第46回 劉 哲さん(中国)

「留学とは、異なる文化に混じること」

名前: 劉 哲
出身: 中国
所属: 大学院文学研究科(2020年4月より、大学院人間社会科学研究科に改組)博士課程後期3年
趣味: 音楽鑑賞、ウクレレ演奏、旅行
(取材日:2021年9月22日)

留学生インタビューバックナンバー

ふるさとは、どんなところですか。

中国、河南(かなん)省の小さな都市、許昌(きょしょう)市から来ました。三国時代には一時的に魏(ぎ)国の首都だったことから、故郷には様々な三国時代のエピソードに因んだ観光地があります。
たとえば、三国志の英雄のひとり関羽(かんう)が、敵将である曹操(そうそう)の捕虜となった時、住居の中で夜明けまで『春秋』という本を読みふけっていました。そんな関羽の勤勉さは後世に語り継がれ、彼の当時の住居は「春秋楼」(しゅんじゅうろう)と名付けられ、今も大切に保全されています。
そして、関羽が主君である劉備(りゅうび)に再び仕えるため許昌を離れる際、曹操は彼との別れを大いに惜しみ、関羽のために用意したマントを渡し、再び自身への恭順を呼びかけました。ところが、関羽はそのマントを刀で掲げ、馬に乗って曹操のもとを去っていったそうです。
どこまでも劉備に忠実な関羽と、才能ある者を敵・味方の区別なく大切にする曹操、この二人の英雄を記念するために、マントが掲げられた場所には「灞陵橋」(はりょうきょう)という橋が架けられ、現在も許昌市の代表的な観光地のひとつとなっています。

広大よりも先に、新潟大学に留学されていたのですね。

はい、大学3年の時に、交換留学生として一年間留学しました。新潟大学の授業では、各国からの留学生と交流ができ、とても楽しかったです。部活では茶道部に所属し、そこで日本の伝統文化に魅力を感じて、大学院は日本の大学に行こうと決意しました。
そして新潟では、冬の厳しさも学びました(笑)。私の通っていた五十嵐キャンパスは、日本海を望む浜辺に近い広大なキャンパスです。雪が20センチも積もった日など、歩きにくくて通学に苦労したことも、日本人学生と同じ授業を受けて、日本語の難しさに四苦八苦した経験も、今ではなつかしい思い出です。

なぜ広大の大学院に留学したいと思ったのですか。

先ほども述べた通り、行くなら日本と決めていました。どの大学にするか迷っていたところ、ちょうど広大に留学経験のある先生が広大を勧めてくださり、それで決意したのです。先生は、広大の先生方は優しいし、キャンパスも広くてとても良いところだよ、と教えてくださいました。

メインキャンパスは「広島」じゃなく「東広島」だけどね、といった情報は?

それは、ここに来るまで知らなかったです! 来てから「あっ」と驚きました(笑)。
でも、私はすぐに東広島キャンパスが気に入りました。学内にある「ぶどう池」の中に小さな鳥居が浮かんでいるのを見て、「かわいい!」と思いましたし、それに、いろんな海外協定校との記念樹を植えてある場所(国際の森)を見て、とても国際的な雰囲気が印象的でした。同じ学内に日本的なもの(鳥居)と国際的なもの(海外協定校との記念樹)が混在していて、広大っておもしろいなあ、と思ったんです。

ぶどう池に浮かぶ鳥居

国際の森

学内の施設について、どう思われますか。

図書館は毎日のように利用します。本を借りに行きますし、書庫も大好きで、よく行きます。(書庫には)穏やかな雰囲気があるし、本に囲まれていると何だか落ち着くんです。
学食で好きなのは、台湾まぜそば! あれ、おいしいんですよね。アジアンフェアの特別メニューですけど、毎年必ず食べに行きます。

広大の授業を受けた感想は?

私は大学院から入学しましたから、ゼミ型の授業が多く、学生数は多くても20人程度でした。ですから、先生や学生同士で活発に意見交換ができて、とても有意義だと思いました。

オンラインで日本語を教えるアルバイトも経験されていますね。実際にオンライン授業を大学で受けてみて、あるいは自身で教えてみて、対面授業と比較してどう思われますか。

私は、オンライン授業よりも対面授業の方が好きです。授業とは、先生が一方的に知識を教えるのではなく、学生との交流も含めてのことだと思います。ですので、教える側としては、オンラインではあまり学生の目線や表情が見えなくて、一人で話をしているみたいで少し心細くなります。
教わる立場でも、対面授業の方が活発な雰囲気になりやすいと感じます。オンライン授業だと、発言したいと思っても、気後れしてしまいがちです。ですから、対面授業の方が私には合っていると思います。
しかし、学会の参加に関しては別です。最近の学会は、感染症拡大防止の観点からオンラインで行われることが多く、私たち学生にとってはむしろ参加しやすくなりました。以前は移動のために時間やお金をかける必要がありましたが、それがなくなりましたので。

現在はどんな研究をしていますか。

大学院文学研究科の比較日本文化学に所属し、中国と日本の言語計画の対照研究をしています。近代以来、両国の共通語、文字、文体などはどのように確定されたのか、両国は言語に対するどのような計画を立てたのか。そういったことに注目しています。

とても難しそうなテーマですね!

そんなことはないです(笑)。私たちにとって身近なテーマです。私たちがこんにち使っている言葉や文字に大きな影響を与えたことですから。
中国でも日本でも、現在使われている言葉や文字は、古代と異なり、近代から改革されたものです。以来、様々な言語案が討論され、戦後に至って政策として確定されました。そして現在も、実際の使用状況による調整が引き続き行われています。

昔、日本語から漢字をなくそう、という案もあったと聞きました。

そう! それも私の研究の一部です。そもそもは西暦1900年くらいに、漢字の全廃を前提とした言語計画が日本で制定されたんです。
なぜそのような案が出たかというと、当時の欧米諸国はアジアよりもずっと発展していて、日本も中国も欧米から学んでいました。日本でも欧米と同様に表音文字であるアルファベットを使うようになれば、難しい漢字を学ぶ必要もなくなり、教育や事務処理もより効率化され、欧米のように発展するのではないかということで、漢字全廃の方針が制定されたのです。
しかし1960年代くらいになると、やはり漢字がないと文書が読みづらくなるなどの理由もあり、国語審議会での激しい討論を経て、最後にあきらめることが決まりました。
そんなわけで、全廃は実現しませんでしたが、日本の漢字も明治、大正、昭和にかけて、使いやすく簡略化されていきました。一方、現代の中国の漢字(簡体字)は、日本のものよりもさらに簡略化されたものになっています。

この研究の魅力はなんですか。

現在は中国と日本の比較研究をしていますが、同じ言語に対する計画でも、中国と日本では考え方や文化の違いがみられ、そこがとても面白いと思います。
それに私は、以前は「国」という概念で物事を考えたことがなかったのですが、この研究を始めてからは、「国」の視野から様々なことを考えるようになりました。それもまた、視野が広がったという実感が持てて嬉しいし、それに、以前よりも深くこだわりを持って研究ができるようになり、ますますこの研究をおもしろいと思うようになりました。

そして今は、ひたすら論文に取り組む日々なのですね。

はい、毎日論文を書いています。必死に書いています!(笑)
私たちの研究科の論文といえば、たいてい最初に先生と相談してテーマを決め、書き方も決めて、あとは自分で書いてみて、また先生に出してみて、というやり方です。研究科によっては、何人かのチームで共通の課題をやる場合もあるようですが、私たちは一人ひとりが独立して自分のテーマでやります。自分と近い課題の人がいる場合はお互い協力することもありますが、基本的には各自がひとりで取り組みます。

研究のあいまに、どんな気分転換をしますか。

瀬戸内海に行きます! 瀬戸内海は、風が強くて険しい感じの日本海とは違い、静かで優しい感じで好きです。「せと、ない、かい」って、名前もかわいいです(笑)。瀬戸内海には多くの島があり、中でも生口島(いくちじま)にある未来心の丘(みらいしんのおか)が好きです。白い大理石の建物がとてもきれいです。
気分転換というと、コロナ前にはよく日本各地を旅行しましたが、最近では自宅で映画を観たり、音楽を聴いたり、ウクレレを弾いたりもします。

どんな課外活動を経験されましたか。

広大のサークルには所属したことがありませんが、アルバイトの経験ならいっぱいあります!
最初のアルバイトでは、スーパーでお寿司を作りました。修士2年の時には、広大生協の店でレジをやりました。また、先ほどちょっとお話に出ましたが、オンラインで中国人に日本語を教えました。生徒は、日本に留学を希望する高校生や、日本企業で働く社会人などです。
博士課程後期入学後は、家電量販店で通訳兼、販売の仕事をやりました。それとかけもちで、三原市の日本語学校で企業研修生に日本語も教えました。生徒にはベトナムやミャンマーの人もいて、意思疎通が難しい時はお互い身振り手振りで会話したりして、とても楽しかったです。
そして現在は、学内の学生プラザでPA(※)として、在留資格更新手続きをする学生のための通訳などをしています。この仕事は始めてまだ日が浅く、わからないことが多く緊張の毎日です。これまでにお話しした長期のバイト以外にも、たまに試験官などをやっています。
このように、様々な仕事をする中で、数えきれないほどの日本人やその他の国の人々と接触し、交流することができました。このような経験を多く積むことは、異文化理解を深めるうえで非常に大切なことだと思います。
 

※フェニックス・アシスタント。広島大学の業務にアルバイトとして従事する学生。

留学を考えている後輩たちに、何かメッセージをお願いできますか。

私が来日する前に思い描いていた「留学」とは、とにかく「知識を学ぶこと」でした。しかし、あれから約5年の歳月と経験を経て、今思うことは、知識を学ぶ一方、現地でその国の文化を「感じる」ことも、大事なのだということです。研究においても同じで、留学先での研究方法を身に付けることが重要だと思います。
現在はインターネットが普及していて、知識を学ぶにはとても便利ですが、異文化を肌で感じることは、やはり現地でしかできないことです。留学とは、違う文化の中に「混じる」ことだと私は思います。
皆様もご存じのとおり、現在は新型コロナウイルスの影響などで、来日することが難しい学生さんも数多くいます。リモートでの学びといった新しい選択肢も、今後は考慮しなくてはいけないかもしれません。そうでなくても、外国に行けば費用もかかるし、親も心配するし、留学するということは本当に大変なことです。
しかし、もし留学の意思があるなら、あきらめないで、ぜひ日本に、いえ日本でなくても、希望の地に留学してほしいです。いつか必ず、皆さんの夢をかなえてください。

最後の質問です。将来の夢は何ですか。

現在の目標は、卒業後は中国に帰国して大学の教員になることです。そして将来は、できることなら言語計画の研究者として、社会のために少しでも役に立つ研究がしたいです。
しかし、当面の目標はもちろん、卒業することです(笑)。卒業後は帰国する予定ですが、コロナの状況などを考えれば、いったん帰国すれば再来日することは難しいと考えられます。ですから、今の内に日本で学んだことを自分なりに整理しています。例えば、日本での約6年間で自分は何を感じたのか、帰国後は、日本で感じたことをどのように他の人に伝えるべきか、などについてです。
「現場で感じる、刺激を受ける」ことは留学において非常に重要なことです。動画や写真では伝えきれないことがたくさんあります。その点、私はまだまだ色々なことを体験できていないと思います。ですから、卒業までの時間を目一杯利用して、可能な限り日本、そして、広島の文化を感じたいです。

残りの留学生活がさらに有意義なものになるように、そして、将来の夢が実現するよう祈っています。今日はありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

Photo Gallery

広島大学前にて、ご主人(大学院先進理工系科学研究科学生)と

野球を初体験(難しい!)

友達の周さんと郭さんと、直島に向かう船にて

文学部から撮影した紫の空

札幌にて

※インタビュー時は、写真撮影のため感染防止に注意した上でマスクを外している時があります。


up