無重力環境でES細胞を世界で初めて培養

平成21年8月24日

宇宙開発技術を使った再生医療実用化への道を拓く研究成果
無重力環境でES細胞を世界で初めて培養

研究成果のポイント

  1. LIF無しでも無重力環境で培養したES細胞は、未分化状態を維持できたこと
  2. LIF無しでも無重力環境で培養したES細胞は、多分化能も保持していたこと
  3. 動物由来の物質を使わない培養技術であること
  4. 無重力環境によるES細胞の新しい培養技術を世界で初めて示したこと

※LIF:白血球阻害因子 

1. 全体概要

広島大学の大学院保健学研究科・弓削 類 教授および大学院医歯薬学総合研究科・松本昌泰 教授の研究グループは、マウス胚性幹細胞 (embryonic stem cells: ES細胞) を微小重力環境で培養した結果、マウスES細胞の培養で必須とされる白血球阻害因子 (leukemia inhibitory factor: LIF) を加えることなく培養することに成功しました。本方法は、同時に血清 (serum)、フィーダー細胞 (feeder)、コーティング剤 (corting)、細胞剥離剤 (trypsin) も使用せずにマウスES細胞を培養できる世界初の画期的な技術です。

ES細胞は、増殖能が高い反面、自発的に分化しやすい細胞でもあるため、万能性を維持したまま培養するには非常に注意を要します。一般的なマウスES細胞の培養では、コラーゲンコーティングした培養容器に下敷き細胞のフィーダー細胞を敷きつめ、その上にES細胞を培養します。また、血清入りの培養液と細胞剥離剤を使用します。フィーダー細胞は、マウス胎仔由来の線維芽細胞であり、その他の物質もブタ等の異種動物種に由来するものです。再生医療実現には、副作用のない安全な幹細胞が必要です。そのため、ヒト由来ではない成分を排除する培養方法が開発されていますが、過剰な薬剤の添加が行われる場合もあり、その薬剤によるがん化や免疫拒絶等の弊害が重大な問題となっています。

弓削 類 教授らの研究グループは、これまでに微小重力環境では細胞の分化が抑制されることを報告しています。そこで、マウスES細胞をフィーダー細胞と血清を使用せず培養できる市販の培地を用い、必須とされる培養容器のコーティングを行わず、LIFも添加しない条件で、微小重力環境で培養しました。その結果、マウスES細胞培養の必須因子を除いた培養条件であるにも関わらず、微小重力環境ではマウスES細胞を塊として培養することができました。この成果は、LIF-freeだけでなく、feeder-free、serum-free、coating-free、 trypsin-free (これらはすべて異種動物由来) での培養を可能にした画期的な方法です。

この研究内容は、2009年7月23日付け米国のオンライン科学雑誌『PLoS ONE』に掲載されました (PLoS ONE 4: e6343, 2009)。

2. 本研究を始めた社会的背景や経緯

万能細胞ともいわれるES細胞は、増殖能と分化能に優れた細胞である反面、あらゆる細胞に分化しやすい細胞です。 LIFは、マウスES細胞の未分化性を維持するために必須な因子として知られています。ES細胞の培養には、LIFのようなサイトカインだけでなく、フィーダー細胞と血清も必要です。フィーダー細胞は、マウス胎仔由来の線維芽細胞であり、ES細胞は、このフィーダー細胞上で培養することにより未分化状態を維持できます。血清は、ES細胞だけでなく細胞培養には一般的に用いられるもので、ウシ胎仔血清 (fetal bovine serum: FBS) がその代表です。2005年、マウス胎仔由来のフィーダー細胞やFBSに存在し、ヒトには存在していない糖鎖 (N-グリコシルニューラミック・アシッド: Neu5Gc) を、ヒトES細胞が培養中に細胞内に取り込み、ヒトES細胞表面にNeu5Gcが露出していたことが報告されました (Nat Med, 11: 228-232, 2005)。このようなES細胞を使った細胞移植が行われた場合、ヒトの免疫系は、ヒトのES細胞でありながら移植細胞を異物だと認識して細胞免疫反応を起こす可能性が極めて高くなります。
オバマ大統領の再生医療への政策転換により、アメリカではES細胞の臨床応用が始まり、多額の研究費がつぎ込まれることが決定しました。今後、急速にES細胞を使った再生医療が拡まると推測される今日、ES細胞のよる再生医療を臨床応用するには、異種動物由来の物質を避け、フィーダー細胞無し、かつ無血清での培養方法の開発が急務です。

弓削 類 教授らの研究グループは、これまで物理的刺激に対する細胞応答に関する研究を行っています。特に重力は、海から陸に上がった生命体の冒険からみても35億年の生命の歴史の中で大きな役割を演じてきました。また、宇宙飛行士にみられる筋萎縮や骨萎縮に関する宇宙医学の研究およびスペースシャトルを用いた細胞培養実験から、重力が細胞の増殖・分化に大きな影響を与えることが分かってきました。弓削 類 教授と三菱重工業株式会社が共同開発した重力分散型模擬微小重力装置 (3D-クリノスタット) (図1) は、宇宙開発技術を利用し地上でスペースシャトル内と同じ10-3Gの微小重力環境を再現できる装置です。この装置を使用したこれまでの研究では、微小重力環境では間葉系幹細胞や造血前駆細胞、骨髄間質細胞が未分化のまま培養・増殖でき、この細胞を移植すると組織依存的に分化し、生着率も高いことを報告しています (Stem Cells Dev, 15: 921-929, 2006)。
 

論文タイトル: LIF-free embryonic stem cell culture in simulated microgravity.
日本語訳: 模擬微小重力環境におけるES細胞のLIF無添加培養
http://www.plosone.org/article/info%3Adoi%2F10.1371%2Fjournal.pone.0006343

3. 研究内容・手法

マウスES細胞をコラーゲンコーティングしていない培養容器に播種し、通常の1G環境 (group 1G) または3D-クリノスタットを使った微小重力環境 (group CL) で7日間培養しました。培地には、フィーダー細胞と血清を使用せず培養できる市販の培地を用いましたが、LIFは添加しませんでした。また、培養7日後の細胞をマウスの皮下に移植し、培養細胞の多能性を検討しました。

(1) LIF無しでも微小重力環境で培養したES細胞は、未分化状態を維持できました。group CL の細胞は、培養容器に接着せず細胞塊を形成して増殖しました。メッセンジャーRNAの解析では、group CL の細胞は未分化マーカーを発現していました。また、未分化性を示すアルカリフォスファターゼ染色も陽性反応を示しました (図2)。
(2) LIF無しでも微小重力環境で培養したES細胞は、多分化能も保持していました。
培養7日後のgroup CL の細胞を皮下移植すると、テラトーマ (奇形腫) が形成されました (図3)。
(3) 微小重力環境によるES細胞の新しい培養技術を世界で初めて示しました。
微小重力環境を利用することにより、ES細胞の培養に必須のサイトカインであるLIFを添加せず培養することができました。同時に、臨床応用する場合の問題となる異種動物種由来の成分を排除した世界初の培養技術でもあります。

4. 本研究成果が社会に与える影響

微小重力環境は、ヒトES細胞やiPS細胞にとっても未分化状態を保ちやすい、増殖培養に適した環境であると想定され、再生医療の実用化に役立つと思われます。ヒトiPS細胞、ヒトES細胞を使い、がん化や免疫拒絶等の危険性が少ない万能細胞の作製が出来る可能性が示されました。

5. 今後の展開

今回の結果により、模擬微小重力環境がより簡便でより安全、安定的な幹細胞培養方法である可能性が示されました。この微小重力環境を使った細胞培養技術は、米国航空宇宙局 (NASA) 関連学会での発表を通して注目を集めており、宇宙開発技術の一般利用として、また日本の宇宙技術の成果として期待されています。3D-クリノスタットや宇宙ステーション「きぼう」を使用した実験を行い、より詳細なメカニズムの検討やヒトiPS細胞、ヒトES細胞での検証を通して、再生医療に貢献できるものと考えています。

用語解説

■微小重力:
一般的には「宇宙は無重力」と表現されますが、英語でmicrogravityと言われるように、正確には「無重力」ではなく「微小重力」と表現します。例えば、スペースシャトル内では10-3G、宇宙ステーション「きぼう」内では10-4G程度の重力環境です。

お問い合わせ先

広島大学大学院保健学研究科 教授 弓削 類(ゆげ るい)
Tel:082-257-5425、082-257-1501 Fax:082-257-5344
E-mail:ryuge@hiroshima-u.ac.jp
(@は半角@に置き換えた上、送信してください。)

図1  重力分散型模擬微小重力装置 (3D-クリノスタット)

図1  重力分散型模擬微小重力装置 (3D-クリノスタット)

直交二軸のまわりに試料を360°回転させ重力ベクトルをX、Y、Z軸方向に分散、相殺させることにより宇宙環境と同じ10-3Gの環境を作り出す装置である。
http://www.spacebio-lab.com/J-seihin.htmlにて動画の参照が可能。
特許名: 多能性幹細胞増殖の培養方法、多能性幹細胞の培養システム、及び多能性幹細胞培養装置 (発明者・出願人: 弓削 類、三菱重工業株式会社 神戸造船所 機械・宇宙部・宇宙機器設計課・主任・植村 勝) 特願2001-197182, 特開2003-9852, 海外特許 (WO2004/061092 A1 PCT; 米国, EU等)、2004年

図2 微小重力環境におけるマウスES細胞の未分化維持

図2 微小重力環境におけるマウスES細胞の未分化維持

ES細胞のような未分化細胞は、アルカリフォスファターゼ染色において赤紫色の陽性反応を示す。培養7日後のgroup 1G の細胞は、アルカリフォスファターゼ染色で陽性反応を示さなかった (a) が、細胞塊を形成したgroup CLでは赤紫色に染色され、陽性反応を示した (b)。また、group CL の細胞は、未分化マーカーのmRNA発現が確認できたが、group 1G では弱くなっていた (c)。

図3テラトーマのH&E染色像 (移植35日後)

図3テラトーマのH&E染色像 (移植35日後)

培養7日後のgroup CL の細胞を皮下移植したマウスでは、テラトーマが形成された。外胚葉 (a: 毛と毛根、 b: 神経膠組織)、内胚葉 (c: 腺組織、 d: 腺房構造のある腺組織)、中胚葉 (e: 軟骨、 f: 脂肪組織) が確認できた。

 


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