藤村修 内閣官房長官からメッセージをいただきました

野田総理大臣の下で内閣官房長官を拝命しました藤村修です。1973(昭和48)年に工学部経営工学科を卒業しました。

入学の時が大学紛争当時(昭和44年)で半年間のロックアウトを経験。学生生活は体育会自動車部活動からスタートしました。当時の体育会でも「開かれた大学」など学生運動の中で様々議論をした記憶があります。自動車部でも単に自動車を乗り回すという空気ではなく、“文明の利器”「自動車」に対する結構難しい議論をしていました。そんな中で交通事故被害者、特に事故で親を亡くした遺児問題について自動車部でも進学支援の話が持ち上がりました。全国の大学自動車部が連携して「交通遺児学生募金」運動がスタートすることになったのです。

この運動は今も「あしなが学生募金」としてすべての遺児の進学を支援する全国的な運動となり、先の東日本大震災遺児のためにも後輩たちが活躍してくれています。さらに私は自動車部の有志とともに広島における交通遺児問題に注目。広島県交通安全対策室など関係のところや広島工大、県内看護学校などとの連携によって「広島交通遺児を励ます会」を発足させることになり、自動車部との二束のわらじで、いわゆるボランティア活動にのめりこむことになりました。東京での全国会議にも何度も出席し、その中で玉井義臣氏(現あしなが育英会会長)に出会ったのがその後の人生を大きく変えることになりました。

昭和48年卒業、コンピュータ会社の就職が決まったのですが玉井氏に説得され遺児の支援活動、特に当時は交通遺児育英会が財団法人として設立されていたので、そこに“就職”することになりました。

その後のことは省略しますが、人生において「出会い」が時にその後の生き方を大きく変えることは誰にも経験あることと思います。人との出会い、本との出会い、もちろん大学での学問との出会いなどなど様々あると思います。私の場合は交通遺児そして玉井さんという人との出会いによってその後、ブラジルと出会い、政治の世界にも出会う機会があり国会議員になってしまった(?)のでした。

こうやって振り返ってみて、後輩諸君にお伝えしたいことは、人は一人で生きていくのではなく、人の中で関わり合い、人の中で自分を発見し、人との関わりで自分の人生が築きあげられてゆくということです。皆さんには、人との出会い交わりを大切にしながら一歩一歩自分を鍛えて頂きたいと思います。

最後に、広島大学は今や海外からの留学生も日本有数の数を擁し、まさに世界の広島にふさわしい国立大学であると思います。広島大学との“出会い”の中から世界に羽ばたく人材が育ってゆくことを期待してご挨拶とさせていただきます。

藤村修内閣官房長官の写真

藤村修(ふじむら おさむ) 内閣官房長官

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