「みんなと同じじゃつまらない」
名前: シバクマール・ディネシュクマール
出身: インド
所属: 工学研究科機械システム工学専攻(M2)
趣味: 旅行、コンピュータゲーム
(2015年10月15日にインタビュー)
出身地について教えてください。
僕の故郷はティルチラーパッリ市(Tiruchirapalli)、略して「ティルチ」または「トリチ」とも呼ばれ、インドのタミル・ナードゥ(Tamil Nadu)州に属しています。タミル・ナードゥはインドの最南端の州で、スリランカのすぐ近くです。
ティルチの名物といえば、ムルック(murukku)というスナック菓子。加えて、ティルチはインドの教育・宗教における最重要拠点の一つです。たとえば日本では仏教のお寺と神社が近接していることも珍しくありませんが、インドではヒンドゥー教寺院、キリスト教会、イスラム教のモスクといった宗教施設が並んでいる様子は滅多に見られません。その点、僕の町は非常に特殊で、これら3つの異なる宗教施設を同じ景色の中に見ることができるのです。
タミル・ナードゥ州全体についてお話しすると、「タミル」(Tamil)とはその州で話される言語の名称、「ナードゥ」(Nadu)はタミル語で国を意味します。だからタミル・ナードゥ。ちなみに僕たちの母語タミル語は、現在も生き残っている数少ない古典言語の中でも最古のものの一つです。
タミル・ナードゥでは料理も、そして人々の味覚も独特です。近年ファストフードの文化はインドにも浸透しつつありますが、僕の見たところ、インド人には南インド風の料理が最も好まれるようです。一口に「カレー」と言ってもそのバリエーションは無限大。しかもその一つ一つが実に個性的です。インドで売られているファストフードの味さえもインド独特の工夫が施されています。実際、僕はインド・日本の両方で同じ有名ハンバーガーチェーンのものを食べ比べてみましたが、両国ではメニューも使われている香辛料もまったく違います。スパイスの効いたインドの味付けに対し、日本の物はスパイシーではありません。このように、インド人にとってスパイスは食の要ですが、もちろん甘い物も好まれます。特にグラブ・ジャムン(gulab jamun)、ラスグッラ(rasgulla)、ラドゥー(laddu)といったお菓子は全国的に人気があります。
食文化以外にも、インドには様々な娯楽があります。代表的なのが、映画。州ごとに言語の違うインドではほとんどすべての州に独自の映画産業があり、それぞれの地域から配給される映画を見るだけでインドのあらゆる言語を学べるほどです。
インド映画というと、歌とダンスが盛りだくさんですね。あんなにダンスシーンが多いのはなぜでしょうか。
なぜって、インド人は踊るの大好きだからですよ! 昔から踊りや音楽は僕たちの重要な文化として深く根付いていて、だからこそ映画においてもそれらが欠かせない要素となっていったのでしょうね。実際、どの言語で作られた作品にもダンスと音楽がふんだんに盛り込まれています。インド映画の神髄といっても過言ではないでしょうね。
インドの人は、数学に強いとも聞きますが。
生来の適性にもよりますが、近年、インドの子供たちの多くは算盤(そろばん)を教える学校に通っています。そうすると、小学3年生の子どもでも算盤を使って膨大な計算をこなせるようになります。珠をはじいて計算するだけの道具ですが、これに熟達すれば算盤を使わなくても指だけでどんな計算もできるようになります。おそらくはこれが、インド人は数字に強いと言われる所以ですね。実際、インド人の多くが大人になってからも数学を得意とするのは、そういった子どもの頃からの教育環境によるところが大きいと思います。
そして、インドは人気観光スポットの宝庫でもありますね!
そうですね。インドには近年、日本人観光客が多く訪れます。まず人気なのはダージリン(Darjeeling)、インドの首都デリー(Delhi)、タージ・マハル(Taj Mahal)で有名なアーグラ(Agra)、「ピンクシティー」の異名をとるジャイプル(Jaipur)。ゴールデン・テンプル(黄金寺院)で有名なアムリトサル(Amritsar)、この寺院はシク教の総本山です。そしてインド屈指の大都市にして経済の中心、ムンバイ(Mumbai)。その他にも見どころは尽きませんが、以上が北インドのおすすめトップ6です。
一方、スパイシーフードの本場である南インド。中でもタミル・ナードゥ州の州都で僕の大学の所在地でもあるチェンナイ(Chennai)は、世界で2番目に長いといわれるマリーナビーチ(Marina Beach)を筆頭に観光の見どころが盛りだくさんです。そしてもちろん、僕の故郷ティルチもお忘れなく。その他にも、数々の美しい風景が魅力ののどかな州ケーララ(Kerala)。ケーララにはボートで運河を渡って行けるヴァチカンに似た町があります。そして、カルナータカ州(Karnataka)の州都でありインドのITハブとして名高いバンガロール(Bangalore)。アーンドラ・プラデーシュ(Andhra Pradesh)とテランガーナ(Telangana)という2つの州の州都であるハイデラバード(Hyderabad)は南インド屈指の大都市。これらもぜひ訪れていただきたいですね。
ディネシュさん、なぜ日本を留学先に選んだのですか。
僕が留学先を選ぶにあたっての条件は、まずその国の教育が優れていること、そして、多くのインド人が選びがちな欧米の国ではないこと。機械工学を志す者にとってはあまりにも定番の留学先ですからね。みんなと同じじゃつまらない。言葉の壁はあるけれど、日本はその業績・教育ともに他国に決して引けをとりません。だからこそ思い切って挑戦してみようと思い、日本に決めました。
広島大学への入学にあたって、どのような準備をしましたか。
僕は一般の留学生のための入試ではなく、広島県グローバル人財育成事業というプログラムを通じて留学しました。僕の母校と広大の間には協定があって、それは広大がアジア諸国から留学生を受け入れるというものです。毎年アジアから5人が選出され、広大の修士課程で工学を学びます。このプログラムに興味をもった僕は直ちに応募しました。広大の担当の先生がインドに来られ、選考のための面接が行われました。その結果、僕が選ばれたというわけです。
広大に来て、キャンパスを見たときの印象は?
緑豊かな木々がそびえ立つ平和的な眺めに息をのみました。僕の母校は広大のキャンパスと同じくらいの広さで森もあるけど、各学部の建物がひしめきあい多数の人々がせわしなく行き交う場所で、広大とはまったく趣が違います。その点、ここは自然の恵みが人工の建物をその存在感において圧倒しています。おそらくは、建物が敷地内にバランス良く配置されているおかげでしょうね。特に僕が来たのは紅葉の季節でしたから、生まれて初めて目の当たりにする、この世のものとは思えない静謐な眺めに感動しました。木々の葉が黄色、栗色、グリーンに見事に色づいて。紅葉を見たのもあの時が初めてでした。僕を出迎えてくれたあの素晴らしい風景は、今も目に焼き付いています。
専門の機械工学について少し聞かせてください。
インドでの専攻は製造エンジニアリングでした。広大での専門は主にプロセス(製造過程)に関するもので、実際に何かを製造する研究とは別物です。具体的には、産業におけるアルゴリズムとか、資材管理などを研究しています。わかりやすく言うと、いざ資材が投入されたらそれを最初はどの機械に通すべきか、その次はどの機械にするか。さらには、仮にその手順を変更した場合、作業効率がどれだけ向上するか。それによるコスト削減効果の有無とその詳細について。
製造業において、効率性は欠かせないものですね。
その通り。それこそがまさに製造部門における究極要素といって過言ではないでしょう。今のところ、産業における生産計画とジョブスケジューリングが僕の主たる研究テーマです。もっと詳細に話したいところですが、ここから先は難しい話になってしまうので。
ありがとうございます。さて、広大で講義を受けての印象はどうですか。
とても満足しています。広大の先生方は、講義中も僕たち学生と積極的にコミュニケーションを図り、学生の自由を尊重してくださいます。インドでは、学生は与えられた課題を講義の中でこなさなくてはなりません。講義の終わりに質疑応答があり、それから課題解決のセッションがあります。しかしここでは講義について十分に考える時間が与えられ、レポートを書いて提出するのは講義直後ではなく後日です。ここがインドと違います。
また、インドでは成績評価も試験に基づくものでしたが、これまでに僕が広大で受けた評価を見るかぎりでは、ここではレポートの出来ばえが重視されるようです。そのおかげか、学生たちは単に膨大な情報を暗記することよりも、より概念的な学習に力を入れることができていると思います。そこが広大の素晴らしいところだと思います。
日本の学生についてどう思いますか。
楽しいことが大好きな反面、律儀に時間を厳守しますね。たとえばパーティーを開くときも常に時間ぴったりに開始します。これは凄いことです。もちろんインドでもビジネスの場では時間にしばられますが、友だち同士で行動するときは結構アバウトです。ところが日本では、特にどうってことのない集まりの時でさえ全員が時間どおりに集合します。2分後といったら2分後、1秒の誤差もなく(笑)。
授業態度に関していうと、日本の学生たちは凄く優秀なのに、教室では引っ込み思案だと思います。あまり自分から話そうとしない。質問や発言をしたい時も、授業が終わってみんなが引きあげるのを待って先生だけに話しかけている。あまりインドでは見かけない不思議な光景です。言いたいことがあれば何でも言うのがインドでは普通ですから。なのに、日本の学生はシャイだし、クラスでのディスカッションでもあまり積極的に参加している様子はみられませんね。
なるほど。ところで、広島大学全学留学生会(HU-ISA)の活動にも携わっていますね。活動内容はどんなものですか。
この組織は広大の全留学生が交流するためにつくられたもので、発足してわずか一年です。ここ広大には以前から韓国人留学生会や中国留学生学友会といった留学生組織がありますが、このHU-ISAは広大の留学生なら誰でもメンバーになれます。主な活動としては、留学生と日本人学生の交流を推進するためのバスツアーを学期内に一度行いますし、3月にはお花見も開催しました。それに前回の「ゆかたまつり」ではブースを出して各国の伝統的衣装・ゲームといった様々な文化の紹介をしました。この組織のモットーは、まず留学生間の結束を高めること、そして日本人学生や社会との交流です。僕は前学期で副会長をつとめた後、今学期になって会長に任命されました。
日本に来たばかりの頃、カルチャーショックを経験しましたか。
それはもう何度も。たとえば日本ではアニメ・漫画文化が凄く発展していますね。40、50代の人が電車内で漫画を読んでいるのを見かけますが、インドではまずありえない光景です。15~16の子がまだアニメを見ているなんて言うと、子供みたいだと言われますから。しかし日本では年齢に関係なく漫画を愛好する人が多い。僕の研究仲間でさえ、研究室に漫画本のコレクションを置いているくらいですから。その上、学内にもアニメ関連のサークルがいくつかあると聞いてさらに驚きました。これは、日本に来て受けた最も特筆すべきカルチャーショックの一つです。
もう温泉には行きましたか。
はい。これもまた大きなカルチャーショックでしたね。インドばかりかおそらく他の国でも、知らない人の前で服を脱ぐというのは滅多にないことですから。初めて行ったときは、やはり温泉は初めての友人たちと一緒だったのですが、服を脱いで入っていく時とても戸惑いました。でも家族連れなどでよく来ている日本の人たちは慣れているせいか、みんな平気で。しかし僕たちにとっては初めてだから気まずくて。けど次からは徐々に慣れて平気になりました。これは単に習慣・文化の違いにすぎないのだとね。
ディネシュさん、インドに留学を希望している日本人学生にアドバイスをお願いできますか。
まず日本の学生に必要なのは、最低でも英語の基本会話をマスターすることだと思います。多言語国家であるインドでは、国内の他の州、たとえそれが自分たちのすぐ隣の州の言語であっても、まったく話せないという人が珍しくありません。しかし幸いなことに、私たちには英語という全国を網羅する共通言語があります。なので、英語さえ話せれば言語の異なるどの地方の主要都市でもやっていけます。
加えて、インドのほとんどの教育機関では授業が英語で行われますから、インドをはじめとする外国で学ぶ日本人にとって重要なのはやはり英語だと思います。それに、専門知識や学力においては、日本人もインドの学生たちに決して負けていないと思いますよ。
学習態度についてはどうですか。「もっと積極的に」?
「もっと自分をアピールして」。自分が学びたいことにもっと貪欲になること。もじもじしていてはだめですよ。さきほどもお話ししたように、教室ではもっと積極的に自己を主張できなければいけません。日本人は声を上げて主張するのを恥ずかしがりますが、インドではそのような態度は通用しません。インド人は人と出会うのが大好きで、外国人は特に歓迎されますから何も遠慮はいりません! あなたの意見を堂々と述べてください。
次に、日本への留学を考えているインドの仲間に助言をお願いします。
インド人なら、日本に来てからでも自然に日本語をおぼえられると思います。インドと日本の言語はよく似ていると思うので。そのせいか僕も基本的な日本語をあっというまに習得できました。というわけで、インドの皆さんにはぜひ日本をおすすめしたいのですが、大多数のインド人は日本の良いところを知らないから、言語の違いに戸惑ってあまり日本を選ばないんですよね。しかし、ここではマイナスよりもプラスになることのほうが断然多い。他の国に留学した友だちともよく話すけど、彼らの経験と比べても、日本人は親切で面倒見のいい人たちばかりだなと思います。日本の文化も素晴らしいですしね!
最後の質問です。将来の夢はなんですか。
いつか製造企業のCEO(最高経営責任者)になりたいというのが僕の夢です。自分の会社を立ち上げてもいいし、既存の企業に就任するのもいい。僕はまだ企業で働いた経験がないので、今はそれ以上のことを思い描くことができません。それでも3~4年の内にはもう少し長期的な目標を立てられるかなと思います。いずれはCEOになって、それから先は何をやり遂げるのかをね。
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