第25回 川上 秀史 教授(原爆放射線医科学研究所)

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の原因遺伝子を解明!- 劣性遺伝に注目して、変異を発見 -

原爆放線医科学研究所 放射線影響評価研究部門 分子疫学研究分野 川上 秀史(かわかみ ひでし) 教授

に聞きました。 (2010.5.25 社会連携・情報政策室 広報グループ)

プロフィール

1984年広島大学医学部医学科を卒業した川上秀史教授は、京都大学でホルモンの研究をする中西重忠教授に師事したいと、同年京都大学大学院医学研究科に進学します。
中西教授(当時助教授)は1979年、その当時アメリカで開発されたばかりの遺伝子解析技術を使って、副腎皮質刺激ホルモンを作り出す「前駆体」というタンパク質の構造を決定。その後、試験管で前駆体合成を世界で始めて成功し、遺伝情報からタンパク質の構造を決定する研究で、世界をリードする研究者の一人となっていました。
ハンチントン舞踏病、筋ジストロフィーなどの難病を遺伝学的手法で解明したいという希望を持っていた川上教授が、神経系の分子生物学をやろう!と決意して、選択した進路でした。京都大学病院などを経て、1992年広島大学に着任。一貫して脳神経内科研究に携わってきました。

 

自分のやるべき研究は?

中枢神経のうち、特定の神経細胞が徐々に死んでいく神経変性疾患のうち、「パーキンソン病」「アルツハイマー病」「ハンチントン舞踏病」「脊髄小脳変性症」などは、当時既に、ある程度研究の道筋が見えていました。「分かっているものをやっても仕方がない。神経変性疾患の中で、原因がよく分かっていない病気の一つが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)であり、治療法の開発のためにも最も研究が必要とされている。ALS研究をやろう!」

 

まだ原因は、ほとんど分かっていません

日本におけるALS患者は8000人くらい。毎年、10万人に一人の割合で発症する人がいるそうです。全身の力が入らなくなったり、呼吸ができなくなったりして、人工呼吸のサポートがなかったら2年から5年で死亡するというALSは、運動神経の異常で筋肉が痩せて力を失っていく病気で、筋肉自体が原因ではないそうです。
ALSのほとんどは遺伝子が原因ではなく、1割くらいが家族性と言われています。その中で原因遺伝子が特定されているものは20~30%、残りは不明といいます。

 

ターゲットを絞って、そこから展開させよう!

最近の検査機器の進展は目を見張るものがあります。しかし、ヒトゲノムを一挙に配列決定(シークエンス)できても、多くの患者の莫大な遺伝情報をやみくもに解析していては、時間とお金がいくらあっても足りません。例えば今、一人の人間の全遺伝情報(塩基配列)を調べるには、10日間、約500万円が必要なのだそうです。

DNA配列の解読・解析をする蛍光シーケンサー。
次世代シーケンサーの出現により、古典的となったものの、確実性は1番。

そこで教授らの研究グループは、遺伝性のうち両親とも染色体に異常がある(劣性遺伝)と考えられる症例に着目します。常染色体劣性遺伝だと、比較的少ない患者で、異常があるDNAの場所が特定しやすいのではないか。家族性の患者の調査から発症機序が得られたら、ALS共通の発症メカニズムの解明に役立つはずだと予測しました。

共同研究する他大学(徳島大学など)に呼びかけて症例を集めることにしましたが、教授の耳には「本当に劣性遺伝の患者はいるのか?」という懐疑的な意見も聞こえてきました。「大丈夫だ!家族性患者を探してくれ!」と依頼する一方で、本院神経内科に保管する古いカルテも再調査しました。何か重要な情報を見落としていないか?

 

ちょっと、こーひーぶれいく

ヒトの細胞には46個の染色体(22対の常染色体と1対の性染色体)があります。ヒトをはじめとする2倍体の生物は、同じ染色体を2つずつ対で持っており、父母それぞれから由来した2本の染色体には、同じ形質にかかわる遺伝子(対立遺伝子)が同じ順序で並んでいます。
両親から同じ種類の遺伝子を引き継いでいる場合はホモ接合と呼ばれ、異なる種類の遺伝子を引き継いでいる場合はヘテロ接合と呼ばれます。
例えば、A型と呼ばれる血液型には遺伝子タイプでAA型とAO型があります。AO型の父親と、同じくAO型の母親からだと、AA型(25%)、AO型(50%)、OO型(25%)の子どもが生まれる可能性があります。同じ遺伝子が組み合わさっているAAタイプとOOタイプがホモ接合で、異なる遺伝子が組み合わさっているAOタイプがヘテロ接合となります。A型が優性遺伝子でO型が劣性遺伝子なので、AAタイプとAOタイプがA型(75%)になり、OOタイプがO型(25%)という血液型になります。
父母それぞれから由来した2本の染色体には、同じ形質にかかわる遺伝子があり、それぞれ対立遺伝子またはアレルと呼んでいます、2つの変異アレルをもつ場合に発症する遺伝形式を劣性遺伝といいます。   

 

その瞬間は鳥肌ものでした

教授らは2007年2月、6症例の遺伝子の個人差(SNP(注1))を詳細に解析し、共通するホモ接合(注2)が連続する領域を見つけます。埼玉医科大学萩原弘一教授の考案した方法を用いて原因遺伝子の候補領域を抽出すると、うち2家系3症例で、細胞内のシグナル伝達にかかわる物質「NFカッパーB」を抑制するタンパク質Optineurin(OPTN)の遺伝子に変異がありました。

(注1) Single Nucleotide Polymorphism(SNP):ヒトの遺伝子は30億塩基対のDNAで構成されていますが、ひとり一人を比較すると、そのうち約0.1%に塩基配列 の差があります。これを遺伝子多型と呼びますが、このうち1つの塩基が他の塩基に変わるものを一塩基多型(SNP)と言います。
(注2) ホモ接合:一対の相同染色体上のある特定の遺伝子座の塩基配列が同一であること。

ホモ接合マッピング(ホモ接合領域が、各染色体上のどの場所にあるのかを位置付け)

a. 各個人のホモ接合領域(黒)
b. 4人で共通のホモ接合領域(黒) ここ(矢印)に原因遺伝子が!

 

NFカッパーBは、がんなどへの関与が知られている物質です。
劣性遺伝以外の非遺伝性などの他の症例でもこの遺伝子の変異が見つかったのです。
発症部位である脊髄の細胞を調べてみると、非遺伝性や、OPTNとは別の原因遺伝子による症例でも、OPTNタンパク質の固まりが見られました。劣性遺伝の症例から発見した遺伝子変異が、非遺伝性を含めたALSすべてに共通する発症メカニズムに関与している可能性があることが証明されました。川上教授、丸山博文准教授(本学原爆放射線医科学研究所)らの研究チームが、筋萎縮性側索硬化症(ALS)の新たな原因遺伝子を突き止めた瞬間でした。

この研究成果は、英国学術雑誌『Nature』の4月28日付け電子版及び5月13日付け雑誌版(Nature Vol.465, Pages: 223–226 )に掲載されました。
なお、この論文は5月28日付けの米国学術雑誌『CELL』にも、トピックスとして紹介されました。

5月13日付け『Nature』はこちら
記者会見(4.26本学東京オフィスにおいて)の様子はこちら

 

次のステージへ

教授は、「次世代シーケンサーの出現で、自分の遺伝子配列情報を、望めば持てる時代になる日も近い。遺伝情報から遺伝性リスクが読めるようになると、例えば、肺がんの遺伝性リスクを持っている人が、喫煙(環境要因)による肺がん発症リスクを併せて知ることで、少なくとも自分の肺がんの発症リスクを知り、予防できるようになる。遺伝情報を解読するともに、環境要因を知る疫学調査などの重要性が高まってくるでしょう」という。

すぐに、望めば誰でも自分の遺伝情報を持てる時代になるでしょうね。

教授は、「今回の成果を基にモデル動物を作製してメカニズム解析を一層推進し、創薬へと繋げたい。国内外の研究者との連携を強化しながら、発症メカニズムに基づいた治療法開発を目指します。今回の成果発表がこの分野の研究を加速するでしょうけれど、われわれのグループが必ずモデル動物を作る、それも急いで」という。モデル動物を作りへの意欲を口にする教授の口調から、激化する競争に「必ず勝つ!」という決意が伝わってきました。

あとがき

ALSの治療にかかる医療費は高額です。厚生労働省が実施する難治性疾患の調査研究の対象に指定された疾患(特定疾患)であるため、国と都道府県が、医療の確立などや患者の医療費軽減のために医療費の全部または一部を負担しているので、患者の自己負担分は軽減されているそうです。でもそれは医療費だけのこと。在宅療養の場合、動けない患者を24時間介護する家族の負担は大きく、たんの吸引などは危険が伴うため、家族に心理的・身体的負担が重くのしかかります。介護人を雇えば経済的負担が増加してしまいます。自分だったら…… 意識がはっきりしている病気だけに、物心両面で家族に負担を強いているという申し訳なさで、毎日つらいだろうなと、朗報を伝える日が1日も早く来ることを願わずにはいられませんでした。(O)


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