第17回 バグス・ヘルランバングさん(インドネシア)

たくさんの人を助けたい!

名前:バグス・ヘルランバング
国籍:インドネシア
研究:Spinal cord protection against ischemia-reperfusion spinal cord injury during thoracoabdominal aortic aneurysm surgery
所属:医歯薬学総合研究科 展開医科学専攻 病態制御医科学講座外科学(心臓血管外科)
趣味:コンピューター・ソフトウェア

今回は初めて霞キャンパスの留学生へのインタビューとして、医歯薬学総合研究科博士課程のバグスさんにお越し頂きました。今日はインタビューを受けて頂きありがとうございます。日本に来られてから、広島市にお住まいなのですか?

はい。でも2006年の10月から2007年の3月までは研究生だったので、広島大学国際交流会館に住んでいました。日本語研修コースが終わって3週間だけ帰りましたが、2007年4月からここ(霞キャンパス)で研究を始め、その年の10月から大学院生になりました。もうすぐ4年生になります。

日本の大学の医学部や大学院に留学する人はそんなに多くないのではと思いますが、どうして日本に留学したいと思われたのですか?

インドネシアでは日本はいい国というイメージがあります。インドネシアでの大学の先生も先輩も以前日本に留学していました。だから学生の頃から日本に留学したいと思っていました。卒業して3年間くらい働いて、日本政府の奨学金を申請し、試験を受けて合格しました。それに、広島大学には有名な心臓血管外科医がいらっしゃるとインドネシアで聞いていました。広島大学の脳神経外科の学生だった先輩から教授に紹介してもらって留学することになりました。

バグスさんは日本に来られる前、インドネシアで既にお医者さんだったのですか?

はい。大学病院で働いていました。さらに研究もしていて、ヤングアシスタントと呼ばれる大学の先生としても働いていました。インドネシアにはヤングアシスタントがたくさんいます。

インドネシアのどこの大学を卒業されたのですか?

出身はジャワ島のジャカルタなのですが、大学は中部ジャワのスマランにあるディポネゴロ大学でした。ディポネゴロ大学は今年(2010年)4月に学長が広島大学に来られて交流を深めています。

インドネシアと日本では、医療活動や治療方法は同じだと思いますが、施設や設備など環境は違うと思います。そのあたりはどうですか?

基本的には同じですが、病院の施設や機械は日本の方がレベルは高いと思います。インドネシアの病院の多くはまだ新しい機械は買えません。日本にいられることは最新の医療を学べるのでラッキーです。インドネシアでは人口が多いにも関わらず心臓血管外科医はまだ少ないのです。留学の経験を活かし、国へ戻ったらたくさんの人を助けたいと思います。

また、医療制度や法律など病院のシステムが違うと思いますが何か感じられますか?

基本的には同じです。システムが違うのは、日本は健康保険(National Insurance)があります。でもインドネシアにはまだないので、手術にとてもお金がかかります。日本では先生が手術した方がいいと言えば、誰でもすぐ手術を受けることができるでしょう。でもインドネシアでは、まずどれくらいお金がかかるかという質問をします。もちろん裕福な人は問題ありません。彼らは民間の保険があります。今は貧しい人たちには政府の支援があります。でも中間層の人たちが大変なのです。そういうシステムが違うと思いますね。

バグスさんはお医者さんだから日本で医者の免許を取る必要はないのですか?

最初に日本に来た時、患者に触れることはできませんでした。途中で厚生労働省に手続きをして、「外国医師臨床修練許可」を頂きました。一人で治療はできませんが、広大病院の先生がいれば一緒に手術できます。僕は助手として勉強しながら練習しています。

日本の患者さんはどうですか?コミュニケーションとか。

優しい方が多いです。最初はもちろん外国人だから驚かれるけれど話をしたら、「先生は日本語が上手ですね!」とか「頑張ってね。」と言ってくれる方が多いですね。「よろしくお願いします。」とか「大変お世話になりました。」と声をかけてくれます。術前には手術の説明に広大の先生と参加し、先生が僕を患者さんに「インドネシアからの先生で留学にきていて、明日手術を担当します」と紹介してくれます。広大の先生方は優しく、僕はとてもラッキーだと思います。外科だと手術のやり方はおそらくどこでも同じでしょうから、臨床修練はやりやすいと思います。内科だと薬の名前はすべて漢字ですし、ここ(免許)にも書いてあるように、処方箋は出せないので、臨床修練は難しいでしょう。でもどちらにしても、臨床修練は英語と書いてありますが、結局英語だけでは難しいです。手術の時に大出血することもあり得るし、緊急のこともあります。日本人の先生方も英語は上手ですが、その時日本語が分からなかったら一緒に手術はできません。危ないですし手術の時は作業が早いですから。だから一生懸命日本語を勉強しています。

バグスさんはどこで、いつから日本語を勉強されたのですか?

日本に来る前に半年くらいインドネシアの大学の日本語学科で勉強しましたが、初めて日本に来た時は話せませんでした。それで広大の日本語研修コースを受けました。その後もここで日本語の勉強を続けています。毎週土曜日に広島市留学生会館で日本語を勉強しています。授業では今小説を読んでいて一時間半くらいやります。読めない漢字を調べるなど予習しています。

医学だと、日常会話だけでなく、医学用語も覚えないといけないですよね?

そうですね。まあそれは毎日先生方が日本語で話しているから少しずつ覚えています。今はまだ分からない単語がいっぱいあります。特に語彙が少ないです。論文は英語で書きますが、学会で(日本語で)発表させてもらったりして、そうした機会に勉強して少しずつ語彙を増やしています。

日本語で手術ができて、英語もインドネシア語も話せる。しかも医療用語も。すごいですね。

毎日ここで日本語を話しているので日本語が上達していくのだと思います。もし僕は英語しか使わない研究室で勉強していたら、日本語がうまくならないかもしれません。

バグスさんはインドネシア語の他にジャワの言葉も話されるんですか?

そうですね。ジャワ語ですね。でも僕はジャカルタで生まれましたから、ジャワ語は少ししか話せないです。たぶん日本語と同じくらい(笑)。ジャワ語も難しいですからね。日本語のように敬語もあるし。人によって話す言葉も違います。

スマランの言葉は?

スマラン弁もありますが、ジャワ語です。ジョグジャカルタとか他のジャワの人には通じます。少しだけ違いますがほとんど一緒です。でもジャワ人はこの人はスマランから、この人はジョグジャカルタからとか方言で分かります。

広島弁はわかりますか?

ちょっとわかります。「わからん」とか。「じゃけん」「広島弁じゃけわからん」とか。(笑)     

本当に日本語が上手です。ところで今はどういう研究をされているのですか?

心臓血管外科です。大動脈手術の時、大動脈を遮断します。その手術の後によく足が麻痺して、時々なぜか動かなくなるのです。脊髄に流れる血液は大動脈からきます。大動脈から枝がでていて、脊髄に血液を送ります。でももし大動脈を遮断したら脊髄が虚血になります。僕の研究は「大動脈を遮断しても麻痺が残らない。」という研究です。

どうして麻痺しないのですか?

薬を遮断した部分に注入します。その薬で脊髄(spinal cord)を保護できます。もうひとつは冷やすことです。温度を下げたら(25度まで)、メタボリズムも下がる。簡単に言ったら壊れにくい状態になります。普通はこの脊髄の中に細胞があります。その細胞には生きていくために血液がいります。血液の中に食べ物とか酸素が入っていますから、細胞は生きていけます。虚血の時にどうやってこの細胞を生きている状態のままキープするのか、2つ方法があります。一番いいのはこの中に血液を送ることです。どこからか血液を送ります。その時に酸素も栄養になるので送ります。それができなかったら脊髄のメタボリズムを下げることです。例えば、人間は食べ物がいります。でも 断食しているときにどうやって元気でいれるか。可能なら何か食べるか飲みます。それが不可能なら自分の動きを減らすことができます。あまり無駄な動きをせず、我慢して静かにして元気でいれるようにします。これと同じです。25度まで下げると細胞の動き、状態を静かにします。冷蔵庫みたいな感じです。食べ物を冷蔵庫に入れると長持ちするでしょう。そういうやり方を今研究しています。

なるほど!おもしろい研究ですね。すごく分かりやすい説明で勉強になりました。そうした研究で普段は忙しいと思うのですが、研究以外ではどういうことをされていますか?

ホームステイクラブに参加しています。広島国際ホームステイクラブのパーティーが時々あって、日本の文化に触れる為に、週末や年末にホストファミリーの家に泊まったりします。あとは、音楽ですね。僕はバイオリンを弾きます。他は、パソコンが大好きなので、パソコンがあれば他のことは忘れてしまいます。最初は一人で日本に来たけど、去年の10月から妻も(広島大学に)留学して一緒に住んでいるので、今は寂しくないですよ。妻は眼科で勉強しています。

バグスさんも何度かホームステイをされたのですか?

週末ホームステイに行くことがあります。妻と僕はラッキーなことに同じホストファミリーなので、そこに泊まります。優しい家族です。インドネシアから日本に戻って来た時にインドネシアの伝統的なお土産を持って帰ってきてインドネシアの文化を紹介したりします。それ以外には、2008年に私たちは在広島インドネシア留学生協会と日本人の方と一緒に、日本インドネシア文化交流というパフォーマンスをしました。Cultural exchangeですね。

週末はどこに行かれるのですか?

まあ近いところに行きます。友達と一緒に行ったりもします。花見とか、夏は宮島の花火大会に行きました。観光も時々します。でも平日は無理ですね。あと、今僕は日本人にインドネシア語を教えています。それは牛田公民館で週1回インドネシア語講座をやっています。

研究にプライベートに本当に充実した毎日ですね。もっとお話したいのですが、時間が来てしまいました。今日は本当にありがとうございました。楽しかったです。

そうですね。時間が経つのは早いですね!

Photo Gallery

奥様と原爆ドームで。

奥様と原爆ドームで。

広大病院でインドネシアの心臓外科会長と奥様と。

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広島国際ホームステイクラブパーティーで奥様と演奏。

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