グローバル化した世界における日本の大学の展望と課題*
ギナンジャール・カルタサスミタ(Ginandjar Kartasasmita)
はじめに
まず、広島大学経営協議会の一員として広島にお招きいただきましたことに心から感謝申し上げます。大変光栄に思っております私は、以前に6年ほど日本に住んでいたことがあります。この30年の間には、毎年のように日本を訪れ多くの都市や地域を旅行してきました。年によっては、1度ならず訪れたこともあります。けれども、意外なことに広島に参りましたのは何と今回が初めてです。決まりの悪い思いをしておりますが、それにしましても、インドネシアにいる昔からの日本の友人の一人として広島に来ることができて、大変喜んでおります。
歴史的なことに触れますと、広島市と広島市民の皆さんは70年前に原子爆弾という人類が経験したことのない惨禍に見舞われました。この悲劇が、人類に大変な苦しみをもたらした、もう一つの悲劇である第二次世界大戦を終結させることになりました。これらの辛い経験から、人類は学びました。紛争を解決するために、なぜ戦争という手段をとってはならないのかということ、そして、いかなる理由があろうとも紛争の際に、核兵器のような大量破壊兵器や化学・生物兵器を決して使用してはならないということを歴史から学びました。
もちろん、私はこのような話をするために、お招きいただいたのではありません。世界における日本の大学の役割や立場について見解を述べるように言われております。
私に与えられたこのテーマをどのようにお話すれば良いでしょうか。「外国人よりも日本人の方がその答えをよく知っている」とおっしゃる方もあるかもしれません。私は外国において高等教育に関わった経験があります。学生、フェロー、客員研究員、あるいは教授といった様々な立場で関わってきました。しかし、国際教育というテーマについて、私は専門家ではありません。
けれども、一般人としての立場から、私が日本の高等教育をどのように見ているか、また、日本の大学が世界で果たすことのできる役割について、展望と課題をお話ししたいと思います。
日本の大学についての私の考え
今日の日本の大学は、国際的な基準も採り入れつつ、日本独自の高等教育を構築し運営してきた150年(あるいは最低でも60年)の努力のたまものです。米国の占領軍は日本の高等教育制度全体を改革・刷新しようと精力的に取り組みました。しかし、日本の大学は、戦前にしっかりと構築された日本独自の高等教育制度を何とか維持することができました。
日本の大学では、主として教授陣にはほとんどすべての科目内容について、これまで日本語での教育、研究を認めてきました。教科書は、日本語で書かれ、印刷されたものが使用されてきました。私が学生だったころもそうだったのですが、今でも日本では、元の言語で書かれた外国語の教科書が授業で使用されることはないと思います。ほとんどが日本語に翻訳されています。日本の大学は、主に日本の学生を対象とし続けています。ほとんどの日本の大学院生は、英語で会話することが得意ではありませんし、英語で書かれた本を読むこともめったにありません。日本の学生は優秀です。様々な分野に秀でています。しかし、まさに日本のやり方なのです。日本人で英語を話す人はたいてい、外国で何年か大学院生として過ごしたことのある人か、海外の日本企業で働いたことのある人です。
日本の大学が他国の大学と比べて、劣っていると言っているのではありません。それどころか、日本の大学は世界でも極めて高い競争力を持ち、トップクラスに位置しています。日本の大学を卒業した人は、すぐれた医者、技術者、経済の専門家になります。
日本の教育は、長い間にわたってこの環境で栄えてきました。日本の教育制度を観察している多くの学者にとって重要な問いは、日本の高等教育の現在の構造が、ますますグローバル化する世界に適合しているのかどうかということです。
一つ例を挙げましょう。1979年にハーバード大学の研究者であるエズラ・ヴォーゲル(Ezra Vogel)は、「ジャパン・アズ・ナンバーワン―アメリカへの教訓」(Japan as Number One: Lessons for America)という著書を出版しました。その中で彼は、世界で最もダイナミックな先進工業国である日本には「強い経済と結束力のある社会」があると述べました。 しかし、2010年、ヴォーゲルは違った姿の日本を見ています。「日本には非常にたくさんの良いものがあると思っていた。犯罪率は低く、中学における人々の教育レベルは高い。また会社に対する忠誠心も強く、官僚は力を尽くしていた。学ぶところがたくさんあった。しかし、今の日本は違っている」(2010年のジャパンタイムズからの引用)
実際、いろいろなことが本当にたくさん変わってしまいました。長い間、日本は世界第2位の経済大国でした。産業や技術では最先端のものもあり、パイオニアでさえありました。任天堂やウォークマンといった名前は世界の隅々にまで知れ渡っています。トヨタは世界一の自動車メーカーです。
しかし、2010年に中国に世界第2位の座を奪われました。韓国は技術面で日本に急速に追い付こうとしており、手ごわいライバルとなっています。サムスンという名前は電子機器のブランドとして日本のブランドよりも世界ではよく知られています。インドネシアでは、中国が新幹線建設の契約を得るために日本と競っています。大口の契約を勝ち取る多くの日本の会社は、ヒュンダイやダイウといった韓国の下請け業者を使っています。なぜなら、韓国の業者は日本の業者と同じレベルで仕事をこなし、なおかつコストはずっと低くて済むからです
将来への期待
私たちは今、大きな科学的進歩と産業革命の真っただ中にいます。科学的な発見は実際、日々報告されています。技術面では飛躍的な進歩を遂げ、新しい産業を生み出しています。私たちの社会的、経済的な生活は今や根本的に新しくなり、生活への期待も非常に変化してきています。
将来を予測し、備えをすることはいよいよ難しくなってきています。大学には今後、いっそう重要な役割が求められています。競争が激化しグローバル化する世界に対応できるよう学生を訓練すること、科学や技術の飛躍的進歩やイノベーションに貢献し、雇用を創出するために産業の新たな可能性を開くことなどです。
大学自身も大きな変化の途上にあります。一般的な傾向を見ると、総合大学は「特徴」のある大学に移行しつつあります。ハーバード大学は、医学の分野で優れていますが、工学の分野では必ずしもそうではありません。マサチューセッツ工科大学(MIT)が工学の分野では優れています。シンガポールのナンヤン理工大学(NTU)はこの5年にわたって上位100位内にランキングされていますが、これは工学に重点を置いているからです。しかし、もっと重要なことは、これらの大学が各分野の間にまたがる領域の研究や教育を奨励しているということです。 NTUには今、メディア、デザイン、情報のスクールがあります。これらのスクールにおいて、学部生および大学院生は先進の情報技術、人文科学、特にデザインや映画製作、ゲームなどを学んでいます。
大学入学の方針には類似点が見られます。米国で最も優れた大学は、標準的なテストで優秀であるというだけでは、学部に入ることはできません。特別な何か、例えば芸術的な才能のある人を入学させます。入学に際しては方針が決まっているのです。入学希望者は、これまでの学習分野である機械工学、数学、物理学等だけではなく、芸術、経済学、経営学、その他にも社会科学や人文科学等を幅広く学んでいなければなりません。 理由は簡単です。科学や技術の飛躍的進歩だけでは、新たな産業を生み出すことはできないからです。より良いデザインを作るためには芸術家が必要です。事業をするためには経営のプロが必要です。社会の大きな流れをつかむためには社会科学者が必要です。
日本の国立大学は、科学や工学の優れた学部があることで有名です。しかし、日本の大学は新しい分野、特に科学や工学の分野と、人文科学や社会科学の分野とを橋渡しをする領域にはあまり熱心でないと見る専門家もいます。大学が競争力を維持するためには、この点を変えなければなりません。広島大学にも、グローバルな競争へと向かうこの動きに加わってほしいと思います。
世界に通用する大学にするには
正直な所、大学が国内で優れているだけではなく、世界に通用するレベルにするにはどうすればよいかという質問に対してどう答えて良いか分かりません。しかし、優れた学生を世界中から呼び寄せるような何かが重要であると思いますし、皆さんの大学で学んだ学生が、希望する職業に就けるということも重要だと思います。こういった条件のそろった大学が世界的な競争力を持つのだと思います。
政策研究大学院大学(GRIPS)学長である白石隆教授によれば、日本には、世界的な競争力を持ち、先に述べた諸課題に対応するための戦略を採っているような総合大学はないということです。白石教授はご自身の母校である東京大学を例に挙げて次のように述べておられます。「引用度で測られる世界的な競争力という点では、世界でも23位あるいは31位(情報源により異なる)にランクされており、アジアでは1位ですが、これは、優れた戦略を見つけ出したからでもなく、世界中からトップクラスの学生を集めたからでもありません。学生を訓練する素晴らしい方法を提供しているからでもなく、教授陣に研究を奨励しているからでもありません。ただ、日本人の中から最高レベルの優秀な学生を何とか集めることができているからなのです。その他の大学もすべて東京大学と同じパターンをまねています」。白石教授は、トップクラスの日本の大学にとって最大の問題は、それらの大学が現在のやり方のままで良いと思っていること、どの大学も際立った特徴を示すような研究や教育を行う学部や分野がなく類似しており、同じような動きをする点だと批判しています。GRIPSは学生の3分の2(66.40%)、教員の15%が外国人であるという点で、卓越していると言えるでしょう。
世界における日本の大学
日本政府が日本の高等教育をグローバル化しようと計画していることは承知しております。2014年にはフラッグシッププログラムの一つとして「グローバル30」というイニシアティブがまとめられました。30万人の外国人留学生を日本の大学へ招こうというものです。現在の留学生の人数は13万5千人ですから、約2倍になります。「グローバル30」は、「日本語の習得を前提条件としない」としています。学位の取得が可能な英語でのプログラムを多くの日本の大学が提供するようになってきたからです。このため、「グローバル30」に参加する大学では、外国人留学生が日本の大学で学ぶ際の妨げとなっていたものの一つである言語の問題が解消されると期待されています。
外国人留学生の受け入れが多い国

日本は、外国人学生が留学を希望する国の一つとなっていますが、約13年間、外国人留学生の割合は3%前後にとどまっています。一方、中国は国際教育の現場では新参ですが、外国人留学生の割合は、8%に増加しています。中国はすべての学位プログラムを英語で提供することにより、外国人学生を集めることに成功しました。また、急成長する中国経済につながる職を得るために、韓国、日本をはじめとするアジアの国々からも多くの学生が中国に来て勉強し、中国語で勉強しているようです。
実際、日本にいる外国人留学生の3分の2は北東アジア出身で、中国51.2%、韓国9%、次いで台湾が3.4%となっています。残りの大部分は東南アジア諸国出身者が占めています。この数字から見ると、日本の大学は「国際化」ではなく「アジア化」していると言えます。先に申し上げましたように、圧倒的多数の授業が日本語で行われているということが、日本で学ぶにあたっての障壁となっています。しかし、北東アジアの学生は、漢字になじみがあるため、言語の障壁は他の地域の学生ほどではありません。また、外国人留学生を受け入れる日本の大学のほとんどは、大学院およびその活動、それも科学と技術に重点を置いています。しかし、インドネシアからの留学生はもっと多様な分野を学びに来ています。多くの学生が医学、経済学、公共政策を学ぶために日本にやってきます。
この10年で、日本に来るインドネシア人留学生の人数は、ほぼ2倍の割合で増加しました。留学生のほとんどは、私費留学ですが、ごく一部の学生はインドネシア政府か日本政府から奨学金を受けています。これは良い兆しです。しかし、半世紀以上前に(55年前です)私を日本に留学させてくれた賠償プログラムのような拡大した奨学金制度によって、もっと多くのインドネシアの学生たちが日本で学んでほしいと個人的に願っています。このことについて、福田康夫元首相をはじめとして日本政府の方々とお話ししましたが、その際、日本で学ぶインドネシア人留学生の人数が拡大することを、私は「ビッグ・バン」という言葉で表現いたしました。広島大学に1,060人いる留学生のうち、インドネシア人学生は、中国人学生の570人に次いで第2位で、81人です。相当な人数のインドネシア人学生がすでに在籍しているのです。
展望
日本はすばらしい国です。日本の皆さんは気さくで穏やかです。長い歴史と伝統を持ち、おいしい食べ物と美しい景観に恵まれ、東西の文化が調和し、融合している非常にユニークな国です。
日本での留学は、外国人学生を集めている他の主要な国々よりも比較的費用が少なくて済みます。

世界で非常に有名な大学と日本のトップクラスの大学に在籍する留学生の人数を調べると、日本の大学には外国人留学生の受け入れ人数を増やす余地がまだまだあるということが分かります。
欧米の大学
ランク | 大学名 | 外国人留学生の割合(%) |
1 | カリフォルニア工科大学 | 25 |
2 | ハーバード大学 | 20 |
3 | ケンブリッジ大学 | 24.6 |
日本の大学
ランク | 大学名 | 外国人留学生の割合(%) |
1 | 東京大学 | 14.29 |
2 | 京都大学 | 13.53 |
3 | 大阪大学 | 14.18 |
4 | 東北大学 | 13.97 |
5 | 名古屋大学 | 12.16 |
6 | 東京医科歯科大学 | 13.61 |
7 | 九州大学 | 16.11 |
ことに広島大学では、外国人留学生の割合はわずか6%です。トップクラスの大学をずいぶん下回っており、半分もありません。ですから、広島大学には留学生を集める計画がぜひ必要です。
そういった統計とは別に、日本は本来、優れた教育を求める外国人学生にとってもっと魅力的な国であると、私は心から思います。やはり日本が生産するものは、農業であろうと工業であろうと、サービスであろうと、世界で最高レベルであると認められています。日本の技量は他のほとんどの国よりも優れています。たとえ外国のブランドを生産している場合でもそうです。それらはすべて、優れた教育の産物であります。
一つ例をあげて考えましょう。クリエイティブ産業についてです。クリエイティブ産業に関わる国内の生産高の総額は、64兆4千億円です。この産業の雇用規模は、約590万人と推定されており、共に自動車産業を追い越しています。クリエイティブ産業は、その規模だけではなく、経済全体に与える波及効果が非常に大きいです。例えば、ポケモンは、もともとはビデオゲームのソフトウェアとしてスタートしましたが、アニメ、映画、関連商品といった大きなメディアミックスへと発展しました。その人気は日本国内にとどまらず、外国でも絶大です。その他にも多くのゲームやアニメのキャラクターが日本から発信されており、世界中で人気を得ています。
日本のクリエイティブ産業の優秀さを、大学で学ぶ人材に結び付けるべきだと思います。日本は科学、農業、技術における優秀さだけではなく、クリエイティブ産業を発展させてきた経験を留学生に伝えてください。日本には、留学生に教えることができる、本当に多くの優れたものがあるのです。
アドバイスとして:
- 言語の問題
– 国際的な学問の言語である英語に適応する必要がある。 - 教科書と教育
– 英語で書かれた教科書あるいは元の言語の教科書を増やす。 - 教員
– 外国で先進教育を受けたことのある講師の数を増やす、あるいは国際的な講師の雇用を増やす。 - カリキュラム
– 大学は独自性を失うことなく、世界の一流大学のカリキュラムに合わせる必要がある。 - 連携
– 日本の大学は他の大学と連携をはかることができる。日本の学生は日本の大学のプログラムに登録し、受け入れ先の大学の学位や提携校の課程の修了証明を得て卒業することができる。 - 入学試験
– 日本の大学で学ぼうとする場合、学生は入学試験を受けなければならない。英国ではそういった試験はない。
– 英国の制度では、学生の受け入れは大学院生に対するGPA(成績評価点平均)に基づいて決定される。シンガポールとマレーシアの大学では、学生の受け入れにこの方式を採用した。
– 日本はトップクラスの大学が行っている、外国人留学生の受け入れ手順の煩雑さを減らした方が良い。 - イノベーションとは、新しいアイデア、発見、発明を応用することに関するものである。
– イノベーションの基礎は、優れたアイデアを着実に供給することである。
– 工夫力と創造性は、これらのアイデアを支える基礎的な研究と共に、大学と企業、政府、およびNGOの間でアイデアを絶えず交換することと合わせて、イノベーション成功に至る秘訣である。
結論
総じて、大学は市場とグローバル化という基礎をなす2つの力に直面しています。公的資金の果たす役割が低下している中、市場の力は世界にある多くの教育制度に対し、市場を取り囲むようにと働きかけています。日本も例外ではなく、この傾向にあります。諸大学が様々なルートで明白につながっており、価値を共有しているという意味において、グローバル化は学問の世界にも影響を与えています。米国や英国、カナダ、オーストラリアといった英語を話す国々の大学だけではなく、中国のような英語を話さない国の大学でさえ、この傾向から大変恩恵を受けています。ですから、日本もこの傾向に適応する必要があります。
結論として、日本の教育のグローバル化の動きは、現在の制度がうまく行っているという前提からスタートすれば、よりうまくいくかもしれません。しかし同時に、一部の選ばれた学生に対しては、学問の世界および国における現在の教育機関とは別に、グローバル化プログラムを実行する必要があります。例えば、 日本はそういった産業に関連する様々な領域で課程や学位プログラムを提供することによって、美術デザインに関連する優秀な先進技術をもっと留学生に開示すべきです。
最後に、もう一度申し上げたいと思います。日本は機械工学や物理学といった従来の科目についてだけではなく、工業芸術、社会科学、人文科学といった科目をも網羅する広範な教育課程を提供すべきだと思います。専門能力には一定の技術的なノウハウが確かに必要ではあるのですが、限られた特定の能力だけを持つ一人の学生にとって、世界はあまりにも複雑になってしまいました。
2015年9月2日
ギナンジャール・カルタサスミタ