第8回 越智 光夫 理事 (病院長、大学院医歯薬学総合研究科 教授)

組織工学的手法を用いた自家培養軟骨移植による軟骨修復 −磁石の力を利用して、培養した組織を再生させたい場所だけに定着−

越智光夫教授

理事(医療担当) 病院長 大学院医歯薬学総合研究科 展開医科学専攻 病態制御医科学講座 教授
(数々の肩書きを持つ越智理事ですが、本頁では、以下の呼称を教授に統一しました)
越智 光夫(おち みつお)教授

に聞きました。(2008.11.7 学長室広報グループ)

◆越智光夫教授の軟骨再生の研究が2009年10月25日(日)、TBSテレビ『夢の扉』で紹介されました。

>放送内容はこちら
>番組制作スタッフによるブログ「編集後記」はこちら
 

◆文部科学省は平成22年4月5日、「平成22年度科学技術分野の文部科学大臣表彰受賞者等の決定について」発表しました。越智光夫教授が、「三次元培養による軟骨再生技術の振興」により、科学技術の振興に寄与する活動を行ったとして、科学技術賞(科学技術振興部門)を受賞しました。(株)ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング 畠 賢一郎常務取締役・研究開発部長と同社研究開発部 菅原 桂上席研究員との共同受賞です(2010年4月5日)。

>本学「お知らせ」はこちら

 

膝のスペシャリストを目指して

越智教授は、1977年本学医学部卒業後、津下健哉(つげけんや)教授(当時)の主宰される整形外科学講座に入局しました。その後、「靱帯、軟骨、半月板 など、膝をトータルにみられる外科医」を目指して、交通事故や激しいスポーツで膝の軟骨が欠損した患者、スポーツ外傷による靱帯断裂の患者を多く診察し、治療してきました。そんな教授を頼って広島カープやサンフレッチェ広島の選手たちも訪れているのだとか。年間130件もの靱帯手術を行っていた講師、助教 授時代でしたが、1995年島根医科大学(現島根大学医学部)に教授として転出します。
島根県は人口が少なく、靱帯を痛めるスポーツマンも少ない。転勤を機に、教授の研究の主軸は、靱帯から、軟骨の研究・治療へとシフトします。硬い骨同士が 直接ぶつからないようクッションの役割を果たす膝(ひざ)や肘(ひじ)などの硝子(しょうし)軟骨は、適度な弾性もあり、表面がつるつるで滑りやすく、円 滑な関節運動を支える重要な役目を持っています。この軟骨、再生能力に乏しく、一度変形してしまうと自然に治癒することはほとんどないといいます。長い間 の使用で軟骨がすり減って炎症を起こしたり、関節が変形したりして痛みが生ずる「変形性膝関節症」やスポーツ選手などがかかる「外傷性軟骨欠損症」などに は有効な治療法がありませんでした。高齢者が多く住む島根県には、変形性膝関節症やリウマチ性膝関節症など軟骨の疾患で苦しむ患者が多く、軟骨が格好のテーマでした。

 

世界初の軟骨移植法を開始

軟骨を欠損した場合、欠損部分に他の場所の軟骨を切り取って移植する治療法では、元の形とは異なるため、関節面を滑らかに形成することが難しく、また、あまり大きい欠損は採取する部位が限られているため修復できません。1994年、スウェーデンのラルス・ピータソン博士らが、患者本人の軟骨細胞を取り出し、体外で細胞を培養し、損傷した部分に骨膜でパッチ(膜で蓋をして縫いつける)をあて、培養した軟骨細胞を浮遊液で注入する方法を発表していました。越智教授は、その方法では、細胞が定着するまでに患者が動いてしまうと、縫い目から注入した細胞が漏れてしまうのではと考えました。「欠損部分にそのままはめ込むことができるような立体構造をもつ、ゲル状の新たな軟骨を含む軟骨様組織を作って、骨膜で蓋をして縫い付ければ、漏れることもなく確実に定着する」という、スウェーデン方式の弱点を克服する新たな方法を思いつき、赴任後直ちに、島根医大に細胞培養室を作り、いろいろ実験を重ねました。

浮遊液注入方式の培養軟骨細胞移植の流れ図

浮遊液注入方式の培養軟骨細胞移植の流れ図

移植部分の断面図(単層培養)

移植部分の断面図(単層培養)

移植部分の断面図(3次元培養)

移植部分の断面図(3次元培養)

組織をしっかり作ってくれ、なおかつ安全な「足場」となってくれる材料探しの毎日でしたが、皮膚科や形成外科領域でしわの治療に用いられるコラーゲンの一種「アテロコラーゲン」にたどり着くのに多くの時間は必要ありませんでした。これまで教授自身が人工神経の研究で使っていて、副作用が起こりにくいことも分かっていました。
大腿骨などの正常な軟骨片(硝子軟骨)を摘出し、細かく砕いて酵素で処理した後、アテロコラーゲンの中で軟骨細胞を培養すると、3週間後には、細胞は細胞外基質に囲まれて、ゼリー状の硬さとなりました。これを欠損部分にはめ込んで移植し、脛(すね)から採取した骨膜で蓋をして漏れ出さないように縫い付けます。定着後、アテロコラーゲンは徐々に吸収され溶けてなくなっていきます。

組織工学的手法を用いて作製した軟骨様細胞移植による軟骨再生

組織工学的手法を用いて作製した軟骨様細胞移植による軟骨再生

1996年、教授は、世界に先駆けて、3次元培養の「コラーゲンゾル包埋(ほうまい)自家培養軟骨細胞移植術」をスタートします。
2002年4月に本学教授に帰任後も、この方法を引き継ぎ多くの成果をあげました。2004年には、内閣府などが主催する第3回産学官連携推進会議において、「日本学術会議会長賞」を共同受賞。「日本学術会議会長賞」は、産学官連携の推進に多大な貢献をした優れた成功事例に対して与えられる「産学官連携推進会議功労者表彰」のうち、学術の視点から特に顕著な功績又は功労があったと認められる事例が表彰されます。副病院長、病院長、そして理事(医療担当)と要職を歴任しながらも、「根っからの臨床家」を自認し、研究、教育、診療の合間を縫って手術にも臨みます。手術の執刀を完全に止めるつもりはないときっぱり。手術をしないとアイディアも湧かないのだとか。

>平成16年度産学官連携推進会議功労者表彰

 

技術を広く普及するために

この方式で数多くの軟骨再生治療を行い、大半のケースで、修復部分は、周囲の軟骨組織とほとんど見分けがつかないほど回復しているといいます。現在は、組織工学的手法を用いた軟骨再生の技術を広く普及するため、愛知県の再生医療ベンチャー企業に技術移転を行い、本学の他、島根大学、北海道大学、東京医科歯科大学など全国5ヶ所での臨床試験を終了し、実用化に向け製造販売承認申請中です。

 

次なるアイディア−磁石の力で軟骨や骨を再生

「軟骨の損傷具合は患者さんによってさまざま」「この方法では、軟骨細胞を取り出すときと、培養して患者さんに戻すときと、2回も膝にメスを当てなければいけない」また「適さないケースも」と、冷静に次なる課題を見据える教授。「新しいことをつねに考えています」という教授に、次なるアイディアが浮かびます。

「軟骨はすり減ってきます」と越智教授。

「軟骨はすり減ってきます」と越智教授。

患者さんの体に大きくメスを入れることなく、内視鏡(膝関節鏡)を見ながら注入することができないかを考えていた教授に、あるアイディアがひらめきます。そして今年9月、教授らのグループは、鉄粉を混ぜて培養した細胞を、強力な磁石で骨の欠損部分に集めて骨や軟骨を再生する治療法を開発(特許取得申請中)したと発表しました。
骨や軟骨、筋肉などに変化する間葉系幹細胞(注1)を使うというもの。体内から取り出した骨髄細胞を、MRI (注2)による撮影時に造影剤として使用されている鉄粉マグネティックビーズ(直径10ナノメートル、ナノは10億分の1)と、特殊な薬剤を幹細胞の培養液に入れると、一晩で鉄粉を内部に取り込んだ幹細胞ができあがります。

(注1)未分化細胞で、筋肉、骨、脂肪等、種類の異なるさまざまな細胞に分化できる能力を持ち、かつ自己複製の能力を持つ細胞。骨髄のなかに存在する間葉系幹細胞がその代表的なもので、患者の骨髄から容易に分離できることから、骨、軟骨などの再生への臨床応用が期待されています。
(注2)核磁気共鳴画像装置:磁場と原子核の間に起こる共鳴現象を利用して、生体内の内部の情報を画像化する装置。強磁場を発生させることで、精細かつ高コントラストな画像が得られます。軟骨などの軟部組織を写すことができるため膝関節の状況を詳しく見ることができます。磁気を用いた検査なので放射線の被曝もありません。

マグネティックビーズを取り込んだ細胞

マグネティックビーズを取り込んだ細胞

この幹細胞を注入するときに、体外から強力な磁石を使って骨や軟骨の欠損部分に集めると、定着した幹細胞は、3週間程度で、軟骨の欠損部分に注入した細胞は軟骨に、骨の欠損部分に注入した細胞は骨に変化し欠損部分を補いました。磁場を当てる時間は欠損部分の大きさにより、通常1時間から3時間程度といいます。

磁力を起こす装置に張り付くスパナ

磁力を起こす装置に張り付くスパナ(最大磁力では、600グラムの金属スパナを重力に抗し電磁石表面に静止させることが可能です)

磁力により細胞を軟骨欠損部に定着(ブタを使った実験のイメージ図)

磁力により細胞を軟骨欠損部に定着(ブタを使った実験のイメージ図)

ブタなどを使用した動物実験や人間から取り出した軟骨を使った実験で、約1平方センチメートルの欠損部分の再生に成功し、細胞本来の働きをすることも確認されました。鉄粉は、吸収されやがて赤血球中で酸素を運ぶヘモグロビンの一部になります。この鉄粉は、すでに医療現場で使われているもので、副作用の心配も低いのだとか。人への臨床試験までには、まだまだクリアすべき多くの課題はあるものの、この方法だと、注射と磁石を使うだけなので手術に比べて患者さんの負担が少なく、何度でも繰り返し行うことができ、大きな効果が見込まれると期待されます。このニュースは、国内だけでなく、中華民国(台湾)4大新聞のひとつである「自由時報」の2008年9月12日付け紙面でも取り上げられました。

 

考えることのできる環境を提供

教授を慕って集まる研究者は国内にとどまりません。研究室には、エジプトとタイから留学し教授の指導を受ける大学院生や、マレーシアから短期留学をする研究者もいます。若き研究者たちには「常に問題意識をもち、どのようにしたらその問題を解決できるかをいつも考えること!」と言っているそうです。国内外の著名な研究者たちを招へいし、講演を聞いたり、議論したりできる環境を整えるなど、常にトップクラスの研究者と交流できるチャンスを等しく与える努力をして、刺激を与えているのだとか。教授自身、これまでの3年間で、国際関節鏡・膝関節・スポーツ医学会(フローレンス)やヨーロッパ関節鏡・膝関節・スポーツ医学会(インスブルッグ)のHighlight Lectureを始めとして、アメリカ整形外科学会への招待講演など、27回のアメリカ、ヨーロッパ、アジアでの海外講演を行ってきたそうで、ますます新しい学術研究交流の輪が広がりそうです。「若い人には広島から世界を目指してもらいたい。それだけの力を持っています。」と期待を寄せる教授です。

あとがき

「大学は、環境づくりはできる。でも大学がすべてできるわけではない。一人一人がそれぞれ努力した結果、個々のパワーの和が大学の総合力となると考えています。研究でも、地域連携でも。」と語る越智先生ですが、気負いは見られません。「自分の頭で、いつも考える」そしてそれを実行してきた先生にとって、目標を高く持ってTOPレベルの研究をし、それを次の世代に伝えていくこと、得られた成果を基盤に質の高い診療を等しく患者に提供することは、特別なことではなく当たり前のことなのでしょう。今回の発表を聞いて、はやる気持ちで、臨床応用はいつなのかと質問する筆者への答えがすべてを物語っていました。「あなただったら、不完全な段階の治療を家族にして欲しいですか。自分の家族にして欲しくないような治療を患者にすることはありません。臨床応用までには、まだまだ多くの段階を踏まなくてはいけないのです。」焦ることなく、日々の着実な一歩を大切にするということを教えていただいた取材でした。(O)


up