アルツハイマー型認知症の記憶障害メカニズムに関する新発見

平成27年8月6日

福島県立医科大学
広島大学

アルツハイマー型認知症の記憶障害メカニズムに関する新発見

研究成果のポイント

  1. アルツハイマー型認知症の初期症状のひとつである再認記憶の障害に関わる2種類の脳内(前脳基底部)アセチルコリン神経細胞は、それぞれが異なる再認記憶(場所と物体の記憶)の機能に重要な役割を持つことが明らかになりました。
  2. 再認記憶障害における病態の発症機序の理解や新しい治療薬の開発に結び付くものと期待されます。

福島県立医科大学の小林和人教授・西澤佳代助教・小林とも子研究員と広島大学の坂田省吾教授・岡田佳奈研究員の共同研究チームは、標的とした神経細胞のみを取り除く技術を利用して、脳内の前脳基底部に存在し、アセチルコリンを伝達物質とする神経細胞を除去することに成功し、その結果、物体の場所やそれ自身の認識に関わる記憶機能が低下することを明らかにしました。これらのアセチルコリン神経細胞には2種類のタイプ(内側中隔あるいはマイネルト基底核と呼ばれる脳の領域に存在する神経細胞)があり、前者の除去により、動物は物体がどこにあるかがわからなくなり、後者の除去では、その物体が何かということがわからなくなりました。これまで、アルツハイマー型認知症においてアセチルコリン神経細胞が失われることは指摘されていましたが、それぞれのアセチルコリン細胞がどのように記憶機能に関わっているのかについては全くわかっていませんでした。今回、異なるタイプのアセチルコリン神経細胞が、別々の再認記憶の機能を担っていることが世界で初めて発見されました。このことは、アルツハイマー型認知症の病態の発症機序や記憶障害に対する治療薬の開発に大きく結び付くと考えられます。本研究の成果は、英国科学誌Scientific Reports(8月6日号)に掲載されます。

研究の背景

再認記憶は、我々の持つ最も基本的な記憶機能のひとつで、かつて見た物や出合った人、訪れた場所などのことを思い起こす時に不可欠となるものです。アルツハイマー型認知症では、進行する神経変性と共に重篤な記憶障害が生じますが、その初期症状としてこの再認記憶の障害が顕著に現れます。それと同時に、様々なシナプスの変性や神経細胞の死滅に先んじてアセチルコリンを伝達物質とする神経細胞が脱落を始めることも知られています。このことから、アルツハイマー型認知症における再認記憶障害が、アセチルコリン神経細胞の脱落によって引き起こされること、また、アセチルコリン神経細胞の機能低下に対する治療を行う事で初期の記憶障害を回復させることができる可能性が示唆されます。これまでも、認知症の記憶障害にアセチルコリン神経細胞の機能低下が関わっていることは、早くから指摘され、研究が積み重ねられてきましたが、どのアセチルコリン神経細胞が再認記憶にどのようにして関わっているのかについてはほとんど明らかになっていませんでした。本研究では、異なるタイプのアセチルコリン神経細胞が別々の再認記憶の機能(場所と物体の認識)を担っていることが初めて発見されたほか、それぞれの記憶障害は、アセチルコリンの分解酵素を阻害する抗認知症薬の投与によって回復することがわかりました。これらの知見は、アルツハイマー型認知症の病態の解明や本疾患に対する治療薬の開発に大きく結び付くと考えられます。

研究内容と成果

研究チームは、細胞標的法という技術を利用して、脳領域(前脳基底部)からアセチルコリン神経細胞のみを取り除いたマウスを作製しました(図1)。前脳基底部には主なアセチルコリン神経細胞が2種類あり、ひとつは内側中隔に存在し、海馬という脳領域に投射する神経細胞群(図1の緑色の細胞)で、もうひとつはマイネルト基底核に存在し、大脳皮質に投射する細胞群(図1の水色の細胞)です。今回は、それぞれの細胞群を除去したマウスを別々に作成し、動物の再認記憶について、広場においたいろいろな物体を見せるテスト(物体探索課題)を用いて検証しました。今回のテストには2種類あり、ひとつは何度もみた物体の位置と物体そのものを覚えているかどうかを検証するテスト(図2, 連続物体探索課題)で、もうひとつは一度だけ見た物体の位置と物体そのものを覚えているかどうかのテスト(図3, 単回物体探索課題)でした。動物は、いろいろな物を置いた広場に放たれると、その好奇心から物に近づき、鼻先で触ったりにおいを嗅いだりして物体を探索します。しばらく探索すると物体に慣れて探索量が減ってきますが、物体の位置を変えたり(空間テスト)、物体を新しいものと交換したり(物体テスト)すると、動物は物体の変化を認識することで好奇心が高まり、物体に対する探索量が再び増えます。このようなマウスの持つ好奇心と探索の性質を利用したテストによって、アセチルコリン神経細胞を損傷したマウスの記憶機能を調べました。

正常なマウスもアセチルコリン細胞を除去したマウスも広場や物体に対する慣れには異常がありませんでしたが、内側中隔のアセチルコリン神経細胞を損傷したマウスでは、連続物体探索課題でも単回物体探索課題でも、物体そのもののことは覚えていましたが、物体の置かれていた位置を覚えていないことがわかりました(図2,図3)。一方、マイネルト基底核のアセチルコリン神経細胞を損傷したマウスは、物体の置かれていた位置については覚えていましたが、単回探索課題において、物体そのものを覚えていませんでした(図2,図3)。次に、これらの再認記憶障害が、リバスチグミンやドネペジルといった、抗認知症薬として用いられるアセチルコリンの分解酵素の阻害薬によって回復することができるかどうかを調べたところ、どちらの抗認知症薬を投与しても、2種類のアセチルコリン神経細胞の損傷に起因する再認記憶の障害を回復させることができました(図4, 図5)。

この研究の結果は、内側中隔と海馬を結ぶアセチルコリン神経細胞が場所の認識に関わる記憶に重要な役割を持つことを示すとともに、マイネルト基底核と大脳皮質を結ぶアセチルコリン神経細胞は物体自身の認識に関わる記憶に必須であることを示しています。後者の物体再認記憶障害に関しては、特に、作業記憶といって、ある試行の中で一時的に働く記憶の障害とも関係しているようです。これまで、アセチルコリンの記憶に関する役割に関しては、様々な可能性が指摘されていたにも関わらず、詳細が定かではありませんでしたが、今回の研究によって、2種類のアセチルコリン神経細胞が別々のタイプの再認記憶を分担して調節していることが初めて証明されました。
以上の研究は、今後、アルツハイマー型認知症など記憶機能に重篤な障害を示す脳神経疾患の病態の解明や、疾患の改善につながる治療薬の開発・応用に結び付くものと期待されます。

本研究は、福島県立医科大学と広島大学の共同研究による研究成果です。

【図1】アセチルコリン神経細胞を選択的に取り除く方法

【図1】アセチルコリン神経細胞を選択的に取り除く方法

A: 細胞標的法:遺伝子改変技術を利用して脳内の特定の神経細胞に、標的タンパク質(この場合は、ヒトのインターロイキンー2受容体αサブユニット)を発現させます。この動物の脳内にイムノトキシン(IT)と呼ばれる人工タンパク質を注入すると、標的タンパク質を認識して細胞の中に取り込まれ、この細胞を死滅させます。この処理によって、脳の神経回路から標的タンパク質を持つ細胞群を選択的に除去することができます。
B: 2種類のアセチルコリン神経細胞の除去:前脳基底部のアセチルコリン神経細胞には、内側中隔から海馬に投射する細胞群(緑色)とマイネルト基底核から大脳皮質に投射する細胞群(水色)が存在します。アセチルコリン神経細胞において標的タンパク質を発現する遺伝子改変マウスを作製し、この動物の内側中隔あるいはマイネルト基底核にイムノトキシンを注入しました。各領域のアセチルコリン神経細胞を染色して視覚化すると、正常群にはアセチルコリン神経細胞(写真の中で黒くみえます)が存在しますが、除去群ではこの細胞が取り除かれていることがわかりました(矢印で示した部分)。また、それぞれの領域のアセチルコリン細胞以外の神経細胞は除去されずに残っています。

【図2】連続探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなる

【図2】連続探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなる

A: 連続物体探索課題:円い広場に5つの互いに異なる物体を置き、マウスに自由に探索させます。この探索を何度も繰り返すとマウスは物体に慣れて、徐々に物体に接触する回数が減少します。次の空間テストで2つの物体の位置を変えると、正常なマウスは動いた物体に対してのみ好奇心を復活させ、また触って探索するようになります。最後の物体テストでは、ひとつの古い物体を全く新しい物体と交換します。正常なマウスは以前からある物体に対する探索量は少ないままですが、新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。
B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン神経細胞除去群の障害:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞が正常なコントロール群では、空間テストで移動した物体への探索量がそのままの物体への探索量よりも多かったのですが、同細胞を除去したマウスは、移動した物体への探索量が増加しませんでした。内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったのです。
C: 物体テストにおいて両方のアセチルコリン神経細胞除去群とも新しい物体を見分けられる:連続物体探索課題の物体テストでは、内側中隔のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスとマイネルト基底核のアセチルコリン神経細胞を除去したマウスの両方が、コントロール群と同様に、以前からある物体よりも新しい物体に対する探索量が増えました。これは、どちらのアセチルコリン神経細胞が除去されても、何度も見た物体に関しては見たことがあるものがどれなのかがわかったということです。

【図3】 単回探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなり、マイネルト基底核アセチルコリン細胞を除去すると物体自身のことが思い出せなくなる

【図3】 単回探索課題において、内側中隔アセチルコリン細胞を除去すると物体の位置が思い出せなくなり、マイネルト基底核アセチルコリン細胞を除去すると物体自身のことが思い出せなくなる

A: 単回物体探索課題:四角い広場に2つの同じ物体を置き、マウスに自由に探索させます。その後、少し時間(遅延)をおいてから、空間テストでは1つの物体の位置を変え、物体テストでは1つの物体を違う物体と交換します。空間テストでは、マウスは動いた物体に対して探索を復活させます。物体テストでは、マウスは新奇な物体に対して頻繁に探索するようになります。
B: 空間テストにおける内側中隔アセチルコリン細胞除去群の障害:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、移動した物体の探索をあまり行いませんでした。マイネルト基底核にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、正常なコントロール群と同じように、移動しない物体にはあまり近づきませんでしたが、移動した物体には頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって、空間に関する再認記憶が障害され、空間テストで移動された物体がどれであったかがわからなくなったために起こったことです。
C:物体テストにおけるマイネルト基底核アセチルコリン細胞除去群の障害:物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、新奇な物体の探索をそれほど行いませんでした。内側中隔にあるアセチルコリン型神経細胞を除去したマウスは、コントロール群同様、新奇な物体を頻繁に探索しました。マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害され、一度見たことがあるはずの物体がどちらであったかがわからなくなることが明らかになりました。

【図4】抗認知症薬を投与すると、連続探索課題における内側中隔アセチルコリン細胞を除去したマウスの空間認識に関する記憶障害が回復する

図4】抗認知症薬を投与すると、連続探索課題における内側中隔アセチルコリン細胞を除去したマウスの空間認識に関する記憶障害が回復する

A: 抗認知症薬投与と連続物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞を除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、連続物体探索課題を行いました。
B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害からの回復:内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスに生理食塩水を投与しても、移動した物体への探索量が増加しませんでした。しかし、ドネペジルやリバスチグミンを投与すると、除去マウスが移動していない物体よりも移動した物体に頻繁に近づいて探索するようになりました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の損傷によって空間に関する再認記憶が障害されていたのにも関わらず、アセチルコリン分解酵素の阻害薬である抗認知症薬の投与によって、その記憶機能が回復し、空間テストで移動された物体がどれであったかがわかるようになったということです。

【図5】抗認知症薬を投与すると、単回探索課題において、内側中隔細胞除去による空間認識に関する記憶障害およびマイネルト基底核細胞除去による物体認識に関する記憶障害が回復する

【図5】抗認知症薬を投与すると、単回探索課題において、内側中隔細胞除去による空間認識に関する記憶障害およびマイネルト基底核細胞除去による物体認識に関する記憶障害が回復する

A: 抗認知症薬投与と単回物体探索課題実施の流れ:マウスの内側中隔アセチルコリン神経細胞とマイネルト基底核アセチルコリン神経細胞をそれぞれを除去した後、腹腔内にドネペジル(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)とリバスチグミン(低濃度: 2μmol/kg、高濃度: 4μmol/kg)、または生理食塩水を投与し、単回物体探索課題を行いました。
B: 薬剤投与による空間認識に関する記憶障害の回復:空間テストにおいて、内側中隔にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水を腹腔内投与されても、移動した物体の探索を増加させることはありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、移動した物体のみに頻繁に近づいて探索しました。これは、内側中隔のアセチルコリン細胞の欠落によって障害された空間に関する再認記憶機能が、抗認知症薬の投与によって回復し、空間テストで移動された物体がどれであるのかをマウスがわかるようになったということを意味します。
C:薬剤投与による物体認識に関する記憶障害の回復:物体テストにおいて、マイネルト基底核にあるアセチルコリン神経細胞を除去したマウスは、生理食塩水投与下では、新奇な物体の探索が頻繁ではありませんでした。しかし、抗認知症薬を投与すると、除去マウスは、正常群と同様に、新奇な物体を頻繁に探索するようになりました。これは、マイネルト基底核の欠落によって、物体そのものに関する再認記憶が障害されたにもかかわらず、抗認知症薬を投与することで、この再認記憶障害から回復し、一度見たことがある物体がどれであるかがわかるようになったということを示しています。

社会的意義と今後の展開

1.アセチルコリン神経細胞の記憶機能の解明
アセチルコリン神経細胞は、重篤なアルツハイマー型認知症の初期に損傷されるタイプの神経細胞であり、海馬や皮質などの記憶に関わることが広く知られている領域に投射していることから、記憶機能に重要な役割を果たす可能性が示唆されてきました。しかし、実際には、アセチルコリン神経細胞がどのように記憶機能を果たすのかに関しては、これまではっきりした結論が得られないままでした。この研究では、新しい方法で2種類のタイプのアセチルコリン神経細胞を除去し、これらの神経細胞が最も基本的な記憶である再認記憶に大きな役割を果たすことが明確に示されました。また、この2つのタイプのアセチルコリン細胞にはそれぞれ別の働きがあり、内側中隔にあるものは物体の場所の記憶に、マイネルト基底核にあるものは物体自身の記憶に関与することが示されました。アルツハイマー型認知症などでみられるアセチルコリン神経細胞の死滅が原因と考えられる再認記憶障害は、それらの別々の記憶障害が組み合わさっているものだということがわかりました。このことは、再認記憶の障害の基礎になる病態メカニズムの解明に役立ちます。

2.記憶疾患に対する治療薬の開発に期待
アルツハイマー型認知症などの重篤な記憶機能疾患では、再認記憶障害がしばしば見られます。今回の結果によって、アセチルコリン神経細胞の活動が再認記憶に不可欠であることが示されました。今後、アセチルコリン神経細胞の機能を回復する薬剤や治療法の探索に結び付くものと期待されます。

掲載論文

題名:Distinct roles of basal forebrain cholinergic neurons in spatial and object recognition memory.
著者:Kana Okada, Kayo Nishizawa, Tomoko Kobayashi, Shogo Sakata, and Kazuto Kobayashi
掲載誌:英国科学誌 Scientific Reports8月6日号

問い合わせ先

<研究に関すること>
福島県立医科大学 医学部附属生体情報伝達研究所 生体機能研究部門
教授 小林 和人(コバヤシ カズト)
助教 西澤 佳代(ニシザワ カヨ)
Tel:024-547-1667  Fax:024-548-3936
Email:kazuto*fmu.ac.jp (小林教授)

広島大学 大学院医歯薬保健学研究院 基礎生命科学部門
医学分野 神経生理学
研究員 岡田 佳奈(オカダ カナ)
Tel:082-257-5127 Fax:082-257-1622
Email:kaokada*hiroshima-u.ac.jp

<取材・報道に関すること>
公立大学法人福島県立医科大学研究推進課
担当者 清水 勝夫(シミズ カツオ)
Tel:024-547-1040 Fax:024-547-1991
Email:shimi-15*fmu.ac.jp

国立大学法人広島大学 学術・社会産学連携室 広報グループ
担当者 新藤 季奈 (シンドウ キナ)
Tel:082-424-6781 Fax:082-424-6040
Email:koho*office.hiroshima-u.ac.jp


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