第41回 井戸川 豊 准教授(大学院教育学研究科)

日本伝統工芸展で最高賞を受賞!20年かけて築き上げた“いま”を表現する陶芸作品

井戸川 豊

大学院教育学研究科造形芸術教育学講座 井戸川 豊(いどがわ ゆたか)准教授

に聞きました(取材:広報グループ 2015.9.30)

はじめに

陶芸における表現技法の研究と工芸教育が専門の井戸川先生。大学で教育・研究に情熱を注ぐかたわら、季節の野菜を描いた食器やつぼなどの陶芸作品を制作しています。第62回日本伝統工芸展(※)では、1,610点もの作品の中から、カイワレ大根を描いた「銀泥彩磁鉢(ぎんでいさいじはち)」が、最も優秀な作品に贈られる「高松宮記念賞」を受賞しました。

受賞式であいさつする井戸川先生

陶芸家の多くはプロに進む中、研究者・教育者としての道を選んだ井戸川先生。作品の魅力はもちろん、研究者・教育者としてのやりがい、受賞作ができるまでの苦労、今後の目標などについてインタビューしました。

(※)日本伝統工芸展は、公益社団法人日本工芸会が文化財保護法の趣旨にそって、昭和29年から毎年一回開催しています。歴史上・芸術上価値の高い工芸技術を保護育成するために開催される国内最大規模の公募展で、陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・諸工芸の7部門に分かれています。

 

銀の光沢で包み込まれた器に、カイワレ大根を絵付け

制作は、まずデッサンから始まります。カイワレ大根の微妙に異なるラインを一本一本丁寧に描いていきます。次に、デッサンしたカイワレ大根の葉や茎に色をのせ、茎には金泥(金を粉末状にして水で溶かした絵具)を塗ります。その理由について、先生は「金を使うと、焼き上げたときに“透明感のある白色”が出るから」と説明します。伸びやかで、みずみずしいカイワレを印象づける大切な色です。さらに、器の表面に銀泥(銀を粉末状にして水で溶かした絵具)を塗り、窯で温度を調整しながら焼き付け、作品は完成します。このように、器に銀泥を塗る技法は「銀泥彩磁(ぎんでいさいじ)」と呼ばれ、受賞作品の名にも使われています。銀の光沢が美しさを感じさせ、作品の魅力をひき立てます。

受賞作品:銀泥彩磁鉢

受賞作品:銀泥彩磁鉢 (直径41cm)

新たな試み!“カイワレ独特のカーブ”を器の側面で表現

受賞作品の大きさは、直径41cm。私たちが日常生活で使う器と比べて、随分と大きく目をひきます。「新しい試みであり、一番こだわった部分」と先生が語ったのは、器の側面のカーブです。単純なカーブではなく、カイワレの茎の形をなぞるようなカーブを描いています。「カイワレの茎には丸みを帯びている部分があって、シャキっと真っすぐしていない。デッサンだけでなく、器のラインでも“カイワレ独特のカーブ”を表現したかった」と先生。オリジナリティ溢れる形でカイワレの持つ魅力を存分に引き出し、柔らかい印象を与える器が完成しました。

カイワレのカーブを描いた側面

カイワレのカーブを描いた側面

「デザインを考えるだけでなく、形も作らないといけないのが、焼き物。どんな形にするのか、形をあれこれ考えて作っていくのも焼き物の魅力の一つですね」と先生は語ります。絵を描いたり、窯で焼き上げたり、焼き物を作るにはさまざまな工程があります。その中でも先生は「形を作る=ろくろを回すときが一番楽しい」と言います。「ろくろをひくのは、スポーツに近いですよ。体を使って作り上げていく感覚が好きですね」。

 

デザインのモチーフは、身近な野菜

今回の受賞作に限らず、先生の作品の多くは「野菜」を題材としています。「花を描く人は多かったけど、野菜を描いている人は少なかったからね」と先生。試しに一度描いてみた野菜の作品の評判が良く、その後、トウガラシ、トウモロコシ、ホオズキ、ブロッコリー、アスパラガス、イチゴなど、さまざまな種類の野菜をモチーフとした作品を生み出してきました。

トウガラシとトウモロコシ

ホオズキとブロッコリー

第8回現代茶陶展・TOKI織部大賞作品「銀泥彩磁かいわれ文向付」

インスピレーションの宝庫、道の駅

良い作品を生む要素として、先生は「アイデア」「素材」「技術」の3つを挙げます。「素材」を適切に扱うには十分な知識が必要とされ、「技術」は長年の鍛錬によって身につくもの。それでは、先生はどうやって作品の「アイデア」の発想を得ているのでしょうか?答えは身近な場所にありました。

産地直送の野菜が並ぶ、道の駅。先生がよく足を運ぶ場所です。「そこに行けば、季節の旬な野菜を見ることができます。道の駅に置いてある野菜は個性豊かですよ。サイズが大きく、ゴツゴツした“採れたて感”もありますしね。通常、店に出るときにはカットされる房や根がそのまま残っていることもありますよ」と先生。面白い表情の野菜がゴロゴロ。先生にとって、道の駅は“インスピレーションの宝庫”です。野菜を購入した後は、色が変わらないうちに、スケッチへ取りかかります。カイワレ大根はすぐに色が変わってしまうため、新鮮な色味を表現するのに苦労するそうです。

もうひとつ、野菜を描く上で重要なポイントとして、先生は「構図」を挙げます。同じ野菜を題材としても、絵の位置や描く数によって印象は大きく変わるからです。「例えば、真ん中に一つだけ野菜を配置すれば、ズッシリした重みを表現できます。一方、同じ野菜を何個も並べて描くと、かわいらしさを加えることができます。気をつけているのは、主役となる野菜が一番よく映える構図にすること。主役が良ければ、演出はあまり必要ありません」と先生は極意を語ります。

研究室のデスクに並ぶ画材道具の一部

人に与える“工芸のチカラ”の偉大さ

「焼き物には鑑賞する楽しみもありますが、実際に使えるのが良いところですね」と先生。購入していただいた作品は、飾ったままよりも、使っていただく方がうれしいそうです。先生自身も「作った物が、使える」ということに愛着を感じ、陶芸の道に進みました。しかし、大学院を修了して間もない頃は、「作品があまり評価されず、何度も辞めたいと思っていた」と先生は言います。そんな時期、今後も陶芸を続けたいと思える出来事が起こりました。

先生の個展へ頻繁に足を運ぶ、収集家の年配男性がいました。「知名度のない時期だったのに、その方はよく私の作品を買ってくださいました。しかし、ある日、その男性の奥様から『主人は骨になって先生の作品に入りました』と訃報の連絡がありました。男性は私が作った茶道で使う水指を生前に購入されており、その水指を骨壺にしてほしいと奥様に頼んでいたそうです」と先生は当時を振り返ります。

この出来事は、先生が工芸の素晴らしさをあらためて感じ、制作を続けていく原動力となりました。「この作品があるから、『生きるのが楽しい』『死ぬのも怖くない』とまで思える。言葉にはできない偉大なチカラを、人に与えることができる。これこそが工芸の素晴らしさではないでしょうか」と先生。

このエピソードには続きがあり、その後、男性の奥様から先生へ再び連絡が入りました。その内容は、「私が亡くなった時、主人といっしょに入れる大きな骨壺を作ってほしい」というものでした。

工芸のチカラについて語る井戸川先生

生きている“いま”を表現する、それが伝統工芸

思うような色がでなかったり、窯の中で作品が割れてしまったり、昔も今も制作における苦労は絶えません。また、作品がようやく完成しても、評価されるとも限りません。「20年くらいでしょうか、今の作風にたどり着くまでにかかった時間は。試行錯誤しながら、少しずつやり方を変えて、積み重ねた結果で今に至ります」と先生。そんな先生が20年以上にわたって貫いてきたモットーは、“いま”を表現すること。「私が作っているのは伝統工芸ですから、伝統的な技法に基づいていないといけません。ただし、それだけでは不十分。私たちが生きている“いま”、この瞬間を作品で表現し、伝えることが伝統工芸の役目だと考えています」と先生は力を込めます。

作品を見つめ、モットーを話す井戸川先生

大学教員・研究者であることの醍醐味

陶芸家のみならず、教育者・研究者としての一面も持つ井戸川先生。学生と接することで若い感性に触れたり、彫刻、絵画や美術史など他分野の先生との会話から新しい視点に気づいたりと、「大学にいるメリットは大きい」と先生は話します。制作や表現法のみならず、工芸論など、座学の講義も受け持ちます。「講義資料の準備などをすると、考え方が整理されます。ときには論文としてまとめることもありますね。大学教員でなければ、講義をすることも、論文を書くこともなかったでしょう」と先生。制作に割ける時間は少なくなりますが、糧となり、視野が広がるそうです。

先生が授業や学生への指導で気をつけていることは、学生自身の感性を大切にすること。「技術が伴わなければ、アイデアを形にするのは難しいです。だから、技術面のサポートは当然しますが、『ああしなさい、こうしなさい』とは言いません」と先生。学生とコミュニケーションを取りながら、個人のオリジナリティを尊重した教えを意識しています。

 
工芸の魅力を、次の世代へ伝えたい

銀泥を使った作品は、年月の経過に伴う変色があります。「変色を抑えるためにはどうしたらよいか、考え中です。医歯薬系や工学系の専門家の意見も取り入れられたら」と先生は腹案を口にします。さらに、今後の目標についてこう続けます。「『伝統』の『統』という漢字には、“良いこと”“素晴らしい”といった意味もあるそうです。作品や授業・研究を通して、次の世代に工芸の魅力を伝え、良さや素晴らしさを次の世代につなげていきたいですね」と笑顔で話してくれました。

研究室にはこれから完成する、途中段階の作品が数多く置かれています

あとがき

描く野菜についての話になったときのこと。「『さくらんぼ』『ごぼう』は題材として、どうですか?」と私の思いつきを投げかけてみました。すると、「それも面白そうですね!ただ、イチゴなどと比べると表情が少ないかもしれませんね…」と、素人の意見にも丁寧に答えてくださった井戸川先生。取材中は終始優しい口調。優しい人柄の先生が語る“工芸の世界観”にすっかり魅了された取材でした。(i)


up