水中で糖類の動きを観測できる新手法を構築

平成24年10月4日

水中で糖類の動きを観測できる新手法を構築
-糖類が関わる複雑な生命現象の解明への期待-

ポイント

  1. 糖類の動きを、実際に機能する“生”の状態で観測できる新手法を構築
  2. 糖類の機能(性質)に影響を及ぼす、糖周辺の水分子の分布を解明
  3. 細胞認識や生体内情報伝達等、複雑な生命現象に関わる糖類の役割の解明に期待

概要

糖類*1は、水中で様々な立体配座*2から成る平衡状態で存在しますが、X線結晶学による結晶構造からは、一つの立体配座しか得ることができません。
このたび、広島大学放射光科学研究センターの松尾光一助教、生天目博文教授、谷口雅樹教授と同大学サステナブル・ディベロップメント実践研究センターの月向邦彦特任教授からなる研究チームは、放射光*3を使用した最先端の円二色性*4測定技術(図1)に分子シミュレーション*5による最新の計算技術を融合させることで、糖類を結晶化させることなく、水中(糖類が実際に機能する“生”の状態)で、糖類の立体配座の動き(回転)や糖周辺の水分子の分布を観測する手法を世界で初めて開発しました。

円二色性分光により、水中の糖類の立体配座の動きが観測可能になったことから、トレハロース等の機能性オリゴ糖類や、ムチン等の糖蛋白質の糖鎖*6及び細胞表面上に存在する糖鎖の詳細な構造解析が可能となります。また、糖鎖改変*7による糖鎖機能の制御の研究や細胞間の認識あるいは細胞-糖蛋白質間の生体内情報伝達における糖鎖の役割の研究にも応用することができ、これまでの手法では解析が困難であった糖類が関わる複雑な生命現象の解明が期待されます。

なお、本研究成果は、平成24年10月11日(木)発行のアメリカ化学会誌「Journal Physical Chemistry A」に掲載されます。

図1 広島大学放射光科学研究センターに設置された真空紫外円二色性分散計の写真

図1 広島大学放射光科学研究センターに設置された真空紫外円二色性分散計の写真
放射光(SR)は、直線偏光子(POL)で直線偏光に、光弾性素子(PEM)で円偏光に変調され、生体試料が保持された容器(CELL)を通過する。生体試料の円二色性シグナルは、検出器(Main-PM)で検出される。本装置では、POLから得られるもう一つの放射光(Ref-PMで検出)を参照シグナルとして利用することで、円二色性データを安定化させると共に、PEMの駆動電圧を自動調整させている。このような方式を光サーボリファレンスシステムといい、円二色性装置では世界で初めて導入され、高精度の円二色性測定を実現させている。

背景

糖類の立体配座は、その生物学的機能を理解する上で重要であり、X線結晶学や核磁気共鳴法といった原子レベルでの構造解析により得られています。しかし、これらの方法は、結晶中といった特殊な条件下や、比較的小さな糖類にしか適用できないため、構造解析が困難な場合が多数存在します。特に、X線結晶学からは、ただ一つ立体配座を持つ結晶構造しか得られないため、水溶液中で複数の立体配座を形成する糖類の構造解析には十分とは言えない手法です。一方、キラリティー*8の検出により生体分子の構造を観測する円二色性技術は、分子量に制限が無く、しかも水溶液中で平衡状態にある生体分子の構造解析が可能です。また、従来の実験光源を使用した円二色性装置では、高エネルギー領域に吸収を持つ糖類の円二色性を検出することができませんでしたが、最近、広範囲のエネルギー領域をカバーできる放射光源の使用した新しい円二色性技術の開発(図1)により、実際に糖類が機能する環境下、つまり“生”の状態で糖類の円二色性測定が可能となりました(図2)。さらに、コンピューター性能の飛躍的な発展に伴って、分子シミュレーション技術が向上し、糖類の立体配座や糖周辺の水分子分布の時間変化を高精度で予測する計算手法も開発されています。

図2 真空紫外円二色性装置で測定された3種の単糖類の円二色性スペクトル

図2 真空紫外円二色性装置で測定された3種の単糖類の円二色性スペクトル
実験光源を使用した従来の円二色性装置では、190 nmまでの円二色性しか測定できず、糖類の構造解析ができなかった。放射光源を使用することで、170nm付近にある糖類の円二色性が初めて観測可能となった。3種の単糖類(グルコース・マンノース・ガラクトース)は、構造が類似しているが、わずかな立体配座の違いで円二色性が大きく異なる。

そこで我々の研究チームは、広島大学放射光科学研究センターの放射光を用いた最先端の円二色性装置と最新の分子シミュレーションを組み合わせることで、これまで観測できなかった水中で複雑な平衡状態にある糖類の立体配座と糖周辺の水分子分布の解明に向けた研究に取り組みました。

研究手法と成果

今回、我々は、広島大学放射光科学研究センターの真空紫外円二色性分光装置(図1)より得られた単糖類のメチル-α-D-グルコピラノシド(α-D-Glc)の円二色性スペクトルを、分子シミュレーション及び非経験的計算手法を用いて再現することで、水中におけるα-D-Glc の立体配座と周辺の水分子分布の解析を行いました。その結果、α-D-Glcのヒドロキシ基の立体配座の動きは、周辺にある水分子の位置や数により影響されることが分かり、また回転異性体*9であるヒドロキシメチル基の3つの立体配座[ゴーシュ・ゴーシュ(GG)型、ゴーシュ・トランス(GT)型、トランス・ゴーシュ(TG) 型]の安定性には、それぞれ特徴的な分子内水素結合が関与していることが明らかとなりました(図3aと3b)。さらに、3つの立体配座の円二色性スペクトルが決定でき(図3c)、実測スペクトルとの比較から、単糖類の水中における立体配座解析への応用が可能になりました。

図3 メチル-α-D-グルコピラノシド(α-D-Glc)の立体配座と円二色性スペクトル

図3 メチル-α-D-グルコピラノシド(α-D-Glc)の立体配座と円二色性スペクトル
(α)α-D-Glcの立体構造。C、 O、 Hは、それぞれ炭素原子、酸素原子、水素原子を示し、HOはヒドロキシ基を示す。(b) ヒドロキシメチル基が形成する3つの立体配座(GG、 GT、 TG)。黄色の線は、水素結合を示す。(c) α-D-Glcの3つの立体配座の円二色性スペクトル。

研究成果の意義

現在、放射光を使用した真空紫外円二色性装置は、ヨーロッパ・アジアの各国にも普及していますが、我々の真空紫外円二色性による糖類の構造解析技術は、国際的に見てもトップレベルにあります。今回の糖類の円二色性スペクトルの解析に分子シミュレーションを使用した解析法は世界初であり、今後の糖類の立体配座や周辺の水分子分布の解析に幅広く利用されて行くものと考えられます。今回の研究は、単糖類を対象としたものですが、水中における立体配座の動きが真空紫外円二色性分光により観測可能になったため、トレハロース等のより複雑な機能性オリゴ糖類や、ムチン等の糖蛋白質の糖鎖及び細胞表面上に存在する糖鎖の微細な構造解析への応用が期待されます。また、将来的には糖鎖改変による糖鎖機能の制御の研究が可能となり、糖鎖が関わる疾患の早期診断法や治療法の開発が期待されます。さらに、細胞間の認識機構の研究や細胞-糖蛋白質間の生体内情報伝達機構の研究等にも応用でき、これまでの手法では困難であった糖類が関わる複雑な生命現象の解明への応用が期待されます。

用語解説

*1 糖類
糖類は、糖類とこれが複数個結合したオリゴ糖類や多糖類の総称であり、砂糖(ショ糖)・デンプン(アミロースやアミロペクチン)・木材(セルロース)の主要な成分である。炭水化物や糖質とも言う。また、DNAやRNAを構成するデオキシ糖やリボース糖も、糖類に属し、生体機能の発現において重要な生体分子である。

*2 立体配座
分子中(ここでは糖類)にある単結合を軸に、この結合で結ばれている両端の原子団を回転させると、両端にある諸原子の相対的な位置が変化して、分子の形態が変わる。この諸原子が取り得る様々な空間配置を立体配座という。

*3 放射光
光速で直進する電子の進行方向が磁石などによって変えられた際に発生する電磁波。真空紫外領域からX線にわたる強力な光源であり、固体物理や生体分子構造解析等の物理・生物・化学・電子工業分野で広く利用されている。

*4 円二色性
左円偏光と右円偏光の吸収で差が生じる現象で、キラリティー*8分子の立体構造を敏感に反映するため生体分子の構造解析法として広く利用されている。

円二色性

*5 分子シミュレーション
コンピューター上で、物質が持つ物性値を分子に与え数値化し、計算により分子の動きを解析することである。生体分子の立体構造の予測、生体分子間相互作用の予測、進化のモデリングなどに利用されている。

*6 糖鎖
各種の単糖類がグリコシド結合によって繋がった鎖状構造の総称で、その結合位置や数により様々な糖鎖が存在する。アミロース・セルロース・マンナンのような単純な糖鎖から、コンドロイチンやヒアルロン酸のような硫酸基やカルボキシル基等を持つ複雑な糖鎖まで様々ある。また糖鎖は、赤血球表面などに結合した血液型を決定する生体分子であり、さらに蛋白質や細胞表面に存在し、細胞認識や生体内情報伝達に重要な生体機能を持つ。

*7 糖鎖改変
糖鎖を構成する特定の糖類を酵素学的手法等により他の糖類に改変すること。この改変により、糖鎖の機能や構造に大きな影響を持つ糖類を特定することができ、新機能糖鎖の創製が可能となる。

*8キラリティー
化合物の立体構造が、その鏡像と重ね合わすことができない性質。例えば、蛋白質を構成するアミノ酸には、D型とL型の二種類があるが、両構造は重ね合わせることができないため、キラリティーを持つという。

キラリティー

*9 回転異性体
水溶液中では、単結合周りの回転は自由であり、多数の異なる立体配座を取ることができる。しかし、周辺の立体障害が原因で単結合周りの回転障壁があると、限られた数の立体配座を持つ分子が存在することになる。このような分子は、互いに配座異性体または回転異性体であるという。

お問い合わせ先

国立大学法人広島大学放射光科学研究センター
助教 松尾 光一(まつお こういち)
TEL:082-424-6293 (事務):082-424-6297 ext.312(直通)
FAX:082-424-6294
E-mail:pika*hiroshima-u.ac.jp

国立大学法人広島大学放射光科学研究センター
教授 生天目 博文(なまため ひろふみ)
TEL:082-424-6293 (事務) FAX:082-424-6294
E-mail:namatame*hiroshima-u.ac.jp

国立大学法人広島大学放射光科学研究センター
教授 谷口 雅樹(たにぐち まさき)
TEL:082-424-6293 (事務) FAX:082-424-6294
E-mail:taniguch*hiroshima-u.ac.jp

国立大学法人広島大学サステナブル・ディベロップメント実践研究センター
特任教授 月向邦彦(げっこう くにひこ)
TEL:082-424-6481 (直通) FAX:082-424-7327
E-mail:gekko*hiroshima-u.ac.jp

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