小児がんを多発する遺伝性難病の原因メカニズムを解明
原爆放射線医科学研究所 松浦 伸也(まつうら しんや)教授
に聞きました。(取材:広報グループ 2014.3.5)
はじめに
染色体が生まれつき不安定な遺伝性難病について研究をしている松浦伸也教授。「小児がんを招く遺伝性難病が、染色体の数を守る遺伝子の外側にあるスイッチの異常で発症すること」を松浦教授のグループが証明しました。
この研究成果は2013年12月に米科学アカデミー紀要『PNAS』オンライン版に発表されました。続いて『PNAS』誌巻頭で解説論文(※)として取り上げられ、「熟考された手法で因果関係を万全に証明した」「原因不明の遺伝性難病の原因解明に弾みがつく」などと絶賛されました。
(※)解説論文はこちら
そんな松浦教授に、インタビューをしました。
“遺伝子本体に異常が見つからない”遺伝病の原因解明
現在は、遺伝情報解読機器(シーケンサー)の飛躍的な発展によって、遺伝病の原因となる遺伝子を次々に特定できる時代になってきています。一方で、遺伝子本体に異常(変異)が見つからないタイプの遺伝病も数多く存在します。
また遺伝子は生命機能を発揮する「タンパク質の設計図」ですが、遺伝子以外の領域(「遺伝子の外側」)には、どのくらいのタンパク質を細胞に供給するか調節する遺伝子スイッチが点在しています。
しかし、「遺伝子の外側」に関する研究アプローチは一般的に難易度が高く、そこに起因する病気の理解は進んでいません。松浦教授らが研究を進めていたPCS(染色分体早期解離)症候群(※)もこのタイプの遺伝病でした。
(※)PCS(染色分体早期解離)症候群・・・重度の小頭症や精神遅滞、ウィルムス腫瘍や横紋筋肉腫のような小児がんを伴う。現在のところ、世界で40例、日本では20例というまれな病気。
「PCS症候群の患者は、細胞分裂時に染色体数を正常に保つ働きをするBUBR1タンパク質が少ないために、染色体の数が不安定になって小児がんを多発します。患者はBUBR1タンパク質の設計図であるBUBR1遺伝子に異常(変異)があることは間違いありませんでした」と先生。
しかし、一部の患者では、DNAをどう調べてもこの遺伝子本体には異常(変異)を見つけることができなかったそうです。
研究成果について説明する松浦教授
「もしかすると、遺伝子の中ではなく、外側に異常(変異)があるのではないか」と先生は考え、患者7人のBUBR1遺伝子の外側を、当時、原爆放射線医科学研究所に入ったばかりの次世代シーケンサーを駆使してくまなく調べました。
「そうしたところ、BUBR1遺伝子から四万四千塩基離れた遺伝子間領域の1つの塩基が、患者で共通してG(グアニン)からA(アデニン)に変化していることを見つけました。この一塩基の変化は一般集団で非常にまれだったので、探し求めていた原因(変異)である可能性が考えられました。一方で、偶然に患者で一致しただけであって、病気と無関係な可能性も否定できませんでした」と当時の状況を振り返ります。
DNA上の遺伝情報は、4種類の塩基(A:アデニン、T:チミン、G:グアニン、C:シトシン)の並び方(塩基配列)によって親から子へと受け継がれます。ヒトのゲノムDNAでは、300塩基に1塩基ぐらいの割合で「A→G」「T→C」のように個人によって置き換わっています。そのほとんどは遺伝的に何の影響も及ぼさないものですが、一部が病気のかかりやすさや体質などの個人差に関連し、遺伝子診断や創薬の重要なシーズになっています。しかし、患者に特有の一塩基変化を見つけたとしても、塩基配列を調べただけでは、それが偶然の結果なのか、あるいは病気の原因(変異)であるのかを結論づけることは困難です。
それでは、病気の治療を見据え、「一塩基の変化が病気と関係ある」ということを証明するためには、どうしたらよいのでしょうか。
「『相関関係』だけでなく『因果関係』を明らかにすることが必須になる」と先生は指摘します。
「遺伝子外の一塩基変化が病気の原因(変異)であることを証明するためには、その塩基の機能を明らかにする必要がありました。そこで私たちは、正常のヒト培養細胞に人工的に一塩基変化を起こさせて、患者細胞の染色体異常を再現できるか?という課題に取り組むことにしました。そのためには、遺伝情報を一塩基レベルで操作する技術が必要不可欠な状況でした」と先生。
研究成果を示す資料
「一塩基編集法」とは
松浦教授らが必要としていた一塩基編集法とは、ヒトゲノム3億塩基のうち特定の一塩基だけを自在に操作する技術です。
一塩基編集法の強みについて、先生は次のように解説します。
「これまでも同様の技術は知られていましたが、改変する塩基の周りに目的としない余分な変化(足跡)が導入されてしまうことや、どの場所の一塩基でも操作できるわけではない、といった欠点がありました。私たちの考案した方法は、実験のステップが多くやや煩雑ですが、足跡を残さずに確実に一塩基を改変できる強みがあります。今回の場合、BUBR1遺伝子から四万四千塩基離れた場所の塩基をGからAに置き換えます。もしもAに置き換えた細胞が、BUBR1タンパク質の量が低下して、患者細胞と同じような染色体数の異常を示すようになれば、一塩基変化が原因(変異)であるとはっきりと特定できます」
一塩基編集法を用いた結果について、「得られた結果は、予想した通りでした。塩基をAに置き換えた細胞は、患者細胞と同じように染色体の数の異常を来しました。さらに私たちは、この塩基がBUBR1遺伝子を調節するスイッチとして働いていることを突き止めました。BUBR1タンパク質は、健常な人の場合だと一定の量が保たれていますが、患者ではスイッチが壊れていて作動していないため、タンパク質の量が健常の人の50%以下と少なくなっていることがわかりました」と先生。
健常者とPCS症候群患者の遺伝子スイッチを比較した図
一塩基編集法は、今までの研究手法の不完全さを払拭(ふっしょく)できる画期的なものです。さらに、生活習慣病である「糖尿病」や「高血圧」などのありふれた病気の遺伝子解析に応用できる可能性があることでも注目を浴びています。
「遺伝病を『理解する』から『治療する』研究へとシフトしていきたいと考えています。患者の体の中でスイッチ自体を修復することは現在の技術ではできませんが、スイッチが作動するようになる薬を見つけることができれば、その薬を患者が飲むことによって、遺伝子が正常に動き出し、正常な量のタンパク質を作ることができるようになります。遺伝病の根治療法になる可能性を秘めているので、今後取り組んでみたい課題です」と先生は意気込みを語ります。
また今回の研究成果は「多くの協力者がいたからこそ」と先生は言います。
「今回の研究では、教室の若手研究者が大きく貢献し てくれました。宮本達雄講師(当時助教)が原因変異を同定してくれました。また日本のゲノム編集研究の拠点である理学研究科・山本卓教授の研究室で学位を 取得した落合博理学研究科特任講師(当時助教)が人工ヌクレアーゼのインフラを教室に導入してくれました。さらに、この研究は多くの臨床の先生や原爆放射 線医科学研究所、理学研究科の共同研究者とのチームワークなくしては結実できなかったもので、心から感謝しています」
実験室で研究を行う松浦教授
研究を志したきっかけは、小児科医時代の経験
山口大学病院の小児科で診療をしていた松浦教授。そのときの経験が遺伝病を研究する動機となったそうです。
「小児科には専門分野がたくさんありますが、私は遺伝病の子どもを主に担当させていただきました。遺伝病の子どもの両親から、次に生まれた子どもも同じ病気になってしまった例を目の当たりにしてきました。どの遺伝子に異常があるのか、そんなことは全くわからなかった時代です。今であればDNAによる出生前診断が可能ですが、当時では当然ながらできません。このような現状を少しでも変えたい、患者さんの役に立ちたいとの思いが強くなり、遺伝病の研究を専門にすることにしました」
親が健常でも遺伝病の子どもが生まれる場合があるそうです。
「例えば、病気自体は数万人に1人の割合であっても、その病気の 原因となる遺伝子異常を持っている保因者の割合は100人に1人です。病気の数は500以上知られていますので、人は誰でもおおよそ5つか6つの病気の遺 伝子を持っていることになります。つまり、結婚する相手が同じ異常を持っていれば、遺伝病の子どもの親になる可能性があります。また今は健常でも、将来遺 伝病を発症するかもしれません。つまり誰もがみな遺伝病と関わる可能性があるのです」
「患者さんの役に立つ研究を」と信条を語る松浦教授
今後の研究の展望について
「研究はやればやるほど、わからないことがどんどん増えていく」と松浦教授。最後に、今後の研究の展望について聞いてみました。
「染色体が関係する遺伝病の研究は、放射線影響の研究テーマと密接に関係しています。現在福島では、低線量放射線被ばくによる健康リスクの不安がひろがっています。放射線感受性には個人差があることが知られていて、おそらく染色体を守る遺伝子の一塩基変化が関連していると考えられています。私たちは、一塩基編集法を用いて培養細胞に “放射線感受性候補一塩基変化”を導入して、細胞の放射線感受性の変化を調べることで、放射線に対する個人差を決定する遺伝情報をあぶり出し、オーダーメイドの放射線防護を可能にする基礎研究を、研究室一丸となって発信していきたいと考えています」
あとがき
「誰もが遺伝病と関わる可能性があります」という解説が衝撃的でした。そのことを百も承知している先生だからこそ、「患者さんのためになる研究を!」という言葉が力強さを持っていました。先生の研究がさらに進み、数ある原因不明の難病が解明されていくことを心から期待したいと思います。(i)