第26回 島田 昌之 准教授(大学院生物圏科学研究科)

ブタの凍結精液を使った人工授精法を確立-日本の養豚業を支える「次世代型のブタ生産システム」の構築を目指して-

島田昌之

大学院生物圏科学研究科 生物資源科学専攻 陸域動物生産学講座 島田 昌之(しまだ まさゆき) 准教授

に聞きました。 (2010.7.2 社会連携・情報政策室 広報グループ)

 

島田昌之准教授と大分県農林水産研究指導センターの共同研究チームは、ブタの凍結精液を使った人工授精法を確立し、6月24日、この研究成果を記者発表しました。今秋、大分県内で、凍結精液の配布をスタートします。

ブタの生産事情

国内のウシの生産は、凍結精液を使った人工授精によるものがほとんどなのだそうです。ブタも、生産の3割は、新鮮な精液を使った人工授精によるもので、あとの7割は自然交配なのだとか。
しかしこれまで、“凍結精液”では安定した結果を出すことが難しく、これを使った人工授精は導入されていませんでした。

国内の養豚の生産額(凍結精液の市場規模)

安定した結果を出せない。大分県農林水産研究指導センターも、その課題にぶつかっていました。「ある豚ではうまくいくのに、別の豚ではうまくいかない。そうかと思えば、同じ豚でも、ある日はうまくいくのに、別の日はうまくいかない。どうしてなんでしょう?」。同センターの岡﨑哲司研究員が、大学の先輩である島田准教授に相談を持ちかけました。それが、今回の研究の始まりでした。

島田准教授の専門は、分子生物学と内分泌(ホルモン)学。人間や動物の卵巣や卵子が研究対象です。特に最近は、人間の不妊治療の研究に取り組んでいたそうです。「なぜうまくいかないのか?分子生物学、内分泌学の観点から、その理由を突き止めてみせる」。島田准教授らは、工夫を重ねました。
そして、いくつもの課題をクリアし、5年の歳月をかけて、安定した結果が出せる方法を生み出したのです。

 

“凍結精液”が利用できると-未来の食を支える生産システムへ

ところで、人工授精に「凍結精液」が利用できるようになると、どんなメリットがあるのでしょうか?

凍結精液は、液体窒素の中(-196℃)で半永久的に保存できるため、口蹄疫などの伝染病が蔓延したときでも、貴重な純血種の遺伝子やブランド豚の遺伝子を維持することができます。また、精液を液体窒素のタンクに保管しておけるので、雄を飼育する必要がありません。さらに、精液を解かせばすぐ使えるので、雌が発情したときに、すぐに精液を注入できます。よって、低コストで計画的な生産が可能となるため、養豚農家の経営を助けることにもなります。

つまり、凍結精液が利用でき、その実用化が全国に広がることは、日本の養豚業を効率的で安定した生産システムに転換させることにつながるのです。これを島田准教授は、「次世代型のブタ生産システム」と呼んでいます。

凍結精液の保管タンク(写真:大分県提供)

島田准教授らの技術-その工夫と今後の展開

さて、ここから、島田准教授らが考えた方法を紹介します。

(1)雄豚から精液を採取
(2)精子を精液から分離・・・「精子」と「精しょう」(液体部分)に分ける
(3)(2)で分離した精子を凍結保存
(4)(2)で分離した精しょうを人工合成する
(5)(3)の精子を解凍し、(4)と混ぜ合わせ人工授精

 

課題その1-元気な精子をキープできるように

凍結精液を利用する場合、精液をいったん凍結して、その後、解かして常温に戻す必要があります。こうした温度変化に耐えるためには、精子は元気でなくてはいけません。

しかし、採取した精液をそのまま放っておくと、肝心の精子が弱って死んでしまうのです。何が精子を弱らせるのか?島田准教授は、これを突き止めました。
実は、精液の液体部分である「精しょう」に含まれる悪い因子が、精子を弱らせる原因だったのです。「精しょう」が悪さしないためにも、採取した精液から、急いで(15分以内!)、「精しょう」を取り出す必要があったのです。さらに、悪い因子の毒性を中和する物質を加えることも大切なポイントでした。

こうして島田准教授は、採取した精液を、遠心分離機で「精子」と「精しょう」に分離し、その精子を凍結することで、元気な精子を保存できるようにしました。

しかし、課題はまだ残っていました。元気な状態で凍結保存しても、解かすときに弱ってしまうのです。
実は、解かすときの温度上昇で、精子の細胞膜の性質が変化し、カルシウムをたくさん取り込むようになってしまうのです。これに気づいた島田准教授は、カルシウム吸着剤を使って、この現象を阻止することに成功しました。

こうして、元気な精子を凍結保存し、元気なままで常温に解かす技術を確立しました。

 

課題その2-受精に必要不可欠なものをだけを加えた「人工精しょう」を開発

島田准教授らは、また壁にぶつかりました。精子を元気な状態で凍結保存して解かすことができたのに、人工授精しても、卵子と受精はするのですが、そのブタが妊娠しないのです。なぜ妊娠しないのか?この理由を突き止めたのも、島田准教授でした。

実は、凍結保存する前に、精液から分離させた精しょうは、受精卵が子宮に着床し、胎盤を作って妊娠が成立するために必要不可欠だったのです。この精しょうの働きは、子宮の中の白血球の数が増えるのを抑えるというものでした。受精卵が着床するとき、母胎の中で、受精卵を“異物(非自己)”として攻撃しようとする作用が起こります。この攻撃を抑え、着床を円滑に進めることが、精しょうの役割だったのです。

では、精しょうの中にあって、着床を円滑に進めるものは何だったのでしょう?それを発見した島田准教授は、「実は偶然の結果からたどり着いたんです」と次のように説明してくれました。

「受精卵が異物、ということは、『子宮の中に臓器移植をしたのと同じだ』という考えが浮かびました。それで、『臓器移植の時の拒絶反応を抑えるために使われる免疫抑制剤は何だろう?』と調べてみたんです。そうしたら、それが以前、別の研究で、精しょう中の濃度測定をしていた『コルチゾール』でした」と。

精液から精しょうを分離したときに、この「コルチゾール」も一緒に取り除いてしまったのですから、当然、着床するわけがありません。取り除いてしまった「コルチゾール」を戻した「人工精しょう」を開発し、精子と混ぜ合わると、受精卵は着床し、一回のお産で、自然交配並みの10匹以上の子ブタが誕生しました。

 

さらに精度を高める努力を!

島田准教授らは、凍結精液を作って養豚農家に提供するベンチャー企業を立ち上げようと考えています。
養豚農家から精液を入手し、これを凍結精液にして、養豚農家に返すというビジネスです。

「ここでも課題があるんです。採取した精液は、本来であれば15分以内に精子と精しょうに分離しなきゃいけませんよね。でも、養豚農家ではそれができない。それができる場所まで、輸送しなければいけません。だけど、その間に精子は弱ってしまう。この課題をどうクリアすればいいのか、今その方法を考えています」と島田准教授。研究成果を発表した後も、実用化の推進に向けて、着々と歩みを進めています。

 

「人生で最大の努力を」「確信せよ」

島田准教授は、日々、学生たちにこのように伝えています。「自分に何が向いているかなんて、とことん打ち込んでみないとわからない。学生時代は、これ以上ないってくらいの努力を、何か一つでいいからしてほしい」と。「今回の研究成果も同じです。共同研究員で、後輩にもあたる岡﨑君が、寝る間も惜しんで取り組んでくれたから。彼のがんばりの結晶なんです」

自身も、その姿勢を貫いてきた島田准教授。もともと「自分の目で見て確かめたことしか信じない。“確信したい”という気持ちが強い」気質なのだとか。大学3年生のときの授業で、分子生物学にどっぷりハマり、「細胞の世界で疑問を追求したい」という姿勢に拍車がかかったそうです。「“動物”そのもの よりも、“細胞”に興味を持ったんです。だって、動物が生きているのは、細胞が働いているから」

「興味のあるものには、とことんのめり込みます」と話す島田准教授

「興味のあるものには、とことんのめり込みます」

今回の研究成果も、ブタ個体ではなく、「細胞」に着眼したことが勝因だったと言います。「個体は、体調や環境の影響を受ける。それは結局、細胞の働きが持たらしているもの。だったら、細胞を調べた方が、どの個体にとっても均一な解答が得られると思うんです」。

「人工」授精の成功の秘訣は、「自然」の原理に立ち返った結果なのかもしれません。

イメージ画:生物圏科学研究科 隠善さん

あとがき

「なぜ?」「どうして?」を大事にする島田先生。筆者の疑問にも、わかりやすく丁寧に答えてくださいました。取材はあっという間の2時間で、「へぇ」を何度連発したことか。
口蹄疫のニュースなどを目にして、日本の「食」が直面している危機を、今さらながら感じていた筆者。日本の食卓は、先生のような研究者の方々によっても支えられているのだなと感じました。(M)


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