固体の結晶構造を記憶する液体:液体ビスマス中の奇妙な音波から証明

平成27年8月27日

国立大学法人広島大学
国立大学法人熊本大学
慶應義塾大学
公益財団法人高輝度光科学研究センター
国立研究開発法人理化学研究所

固体の結晶構造を記憶する液体:液体ビスマス中の奇妙な音波から証明

本研究成果のポイント

  • 世界で初めて、液体ビスマス中の音響モードの励起エネルギーが特異な分散を示すことを実験で検証し、そのメカニズムを解明しました
  • 従来、液体ビスマスの音響モードを表す非弾性散乱ピークは低い運動量領域でしか観測できないと考えられていたものを覆しました
  • 今回の成果から、溶融母金属からの新材料創成やナノテクノロジーへの発展、応用が期待されます

概要

国立大学法人広島大学(学長:越智光夫)の乾雅祝教授、梶原行夫助教、宗尻修治准教授、国立大学法人熊本大学(学長:原田信志)の細川伸也教授、慶應義塾大学(塾長:清家篤)の千葉文野専任講師、公益財団法人高輝度光科学研究センター(理事長:土肥義治)の尾原幸治研究員、筒井智嗣主幹研究員、国立研究開発法人理化学研究所(理事長:松本紘)のアルフレッド・バロン准主任研究員は理論的に予言されていた液体ビスマス(*1)中のパイエルス歪(*2)と呼ばれる異方的な結合の実証に成功しました。
パイエルス歪が実現しているなら普通とは異なる原子の集団運動が観測されるはずであるという期待から、液体ビスマスの音響モード(*3)は非弾性中性子散乱で既に調べられていましたが、一見矛盾する2つの実験結果の報告があるものの、2つの矛盾を検証するための実験的・理論的研究は進んでおりませんでした。2010年、第1原理分子動力学シミュレーションによって、パイエルス歪を考慮すれば2つの実験結果を矛盾なく説明できることが予言され、本研究によってその予言がSPring-8(*4)のBL35XUの高分解能非弾性X線散乱実験(*5)を行うことで初めて実証されました。
本研究によって原子間にはたらく力を制御することでナノ構造をデザインできることが明らかとなり、また今回の発見は新物質創成やナノテクノロジー分野の発展に大きく貢献できることが期待されます。
本研究成果は、平成27年8月25日(米国東部時間)、米国科学誌「Physical Review B」(オンライン版)に掲載されました。

タイトル:Anomalous dispersion of the acoustic mode in liquid Bi
著者:M. Inui, Y. Kajihara, S. Munejiri, S. Hosokawa, A. Chiba, K. Ohara, S. Tsutsui and A.Q.R. Baron
掲載雑誌名:Physical Review B
DOI番号:10.1103/PhysRevB.92.054206

背景

安定な元素の中で最も原子番号の大きいビスマスは、各原子が3本の短い結合と3本の長い結合で結ばれた歪んだ立方構造をとる半金属です。これは、ビスマスではp軌道を3個の価電子が占めているため、直線的に並んだ原子が対を形成した方が電子エネルギーが得になる、いわゆるパイエルス歪が形成されることによります(図3(c)参照)。
融解後もこのような異方的な構造が期待される物質として、液体ビスマスの構造と原子の集団運動は古くから注目されていました。液体ビスマスを対象に行われた1980年代の非弾性中性子散乱実験では、波長1nm(原子間距離の3倍程度)以上の音波しか観測されない(運動量6nm-1以下のスペクトルのみ非弾性散乱ピークが観測される)[1]、0.5nm程度の短い波長の音波まで観測される(運動量12nm-1のスペクトルにも非弾性散乱ピークが観測される)[2]、という矛盾した結果を報告していました。液体ビスマスの構造を再現できる当時の古典分子動力学シミュレーションは、前者を支持する結果を示したため[3]、液体ビスマスの特殊な構造が、音響モードの現れる運動量領域を非常に狭い範囲に制約していると考えられていました。
21世紀になり、液体ビスマスを対象に、原子に働く力が周りの原子配置に応じて変化する第一原理分子動力学シミュレーションが行われ、音響モードが10nm-1以上の運動量の大きい領域まで残存し、励起エネルギーが運動量に依存しない一定値になる特異な領域が現れることが予言されました[4]。これにより、液体ビスマスの構造と原子の集団運動が再び注目を浴びるようになりました。

研究成果の内容

今回の成果を得るためには、SPring-8の極めて輝度が高い単色X線を利用した高分解能非弾性X線散乱実験[5]が必須でした。この手法では、入射X線のエネルギーが音響モードのエネルギーに比べて極めて大きいため、運動量の小さな領域で広い範囲の励起エネルギーを測定できます。
その際X線吸収係数の大きな液体ビスマスの薄膜を安定した状態で保持できる我々の実験技術も重要なポイントでした。
これにより、液体ビスマスの音響モードを表す非弾性散乱ピークの振る舞いが第一原理分子動力学シミュレーションの予言と一致することを証明し、1980年代に行われた非弾性中性子散乱実験では、運動量の小さな領域では限られた範囲の励起エネルギーしか測定できなかったことが、矛盾する結果を導いた原因であることが明らかになりました。
液体ビスマスの非弾性散乱スペクトルを図1に示します。弾性散乱したX線の強度に比例するピークが真ん中にあり、その両側に液体ビスマスとエネルギーを交換した(非弾性散乱した)X線の強度に比例するピークが現れています。○が実験値、実線がスペクトルの形状を表現するモデル関数を用いた最適化曲線です。入射X線に対する散乱X線の方向(角度)から決定される運動量の大きさ[nm-1]は各スペクトルの左に示しました。[1]とは異なり、11.9nm-1の運動量のスペクトルを見ても、図1の赤矢印で示すように真ん中のピークの両脇に音響モードの存在を表す非弾性散乱ピークがはっきり見えています。最適化されたモデル関数から非弾性散乱ピークのエネルギーを決定し、運動量の大きさを横軸に表したものが図2です。●が表すエネルギーは、グラフの中央付近にエネルギー一定の領域があることが確かめられました。図2の曲線は1次元鎖モデルの解析で求められた励起エネルギーの運動量依存性を表しています。図3(a)に示すような、原子に見立てた球がばねで結ばれた1次元鎖の振動を解析すると、図2の点線(青色)で示すような山型の曲線が導かれます。通常、液体の音響モードのエネルギーは、このような曲線に従います。一方、図3(b)に示すように、強いばねで結ばれた原子対が弱いばねで結ばれた1次元鎖の振動を解析すると、図2の実線(赤色)で示すように●の変化と一致する曲線が得られました。
この結果は、液体ビスマスのナノメートルの領域に注目すると、図3(c)に示すようなパイエルス歪を伴う結晶の原子配列が形成されていることを示唆しています。

今後の展開

我々の研究は、原子やイオンが不規則に配置されているだけと考えられていた液体を原子の集団運動の観点から解析し、液体中には、原子間にはたらく力を忠実に反映した規律のある構造がナノメートル程度の範囲にわたり形成されていることを明らかにしました。これは、原子間に働く力を制御すればナノ構造をデザインできることを実験で明らかにした画期的なものです。
今回の成果は、液体母合金からの新物質創成やナノテクノロジーなどの分野に、大きなインパクトを与えることが期待されます。

参考資料

図1 非弾性散乱スペクトル

図1 非弾性散乱スペクトル

非弾性ピークの位置(音響モードのエネルギー)を矢印で示す。
左側には各スペクトルの運動量の値(音響モードの運動量と一致)を記した。

図2 グラフ

図2

●:実験から求めた音響モードのエネルギー
点線(青):図3(a)のモデルが与える関数
実線(赤):図3(b)のモデルが与える関数

図3 原子配列

図3

(a)原子が同じばねで結ばれた鎖
(b)強いばねで結ばれた原子対が弱いばねで結ばれた鎖
(c)単純立方構造を使って表した結晶ビスマス構造の模式図。パイエルス歪により現れる短い結合を太線、長い結合を点線で表している。

参考文献

[1] U. Dahlborg and L. G. Olsson, J. Phys. F: Met. Phys. 13, 555 (1983).
[2] K. Shibata, S. Hoshino and H. Fujishita, J. Phys. Soc. Jpn., 53, 899 (1984)
[3] M. Dzugutov and U. Dahlborg, Phys. Rev. A 40, 4103 (1989).
[4] J. Souto, M. M. G. Alemany, L. J. Gallego, L. E. Gonzalez and D. J. Gonzalez, Phys. Rev. B 81, 134201 (2010).
[5] A.Q.R. Baron, Y. Tanaka, S. Goto, K. Takeshita, T. Matsushita and T. Ishikawa, J. Phys. Chem. Solids, 61, 461 (2000).

用語説明

(*1) 液体ビスマス
原子番号83のビスマスは融点271℃、沸点1,551℃と約1,300℃の広い温度範囲にわたり液体状態を示す元素です。液体ビスマスは約1.3μΩ・mの抵抗率を示し、これは金属と同じくらい電気を通す値なので、液体ビスマスは水銀などと共に液体金属に分類されています。

(*2) パイエルス歪
理論物理学者パイエルスは、1個の価電子をもつ原子が1次元鎖を形成する場合、電子エネルギーを考慮すると、原子が等間隔に並ぶよりは、原子が対になり長短2種類の原子間距離が交互に現れる並び方の方が、エネルギーが得になることを見出しました。原子が等間隔に整列した構造が実は不安定であることを証明したので、この現象をパイエルスの不安定性、このような構造をパイエルス歪といいます。

(*3) 音響モード
液体中の原子、分子が、協調的に集団運動することにより生まれる縦波音波(粗密波)や横波音波のことです。一方、固体中の原子、分子が、協調的に集団運動することにより生まれる縦波音波、横波音波は、ふつうフォノンと呼ばれています。

(*4) SPring-8
兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高の放射光を生み出す理化学研究所の大型放射光施設で、その運転管理は高輝度光科学研究センターが行っています。SPring-8の名前はSuper Photon ring-8GeVに由来します。この施設では、シンクロトロン加速器で電子を光速まで加速して、電子の軌道が曲げられる際に放射される非常に輝度の高い赤外線からX線までの放射光を利用した様々な実験が行われています。

 (*5)高分解能非弾性X線散乱実験
X線を試料に照射したとき、試料の様々な励起状態とエネルギーをやり取りした結果、散乱X線のエネルギーが入射X線のエネルギーから変化する現象を、非弾性X線散乱と言います。音響モードの励起エネルギーは、入射X線のエネルギーの100万分の1程度なので、X線のエネルギーを非常に高精度で測定しなければ、非弾性X線散乱から音響モードのエネルギーを決定できません。このように、非常に高い精度で行われる非弾性X線散乱実験のことを高分解能非弾性X線散乱実験といいます。

研究に関するお問い合わせ先

国立大学法人広島大学大学院総合科学研究科 教授 乾 雅祝
Tel:082-424-6555 FAX:082-424-0757
E-mail:masinui*hiroshima-u.ac.jp(*は半角@に置き換えてください)

国立大学法人熊本大学大学院自然科学研究科(理学系) 教授 細川 伸也
Tel&FAX:096-342-3353
E-mail:hosokawa*sci.kumamoto-u.ac.jp(*は半角@に置き換えてください)

慶應義塾大学理工学部 専任講師 千葉 文野
Tel:045-566-1664  FAX:045-566-1672
E-mail:ayano*phys.keio.ac.jp(*は半角@に置き換えてください)

公益財団法人高輝度光科学研究センター利用研究促進部門 研究員 尾原 幸治
Tel:0791-58-2750 FAX:0791-58-0830
E-mail:ohara*spring8.or.jp(*は半角@に置き換えてください)

国立研究開発法人理化学研究所 放射光科学総合研究センター 利用技術開拓研究部門
准主任研究員 アルフレッド・Q・R・バロン
Tel:0791-58-0803 FAX:0791-58-1816
E-mail:baron*spring8.or.jp(*は半角@に置き換えてください)


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