第10回 佐野(藤田) 眞理子 教授 (大学院総合科学研究科教授、アクセシビリティセンター長)

人にやさしい社会を目指して −多様性理解が育む知と創造力を大学から社会へ−

佐野(藤田) 眞理子教授

大学院総合科学研究科 文明科学部門 教授 アクセシビリティセンター長
佐野(藤田) 眞理子 (さの(ふじた) まりこ) 教授

に聞きました。 (2009.1.15 学長室広報グループ)

プロフィール     

佐野教授は、2000年から広島大学の障害学生修学支援に携わっています。当時、大学で学びたいと声を上げる障害学生が少しずつ増え始めていました。しかし、ほとんどの大学で、障害学生が学ぶためのサポートは組織的なものではなく、当事者からの相談に教職員個々人が対応しているのが通常でした。本学も、委員会はあったものの、支援システムとして確立されたものはありませんでした。教授は、規則の制定を始め、入学前から卒業まで一貫した支援を行うシステム構築など、全学的支援体制確立のために奔走します。修学支援の拠点であるボランティア活動室の設置(2000年度〜2007年度)を実現し、室長として活動全般の企画・立案、運営を行っていきます。2008年度には、全学組織として新設されたアクセシビリティセンターの初代センター長に就任しました。そして、これまでの活動と、本学の障害学生支援が国内トップレベルと評価されることに貢献したことで、2008年11月、第7回(平成20年度)学長表彰を受賞しました。

第7回(平成20年度)学長表彰 記念の楯

第7回(平成20年度)学長表彰 記念の楯

全学的支援体制ができるまで

広島大学の障害学生支援の取り組みは、2000年からスタートしました。最初は、体制もノウハウも何もないところからスタート。「障害のある学生が入学してきても、その周りの人だけが一生懸命になるばかり。支援も個人ができる範囲にとどまっていた」と教授は言います。

しかし、そんなサポート体制の限界を感じさせる出来事が起こりました。全盲の学生と重度の難聴の学生が同時に入学し、同じ授業をいくつも受講することになったのです。全く異なる障害を持った学生たちに講義を行うことになり、当時、障害学生修学支援の委員会メンバーだった佐野教授らは、日々対応に追われました。
「前期の授業は毎日、自転車操業でしたね」と、当時を振り返る教授。「どちらの学生にも対応できるように、他の教員と連携して教材準備をしたり、授業担当教員にも状況を報告して協力依頼をしたり。でも、連絡ミスなど行き違いが起こることもしばしば。支援システムが無いということが、こんなにも大変なことだったのかと、身を持って知りました」
そう強く実感した教授は、前期の授業が終了した後、その半年間の対応を書き出し、対応フローを作成したのです。大学での学生の1年間は、学年暦という決まったスケジュールに基づき、毎年同じサイクルで動いています。対応フローが固まれば、そのサイクルに合わせて、いつ何を準備すればよいかがあらかじめ掴める。そうすれば支援をシステム化できる。教授はそう考えました。そして、他の教職員と共に、学内の温度差を失くすために、全学部の委員で構成される委員会を作ったり、支援の拠点となるボランティア活動室を設置したりするなど、全学的な支援体制を構築していったのです。

対応フローをもとに完成した「PDCAサイクル型 障害学生修学支援」。これにより、入学前から卒業まで一貫した修学支援ができる体制に。

対応フローをもとに完成した「PDCAサイクル型 障害学生修学支援」。
これにより、入学前から卒業まで一貫した修学支援ができる体制に。

広島大学が全学的な支援体制を構築できたのには、特有の理由があると教授は言います。広島大学では、入学した全学生が、所属学部に関わらず総合科学部で教養教育を受講します。そこでは、様々な学生に対して、多種多様な授業が提供されるため、教員にも教え方を工夫することが要求されます。つまり、障害学生への多様な対応を培える土壌が、広島大学にはあったのでした。

この環境を活かした全学的支援体制構築の取り組みは、「高等教育のユニバーサルデザイン化:総合大学における障害学生支援」として、文部科学省の特色ある大学教育支援プログラムに採択されました。
 

著書『高等教育のユニバーサルデザイン化:障害のある学生の自立と共存を目指して』(一番右)ほか

著書『高等教育のユニバーサルデザイン化』(一番右)ほか

障害学生支援は、フィールドワーク

教授の主な専門分野は「文化人類学」です。文化人類学とは、フィールドワーク(※)を通して、社会的・文化的な多様性を理解し、人間のあり方を研究する学問です。一見、専門分野とは無関係に思える障害学生支援。しかし、佐野教授にとって、障害学生支援に携わることそのものが「新しいフィールドワーク」なのだとか。

「障害のある学生から、いろいろなことを学んだ」と教授。あるとき、こんなことがありました。全盲の学生とキャンパスを歩いていたとき、「夕日がきれいね」と思わず言ってしまいました。「ごめんなさい」と、すぐに詫びる教授に、その学生は「どんな風にきれいなのか説明してください。私にとっては、見えないのではなく、見え方が違うだけなんです」と教えてくれたのだそうです。文化人類学は、多様性を知る学問。同じ現象でも人によって解釈はさまざまであることが当たり前とされる分野です。教授はその学生から、自身の専門分野と障害学生支援との共通点に気づかされたそうです。
教授にとって、さまざまな障害のある学生と触れ合う日常は、まさに多様性への理解を深めることができるフィールドなのです。そして、彼らにとってどんな支援がベストなのかを考えることは、教授の研究そのものでもあるのでした。

また、文化人類学では、研究対象となる人々が抱える問題を考えるときに、彼らをとりまく社会全体の構造を見ます。教授は、障害学生への全学的支援体制を検討する際にも、そのことを意識しました。「全学生数の中で、障害学生はほんのひとにぎり。でも、彼らの周りの人間だけが頑張ってもだめ。彼らを本当に支援していくには、大学全体が機能することが重要」と主張しました。そして、日本の大学の特色でもある“学部自治”という縦割り構造を生かした体制づくりを行い、支援システムが大学全体に行き渡るようにしました。

このように、多様性に触れる環境にあったこと、文化人類学の手法が障害学生支援の取り組みに役立ったことから、「人類学をやっていてよかった」と教授は言います。日本の文化人類学では、理論と実践は別々に扱われがちだそうです。しかし、教授は、障害学生支援で培った経験を通して、「実践と理論は融合できるのだということを文化人類学の分野に広め、その発展に寄与していきたい」と考えています。
 

※フィールドワーク:ある調査対象について学術研究をする際に、そのテーマに即した場所(現地)を実際に訪れ、その対象を直接観察し、関係者には聞き取り調査やアンケート調査を行い、そして現地での史料・資料の採取を行うなど、学術的に客観的な成果を挙げるための調査技法(Wikipediaより)

 

教育と人材育成 − 誰もが誰かの支援者になり得る

広島大学の障害学生支援は、支援体制の構築だけにとどまりませんでした。

2001年度、佐野教授らは、障害学生支援に関する授業を開講し支援者育成に乗り出しました。学生たちは、講義で障害者支援の知識を深め、実習で支援技術を身に付けます。実習では、実際に障害のある学生の修学支援も行います。この、障害学生支援の授業化により、学生たちが質の高い支援技術を学び、実践し、組織的なサポートを受ける環境ができたのです。特徴的なことに、障害のある学生たちは皆、この授業を受講するのだとか。「彼らは、自分の障害を補う技術を身に付けると同時に、他の障害のある学生の支援も行いたいという意欲を持っているのです」と教授は言います。「支援される側にとどまらず、支援する側として活躍するのです」

そうして、2006年度、佐野教授らはマイクロソフト社と協力して「アクセシビリティリーダー(※)育成プログラム」という人材育成プロジェクトをスタートさせます。体系化された授業科目群を受けて単位を取得し、試験に合格した学生は「アクセシビリティリーダー」に認定されます。「障害の有無だけでなく、社会は多様性にあふれています。卒業した後も、大学で学んだことを活かして、多様なニーズとアクセシビリティをコーディネートできる人材になってほしい」と教授は願っています。
 

※アクセシビリティリーダー:障害の有無や身体的特性、年齢や言語・文化の違いに関わらず、情報やサービス、製品や環境の「利便性を誰もが享受できる豊かな社会」を創出する人材

アクセシビリティリーダー育成プログラムの詳細

広大生に向けたアクセシビリティリーダーのPR 1
広大生に向けたアクセシビリティリーダーのPR 2

広大生に向けたアクセシビリティリーダーのPR

大学から社会へ

昨年9月、文部科学省の教育GP「質の高い大学教育推進プログラム」に、「アクセシビリティリーダー育成プログラム−人にやさしい社会へ 多様性理解が育む柔軟な知と創造力の育成−」が採択されました。

教授はこのプログラムで、これまでは学部生を対象としていたカリキュラムを、大学院生や教職員に展開しようとしています。そして、高校などの中等教育、他大学、企業、行政などとインターンシップや研修の面で連携をとり、実践の場を社会に展開し、最終的に、プログラム自体をオープン化し、社会に開かれたプログラムにしようとしています。

 

「誰にとってもやさしい世の中に」

教授の最終的な目標は、「アクセシビリティが当たり前の世の中にする」こと。日本のアクセシビリティの水準は、世界に比べてまだまだなのだとか。「アクセシビリティって、誰か特別な人の問題ではなく自分の問題なんですよ。その意識を日本に根付かせたいんです。たとえ今、何の問題もなく過ごせていても、老いや病気による身体的変化など、人生の経過とともに皆変わっていきます。誰がどんな状況にあっても、アクセシビリティを享受できる。そんな、誰にとってもやさしい世の中にしていきたいですね」と教授は熱く語ります。

「誰にとってもやさしい世の中に」と話す佐野教授。

「誰にとってもやさしい世の中に」と話す佐野教授。

あとがき

インタビュー後は、佐野先生がセンター長を務めるアクセシビリティセンターで写真撮影を行いました。センターは、障害の有る無しにかかわらず、学生たちの憩いの場になっているのだそう。「まるでアトリエのよう」と朗らかに笑う佐野先生。そこは先生にとっても、学生たちとコミュニケーションをとるための大切な場所になっているのでしょう。「教育と研究と実践の歯車はいつも一緒にまわっているもの」とインタビュー中にもおっしゃっていました。まさに、その3つの歯車の接点に、常に身を置いていらっしゃるのだと感じました。(M)


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