本研究成果のポイント
● 研究に広く利用されている微生物「分裂酵母」の全ゲノム131箇所の動きを生きた細胞で高精度に観察し、ゲノムが細胞内でどのように動くかを示す詳細なマップを作成しました。
● ゲノムの3次元構造を調べるデータ(Hi-C(※1))と生きた細胞で観察したゲノムの動きを数理科学的手法を用いて統合し、ゲノムの構造と動きをコンピュータ上で再現する「ゲノム・デジタルツイン」(※2)を世界で初めて構築しました。
● ゲノムの領域によって動きの応答時間が異なることを明らかにするとともに、細胞核の外側にあるスピンドル極体(SPB)(※3)のゆっくりとした揺らぎが、ゲノム全体に伝わって染色体の大きな動きを生み出す仕組み染色体を大きく動かす仕組みを解明しました。
● 今回構築した「ゲノム・デジタルツイン」は、細胞の中で働く力とゲノム機能との関係を理解する新たな研究基盤となるもので、将来的にはヒトを含むより複雑なゲノムの解析への応用が期待されます。
概要
広島大学RcMcD(広島大学 核内クロマチン・ライブダイナミクスの数理研究拠点形成)(※4)粟津暁紀准教授、上野勝准教授、楯真一教授、理化学研究所生命機能科学研究センター発生動態研究チーム新海創也上級研究員(当時広島大学RcMcD)、大阪大学大学院生命機能研究科平岡泰教授(研究当時)などの共同研究グループは、分裂酵母のゲノムの構造と動きをコンピュータ上で再現できる「ゲノム・デジタルツイン」の構築に成功しました。今回の成果により、細胞核内で染色体がどのように動くのかを高精度に解析できるようになりました。
本研究では、全ゲノム131箇所の遺伝子座と核内構造物(スピンドル極体:SPBおよび核小体)を追跡するイメージングプラットフォームを構築し、大規模な動態データベースを取得しました。この動態データと全ゲノムHi-C(染色体3次元構造)データをPHi-C(※5)に基づいて定量的に統合することで、計算機上にゲノムのリアルな動態像を再現しました。
デジタルツインを用いた解析により、ゲノムの領域によって動きやすさが異なることや、細胞核の外側にあるスピンドル極体(SPB)のゆっくりとした振動が、ゲノム全体の大きな染色体運動を引き起こしていることを明らかにしました。本成果は、ゲノムの「構造」と「動き」を結び付けて理解する新たな研究基盤となるものであり、将来的にはヒトを含むさまざまな生物のゲノム研究への応用が期待されます。
本研究成果は、アメリカ東部標準時間の2026年9月8日午後2時(日本時間2026年9月9日午前3時)に、米国オンライン科学誌「Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America」オンライン版に掲載されました。
論文情報
● 掲載雑誌:Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (PNAS)
● URL: https://www.pnas.org/doi/10.1073/pnas.2612002123
● 論文題目:Integrative modeling of the genome structure and dynamics in fission yeast
● 著者: Soya Shinkai†*, Toshinori Namba†, Takeshi Sugawara†, Soya Hagiwara, Shuichi Onami, Tokuko Haraguchi, Yasushi Hiraoka*, Akinori Awazu*, Masaru Ueno*, and Shin-ichi Tate*
(†共同筆頭著者)(*責任著者)
● DOI: 10.1073/pnas.2612002123
背景
真核生物(ヒトや酵母など、細胞の中に核を持つ生き物)のゲノムDNAは、細胞核内でクロマチンと呼ばれる複合体として折りたたまれ、立体的な高次構造を形成しています。近年、Hi-C法に代表される次世代シーケンサーを用いた解析技術の進歩により、全ゲノム規模での3次元構造(ゲノム接触マップ)が解明されてきました。しかし、Hi-C法で得られるデータは多数の細胞の「アンサンブル平均された静的な構造情報」であり、時間とともに分子がどのように揺らぎ動くかという「動態情報」は含まれていません。
一方、蛍光顕微鏡を用いた生細胞イメージング(ライブイメージング)は、特定のゲノム領域のリアルタイムな運動(時空間動態)を直接観察できます。しかし、技術的制約から一回の実験で観察できる領域は数箇所に限られ、ゲノム全体にわたる包括的な運動像を得ることは困難でした。
このように、静的な全ゲノム構造データ(Hi-C)と、局所的で動的なイメージングデータという異なる観測手法(モダリティ)のデータをどのように定量的かつ物理整合的に統合するかが、ゲノム生物学および生物物理学における長年の大きな課題となっていました。
これらのデータを統合できれば、ゲノムがどのような構造をとり、その構造が時間とともにどのように変化しながら動くのかを、細胞全体の視点から理解できるようになります。
研究成果の内容
全ゲノム規模の生細胞ライブイメージングプラットフォームの構築
研究グループは、全ゲノムにわたり約90 kb間隔で標識した131系統の分裂酵母細胞株を作製しました。ゲノム1箇所(LacI-GFP(※6))、セントロメアに位置するスピンドル極体(SPB: Sid4-GFP)、および核小体(Gar2-mCherry(※7))を同一細胞内で3D追跡観察し、G2期(※8)の4,751細胞から得られたデータからSPBからの相対運動(2-point MSD)の全ゲノムマップを完成させました。
PHi-C法による物理基盤「ゲノム・デジタルツイン」の構築と検証
生細胞動態データと全ゲノムHi-C構造データを「PHi-C」手法により統合し、その物理パラメータ(粘性抵抗係数(※9) γ=1.26×10-7kg/sとビーズ径(※10)σ=0.0567μm)の決定に裏付けられた物理モデル「ゲノム・デジタルツイン」を構築しました。本モデルは、セントロメアやテロメアの空間的クラスター化など、既知の構造的特徴も見事に再現・検証されました。
クロマチン動態の2つのレジームと緩和時間の発見
デジタルツインを用いた解析により、ゲノム全体のクロマチン運動は大きく3つに分類され、2つの特徴的な物理的緩和時間(※11)を持つことが判明しました。セントロメア・テロメア(※12)ビーズ径シミュレーション上の距離単位を、構成要素(ビーズ)の物理的な実際のサイズ(nmなど)に基づいて現実の空間スケールへ換算する基準。
近傍(ヘテロクロマチン(※13)領域): 短時間では運動が抑圧されますが、長時間では大きな変位に達し、緩和時間は約150秒と遅い特性を持ちます。染色体腕部(ユークロマチン(※14)領域):より速く揺らぎ、緩和時間は約70秒と短いことが明らかになりました。
細胞核外からの機械的駆動力が生むゲノム伝播応答機構
SPB運動のパワースペクトル解析(PSD)(※15)により、約225秒の周期ピークと 1/f 揺らぎを持つ低周波成分が存在していることが判明しました。デジタルツイン上での周波数応答解析の結果、150秒以下の高周波な振動はセントロメア付近で減衰するのに対し、周期225秒前後の低周波振動は染色体腕を通ってゲノム全体へ効率よく伝搬し、大規模なクロマチン変位を引き起こす物理機構が実証されました。
今後の展開
本研究で構築された「ゲノム・デジタルツイン」は、細胞核を1つの統合された力学システムとして捉える新しい研究アプローチを提示します。今後は、細胞の形態・サイズ変化やメカノストレス(機械的刺激)が、SPB運動やクロマチン動態を通じて遺伝子発現制御やDNA損傷修復、ゲノム構造維持などの生命現象に与える影響の解明に応用されます。また、本手法はヒトをはじめとする複雑な高倍数体ゲノムへの応用展開が期待されます。
参考資料
図 分裂酵母染色体の大規模動態測定とモデリング(PHi-C)を組み合わせた「デジタルツイン」の構築 分裂酵母の3本の染色体(A)をカバーする全ゲノム131箇所の遺伝子座と核内構造物(スピンドル極体(SPB)および核小体)を追跡した動態データ(B)と全ゲノムHi-Cデータ(C)を高分子物理モデリング(PHi-C)法(D)に基づいて定量的に統合することで、計算機上にゲノムのリアルな動態像「ゲノム・デジタルツイン」(E)を再現。矢印で示した核外からSPBに伝わる準周期的な振動がゲノム全体へと伝播し、大規模な染色体変位を引き起こす力学応答機構を明らかにした。図Aは、分裂酵母の核のモデルを表す。図Aにおいて、ゲノム1箇所の遺伝子座をLacI-GFPで可視化した部分とSPB部分を緑の点で示す。図Bは、G2期の分裂酵母の3つの細胞(Cell1〜3)について、3つのタイムポイント(t1〜3)で撮影した蛍光像を並べたもの。図Bにおいて、それぞれの細胞の緑の2点のうち、1点はゲノム1箇所の遺伝子座をLacI-GFPで可視化した部分、もう1点はSPBに相当する。細胞中心付近(核)の赤い楕円は核小体に相当する。
用語解説
(※1)Hi-C
Hi-C:ゲノム全体における3次元的なDNA同士の接触頻度(近接関係)を一括解析する手法。
(※2)デジタルツイン
現実世界の物理的な対象や環境を、デジタル空間上にリアルタイムかつ精密に再現した双子のようなモデル。
(※3)スピンドル極体(SPB)
酵母などの菌類における微小管形成の中心であり、動物細胞の中心体に相当する構造。
(※4)広島大学RcMcD
細胞核内のDNA(クロマチン)の構造や動きを、数学や物理学を活用して解明する広島大学の研究拠点。
(※5)PHi-C
PHi-C:Hi-Cなどの接触データから、高分子物理モデリングを用いて染色体の立体構造やダイナミクスを復元・予測するシミュレーション手法。
(※6)LacI-GFP
特定のDNA配列(lacO)に結合するタンパク質(LacI)に蛍光(GFP)をつけ、生細胞内で特定ゲノム領域を可視化するシステム。
(※7)核小体(Gar2-mCherry)
リボソームRNAの合成・組み立てを行う細胞小器官(核小体)を、マーカータンパク質Gar2に赤色蛍光(mCherry)を結合させて可視化したもの。
(※8)G2期
細胞が分裂する直前の準備段階。DNAの複製を終え、分裂に向けた準備を進めている時期。
(※9)実時間(粘性抵抗係数)
シミュレーション上の時間軸を、周囲の媒質の粘性抵抗値に基づいて物理的な現実の時間(秒など)へ換算する基準。
(※10)ビーズ径
シミュレーション上の距離単位を、構成要素(ビーズ)の物理的な実際のサイズ(nmなど)に基づいて現実の空間スケールへ換算する基準。
(※11)緩和時間
システムや分子構造が、刺激などの揺らぎを受けた後に元の平衡状態に戻るまでの目安時間。
(※12)セントロメア・テロメア
セントロメアは染色体分配時に紡錘糸が結合する中央領域、テロメアは染色体末端を保護する構造。
(※13)ヘテロクロマチン
DNAが強く凝縮し、遺伝子の転写(読み取り)が抑制されている染色質領域。
(※14)ユークロマチン
DNAが緩やかに解かれており、遺伝子の転写が活発に行われている染色質領域。
(※15)パワースペクトル解析(PSD)
時系列データの揺らぎを周波数成分に分解し、どの周波数の振動や動きが強みを持っているかを定量化する解析法。
研究支援
本研究の遂行にあたり、国立研究開発法人科学技術振興機構 CREST (JPMJCR23N3) および NBDC (JPMJND2502)(新海)、文部科学省科研費 (JP23K05636)および文部科学省科研費新学術領域研究(20114001)(平岡)、International Institute for Sustainability with Knotted Chiral Meta Matter (WPI-SKCM2) および 文科省科研費 挑戦的研究(開拓)21K18234および文部科学省科研費(JP23H02425)(楯)、文部科学省(MEXT)および日本医療研究開発機構(AMED)の創薬等先端技術支援基盤事業(生体動態解析支援基盤)(新海、
粟津、上野、楯)の助成を受けました。
【お問い合わせ先】
〈研究に関すること〉
広島大学 大学院統合生命科学研究科 生命医科学プログラム 准教授 上野 勝
Tel:082-424-7768 FAX:082-424-7768
E-mail:scmueno*hiroshima-u.ac.jp
理化学研究所 生命機能科学研究センター 発生動態研究チーム
上級研究員 新海 創也
Tel:078-306-3444
Email:soya.shinkai*riken.jp
〈報道に関すること〉
広島大学 広報グループ
Tel:082-424-4383 FAX:082-424-6040
E-mail:koho*office.hiroshima-u.ac.jp
大阪大学 大学院生命機能研究科 庶務係
TEL:06-6879-4692 FAX:06-6879-4420
E-mail:seimei-syomu*office.osaka-u.ac.jp
理化学研究所 広報部 報道担当
Tel:050-3495-0247
Email:ex-press*ml.riken.jp
(*は半角@に置き換えてください)