂する(図1)。波数は表面平行方向であり、理想二次元系においてはスピン偏極ベクトルは二次元面内のみを向いている。等エネルギー面を見ると電子スピンは渦構造を示す。

図1

※2 スピン偏極・電子スピン
電子がもつ量子力学的な自由度の1つである電子スピンがある特定の方向に偏ること。電子スピンは電子の自転に由来すると例えることができる。通常、非磁性体物質ではスピンは偏極していない。

※3 スピントロニクス
スピンとエレクトロニクスを合わせた造語。電子の有する電荷の自由度のみでなく、スピンの自由度も利用する分野(図2)。

図2

※4 二次元電子系
固体では原子が三次元に配列していることにより、電子も三次元的な構造を有するが、物質表面や界面、超薄膜などでは原子が二次元的な周期性しか持たないため、電子も二次元構造を有する。理想二次元系は、完全に等方的な系を指し、現実的な二次元とは擬二次元的な原子配置により二次元面内に異方性を有する系を指す。

※5 ビスマス吸着シリコン表面
シリコン表面にビスマスを1原子層吸着させた時の原子構造を図3に示す。Top viewより3回対称性を有することがわかる。

図3

※6 角度分解光電子分光
物質に光を当て、物質外に飛び出してくる光電子の放出角を変えながら運動エネルギーを測定することによって、電子バンドを求める手法。

※7 スピン分解光電子分光
物質に光を当て、物質外に飛び出してくる光電子の運動エネルギーとスピン状態を測定することによって、電子スピンに関する情報を求める手法。

※8 第一原理計算
計算対象となる系を構成する元素の原子番号と系の構造を入力パラメータとし、実験結果を参照しないで系の電子状態を求める最新の手法。

※9 電子バンド
固体中の電子のエネルギーと波数の関係で、電子輸送など固体の物性を特徴づけるもの。

※10 時間反転対称性
磁場や磁化のない系は時間を反転させても物理現象が不変である性質。固体結晶中の電子の状態を記述する波数空間において、ある点から両方向に矢印を引いた時、それらが等価であれば時間反転対称性があり、等価でなければ対称性はない。図4中のΓとMは時間反転対称性があるが、Kはない。

図4

※11 対称性に起因した特異なラシュバ効果
Γ点周りでは理想的なラシュバ効果が、時間反転対称性のないK点まわりではひずんではいるが渦構造のラシュバ効果が、時間反転対称性があるM点もまわりでは非渦構造のラシュバ効果が見える。

図5


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