差別のないキャンパスを目指して

 広島大学は、2022年5月14日、「差別のないキャンパスを目指して」と題したシンポジウムを行いました。2021年夏、所属する教員のSNS投稿や授業に対して「特定の外国人に対する差別・偏見を助長しかねない」という指摘を受けたことから、学外の有識者を交えたメンバーによる「不適切なツイッター投稿等に関する検討会」を設置して多面的な議論を行ってきました。その成果も踏まえ、差別や偏見のないキャンパス・社会を実現するために何が必要なのか、構成員としてどのような意識を持つべきなのかを自ら考え、確認する機会とするために企画されたものです。
 
 冒頭、広島大学 越智光夫学長の挨拶に続いて小林信一副学長によるシンポジウム開催の背景と趣旨について説明がありました。検討会での議論は、国際化・多様化する大学の現状や考え方、SNSにおける表現行為及びそれに対する大学の対応、差別・偏見に対する教育のあり方など幅広い内容に及び、2021年12月に報告書を学長に提出するとともにWEBで公開。今回、大学のすべての構成員が自覚し、取り組むべき課題であるという認識から、シンポジウム開催に至ったことなどが述べられました。その後、検討会のメンバーを中心に4人の講演が行われました。

 

トランスジェンダー学生の受け入れが目指したもの

 お茶の水女子大学前学長の室伏きみ子名誉教授は「お茶の水女子大学におけるダイバーシティ・エクイティ&インクルージョン教育の実践とトランスジェンダー学生の受け入れ」と題して講演。一人ひとりの多様な視点や経験、宗教や文化の違いを尊重し多様性を包摂的に取り込む「ダイバーシティ&インクルージョン(D&I)」に、固有のニーズに合わせて組織的な障壁を取り除いていく「エクイエティ(公正性)」の考え方をより明確にした「ダイバーシティ、エクイティ&インクルージョン(DE&I)」の教育・研究の取り組みを紹介しました。
 その一環として2020年度学部・大学院入学者から開始したトランスジェンダー学生の受け入れに言及。「学ぶ意欲のあるすべての女性にとって、真摯な夢の実現の場として存在する」という同大学のミッションに基づいた判断であったこと、国立女子大学として「多様性を包摂する女子大学と社会」の創出に向けた取り組みであったことなど、その意図や経緯について詳しく述べました。
 また、性のあり方の多様性に触れながら男女の二区分に固定され、そこから外れる少数者が差別を受けている社会の現状を指摘。すべての大学構成員が性的少数者について理解を深め、正しい知識を持って向き合う必要性や、学生にとって多様な価値と人々が交わる社会で生きていく上でも力になることなど受け入れの価値についての言及もありました。トランスジェンダー学生の受け入れを通じて同大学が目指したのが、常に学生・教職員と意見交換を行うとともに、同窓生や保護者・関係者等との情報共有に努め、すべての学生にとって快適な学びの場をつくる姿勢であったという点は、差別のないキャンパスづくりに重要な示唆を与えるものでした。

 

障害者の多様性と支援のあり方に学ぶ

 広島大学の横藤田誠名誉教授は「学生はいろいろ、障害者もいろいろ―多様性のある大学をめざして―」と題して講演しました。ポリオによって松葉杖生活を送る自らの経験も交えながら、障害者差別の存在や障害者の多様性、大学の障害者受け入れの歴史に言及。また、近代国家において法によって平等原則が確立されていった過程をひもとき、平等の概念を明らかにしたうえで、人種差別や性差別に比べて障害者差別の解消が遅れた要因を分析しました。さらに、2006年に国連で採択された障害者権利条約において、障害者が他の者と平等な人権・自由を享有・行使するための「合理的な配慮」を行わないことを差別とする、新たな平等概念が導入されたことや、それに基づいて2016年に日本で制定された障害者差別解消法も取り上げました。

 障害者差別解消法制定以前の1990年代後半から、全国に先駆けて、「すべての学生に質の高い同一の教育を保障する」「評価の公平性を担保する」ことを理念とする障害者学生支援を進めてきた広島大学の取り組みについても紹介。2008年のアクセシビリティセンター設立以降は、学内だけでなく地域との連携や全国への展開を進め、アクセシビリティ教育や学生などへの支援を行う人材を育成してきたことを評価し、障害者を含めて様々な人が教育を受けられるよう、今後も多様性のある大学を目指していく必要性を訴えました。

 

憲法で保障された学問の自由をどう考えるか

 京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授は「差別・偏見のないキャンパスにおける学問の自由」と題して講演しました。大学研究者の発言が差別・偏見にあたるとして、所属大学に対して研究者の処分や解雇などを求める運動が展開されるケースが目立つことに触れて、学問研究の中には、ある立場から見れば差別と考えられる可能性のあるようなものも含まれ得ると指摘。「そのあらゆる活動において、民族、国籍、宗教、信条、ジェンダー、経済的・社会的地位、障がいの有無などに関わるあらゆる差別やハラスメントを許さず、一人ひとりの人権と人格を尊重し、援護する」という大学憲章を定めた広島大学では、このような研究は許されないのかと問い、憲法で保障されている学問の自由、表現の自由との関連において、大学としてのこのような問題をどのように考えるべきかを提起しました。

 研究者の活動場面を、研究発表、講義、専門家として社会一般に対して発言する場面、専門外での社会一般に対する発言の場面の4つに分け、それぞれ社会で問題視された事例なども取り上げながら、憲法学の専門家としての立場から検討を行いました。研究発表においては、学問研究の成果として公表されるものである限り、その主張の内容にかかわらず学問の自由によって保障されると強調。学問研究の成果としての評価は当該分野の研究者コミュニティが、それぞれの分野の研究作法に従って行うものであり、大学の管理者が、研究内容が不当だという理由で、懲戒処分や解雇をすることは基本的にはできないという考えを明らかにしました。
 また、講義も学問の自由に含まれるという憲法学の基本的な考えを紹介しながら、大学の大衆化が進んだ今日では、学生の理解度に配慮した講義の創意工夫が必要であると述べました。今回の件では、検討会報告で指摘されたように「十分な補足説明を行い、学生の理解に対する確認や学生とのコミュニケーションを十分にとる必要がある」と指摘しました。
 専門テーマに関わらない一般向けの発言については、学問の自由の問題ではないため、一般企業や役所などにおける懲戒処分と同様に考えられると指摘しました。同時に、差別発言の場合は、それがどの程度重要なものと考えるのかの評価が人によって異なり、社会的なコンセンサスが十分ではないという問題点を挙げ、解雇などの重い処分が標準となるのが妥当なのか、広く社会的なコンセンサスの確立を目指す必要があることにも言及しました。

 

タブートピックを議論できる環境づくりが重要

 広島大学ダイバーシティ研究センター長の大池真知子教授は「差別について議論できる大学であるために―私たちにできること 大学に望むこと」というテーマで講演しました。差別されるという経験について、自身の経験も交えて具体的な事例を挙げながら考察しました。差別とは、多様であるはずの個人が特定の劣位集団に還元される経験であり、その劣位性は力関係や歴史によって構造化されているがゆえに、差別された個人は息苦しさと絶望感を味わうと結論づけました。

 そのうえで、大学での差別の現状や可能性についても検討しました。被差別集団に帰属させられることを恐れて自由に学問できない、学問の仕方を自分の帰属集団に帰着させられるなど、学内での事例も取り上げながら具体的に考察。なぜ差別が起きるのか、差別と意図の関係、差別の分類など、差別について議論すべきことは数多くあり、大学はそういった議論が自由にできる場でなければならないとし、そのためには、タブートピックを議論しても自分の存在が脅かされることはないという安心感が必要であり、そうした環境を整えることが重要であると指摘しました。

 また、環境づくりにあたって、大学の構成員と大学への提言も行いました。構成員個人としては、力関係に鋭敏になり、自らが差別をしてしまう可能性を想定すること、差別されたとき、見つけたときに声を上げることなど、他方で大学組織として負に向き合い、ケアするための仕組みづくりが求められると述べました。

 

一人ひとりの人権と人格を尊重する取り組みを

 講演終了後、検討会のメンバーであった広島大学のフンク・カロリン副学長、広島大学法科大学院の門田孝教授も加わり、会場からの質疑への応答も含めた形で、ディスカッションが行われました。「望ましくない言論を最初から封じ込めるのでなく、自由な言論によって是正するのが前提であり、自由にものを言える環境整備が、大学の内外で求められている差別のないキャンパスづくりにとって重要である」「ダイバーシティと差別の問題は絶えず変化する。その事情に合わせてまた新たな考えを持ち、みんなで議論して発展させていくことが必要」といった議論の場の重要性への言及がなされました。また、具体的な今後の方策については、「差別を知らない、気づかない人たちが多い。差別や偏見について、多様な人が講義や研修など一緒に学ぶ機会をできるだけ作った方がよい」「講義の改善などについて、研究者組織の中で自律的に対応するのがよいのではないか」といった提案もありました。
 2021年12月に制定した広島大学憲章と広島大学行動規範の中で掲げた、一人ひとりの人権と人格を尊重し、差別やハラスメントを許さないキャンパスを目指して、今後も積極的に取り組みを進めていくことを確認し、シンポジウムを終えました。

 


up