広島電鉄が開業前に収用した土地の一部の建物図や収用地内の物件一覧を発見

平成24年10月11日

国立大学法人広島大学
広 島 電 鉄 株 式 会 社

広島電鉄が開業前に収用した土地の一部の建物図や収用地内の物件一覧を発見

1. 概要

広島大学産学・地域連携センターの匹田篤(ひきたあつし)准教授は、広島電鉄株式会社、街づくり研究会と共同で、広島電鉄が開業前に収用した土地の建物図や収用地内の樹木等物品の一覧等の資料を発見しました。この資料により、これまで詳細が明らかになっていなかった明治時代の広島の生活空間が明らかになることが期待されます。

2. 経緯

今回見つかったのは、現在の八丁堀西交差点付近から、稲荷橋西交差点付近までのおよそ600mの区間のもので、廣島電氣軌道株式会社(当時。現在の広島電鉄株式会社)と土地保有者らが、明治44年12月に広島県知事に提出した収用審査会裁決申請書です。
この申請書は本文とは別に「事業計画書及図面」「収用土地地積及損失補償金額見積書」「収用土地地上物件補償金額見積書」「収用地及隣接地図面」「地上建物図」などから構成されています。
電車開業100周年を前に、社内各所に散逸していた多くの文書や写真などを広島電鉄が整理する過程で発見され、同社にさまざまな周年事業の提案をしていた街づくり研究会のメンバー、広島大学の匹田准教授が確認しました。

3. 資料の詳細

「事業計画書附属図」(縮尺1/2000)は、京橋川から八丁堀付近にいたる収用地(当時の町名では山口町、幟町、上流川町、鉄砲町)の概要がわかり、「収用地及び隣接地図面」(縮尺1/300)によって、当時の土地所有者や収用地と交差する道路や川、溝の幅が明らかになりました。
「地上建物図」は、収用される大小合わせて19の建物の間取り図が縮尺1/100(推定)で描かれており、土間や和室、板の間、座敷、押入れや便所のほか、中には風呂や土蔵、二階がある建物も存在しています。
江戸時代に武士の屋敷が立ち並んでいた一帯は、明治政府から払い下げを受けた後、どのように利用されてきたのかこれまで詳細が明らかになっていませんでした。
この図面により、当時収用対象となった部分についての土地利用が明らかになりました。明治時代の市街地における大小19におよぶ建物の正確な図面が見つかることは大変珍しいことです。

また「収用土地地上物件補償金額見積書」には、庭の樹木や庭石などについても、その種類に応じて細かく見積もられており、当時の庭の様子が想像できるとともに、その価値を把握することができます。また、起業者である廣島電氣軌道株式会社が収用にあたり、土地や家屋、庭木に至るまで、細かく公平に査定していることが読み取れます。

これにより、これまで詳細が明らかになっていなかった明治時代の広島の生活空間の一端が明らかになることが期待されます。また、他の資料と合わせて分析することで、明治末期からの広島の街の発展の歴史を明らかにすることが期待されます。

これらの資料の一部は、広島市郷土資料館(広島市南区)にて10月20日から始まる特別展「広島の路面電車100年」において一般に公開されます。

図1 事業計画書附属図

図1 事業計画書附属図

図2 地上建物図の例

図2 地上建物図の例

解説

街づくり研究会
広島電鉄株式会社元常務の中尾正俊(なかおまさとし)を中心とし、日本路面電車同好会のメンバーや有識者からなる研究会。2008年から活動している。

お問い合わせ先

広島大学 産学・地域連携センター
准教授 匹田 篤(ひきた あつし)
電話: 082-424-6136
E-mail: hikita*hiroshima-u.ac.jp
(*は、半角@に置き換えて送信してください)


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